Entry1
柴犬
小笠原寿夫
「良い子でしたよ。普段から大人しくって」
――そうですか。で、事件のあった日は?
「あんまり覚えてないけれども部屋で寝てましたね、えぇ」
――寝てた? あんな酷い事件があったっていうのに?
「えぇ。昼間はベッドに横たわっていることが多いんですのよ。旦那が帰ってくるまでは遅くまで寝ているわね」
――かしこまりました。で、普段はどんな子でしたか?
「そうねぇ、凄く気遣いの上手な子で気を遣う振りだけは上手でしたよ。まぁ、あの子は大日本人だから」
――今、大日本人と?
「えぇ。大日本人だからってなんだって言うの? 見た目は普通の子と変わらないじゃない?」
ドア越しの主婦と見られる女性はモザイクに顔を隠しながら、スカートの裾を枚つかせた。
「そんなことより家に上がって行かれません? お茶なら用意してありますし」
――いいえ、仕事で伺っているものですからそういったことはちょっと……。
「あ~ら臆病ねぇ。いいじゃない臆病なくらいが丁度良いけどね」
カメラを覗き込む主婦と見られる女性は、庭の犬小屋をチラ見した。
――犬ですか?
「そうねぇ、番犬って程じゃないけれど凄く賢いのよ、この子」
――それより事件についてもう少し窺いたいのですが。
「えぇ、結構よ。事件と言えばこないだも大きな事件があったわね。なんだったかしら」
――今回の事件についてもう少し深くまで窺いたいのですが。
「そうねぇ、まさかあの子があんなことになるなんて思ってもみなかったわね。なんたって疑惑のギの字も垣間見られなかったわよ。あの子ったらこんなこと言うのよ。柴犬のような番犬になりたいよぉ~ぉだってやぁ~ね冗談よ」
ケラケラと笑う主婦と見られる女性はスカートの裾をバタつかせながら急に大きな鍋を奥の間からヨタヨタと抱えてきた。
――なんですか?
「これでお料理をしようと思って。なんだかお腹が空いてきたわね。何か美味しいものでも作ろうかしら」
――いえ、取材で伺っているものですから。
「案外、仕事熱心なんじゃない。見直したわ」
横槍を入れるようにして主婦と見られる女性は甘い声を出した。
――ありがとうございます。事件の話に戻らせて戴いて宜しいですか?
「えぇ、事件と言えばあの子、こんなことも言っていたわね。飛び出す絵本に登場するキャラクターの歴史的解決はどういうつもりなんだとかね」
――それはどういった?
スカートから伸びてくる左腕から逃げ帰る舜花は西へ西へと向かった。