Entry2
喫茶店
小笠原寿夫
眼鏡に映るのは喫茶店の風景と煙草だけ。
賑やかな店内には、会話をする客たちと、ちらついたオレンジランプが垣間見える。眼鏡の隙間から、その風景を覗き込みながら、煙草を燻らせる。鏡に反射した喫煙フロアには、多くの客が、ごった返している。私は、アイスコーヒーのブラックを飲みながら、店内を一望する。後ろを振り返ると、No Smokingの文字が飛び込んでくる。
私は、……私は、一体何の為に、ここに来たのだろう。丁度、眼鏡から見えるのは、宙に浮かんでいるような煙草と賑々しい店内。ひとつ、携帯電話を開けてみる。そこには菅新首相誕生のニュースや芸能ニュースが並んでいる。煙草をもう一本咥え、ライターに火を点ける。脈拍はみるみると上がり、喫茶店の風景を眺められる位置から、その雰囲気を味わう。鼻を突くその匂いは、そこを異次元空間にでもしてしまったような錯覚を起こさせ、麻酔にも似た、その媚薬は、私に至福の時を与えてくれる。
火について言えば、過去、先人達が、必死になって起こした賜物である。それを繋いで行くことこそが、我々の使命であり、誇りといっても過言ではない。人間が、人間名だたる由縁。意識を戒める、という意味に於いても、それは、先人達の知恵による副産物。火を巧みに操ることこそが、人間に与えられた、唯一の特権である。
喫茶店の店内を見渡すと、ざわめきがフッと消え、ジャズミュージックが、漂っている。
「お疲れ様です!」
背後から声が聞こえる。昔の友人だった。一瞬、笑顔が溢れ、安堵した様子の私を、友人は一礼する。こいつに会う為に、私は、地下鉄に乗り、ここまで来たのだった。遠く離れ離れになった友人の笑顔を見るだけで、ホッとする。会釈する友人はさっぱりした様子で、話しかけてくれる。こいつに一瞬、ヒヤッとしたが、それも束の間。すぐに昔の雰囲気に戻る。
昔、一度、こういった場面に遭遇したことがある。いつの事だかは覚えていない。私と友人は商店街をぶらつき、ミックスジュースを飲む。帰り際、友人は、さよならも言わずに、私を見送ってくれた。
友人の手厚い接待に、やや、緊張するも満足な一日を送れたことに感謝したい。
帰りのバスで不思議な体験をした。バスの運転手に行き先を告げた後、車内アナウンスから微かながら、友人の声が聞こえる。友人の力は絶大なものである。そう確信し、私は、バスを降りた。
煙草は、必需品である。