Entry2
付け焼き刃
小笠原寿夫
ラーメン屋『民海亭』の店主は、この道三十年。
「はい、お待ちどう」
と出してくれる味噌ラーメンには、腰のある太麺に玉子、陳元菜、叉焼に鶏の出汁から採ったスープに味噌を加え、豆板醤が少々、入っている。
こぢんまりとした店内には客は私しかおらず、ズルズルと麺を啜る。麺を半分噛みきると、口の中ではしゃぎ回る麺の食感と口一杯に広がる味噌の風味が、次から次へと箸を進めてくれる。
と更にスープを飲み干すと、得も謂われぬ口溶けに舌鼓を打つ。
「ここのとこ、チェーン店が出来て、みんな向こうに持っていかれてるんだよ」
そう漏らす店主は、それでも笑顔を絶やさない。
チェーン店が出来たということは、その分だけ味が認められたということだ。とはいえ、ラーメンの需要はなくならない。
この道一筋にやってこられた主人の苦労は、いかばかりか知れる。私は、その苦労を買っているのである。
少しでも余計なことを考えると、奥さんが沢庵をつきだしてくれる。
「はい、美味しいお漬け物」
店内には、私一人しかいない。ラーメンを啜り終え、レジカウンターに向かうと、奥さんが愛想よくお勘定してくれる。
財布の中を見ると、小銭がちらほら。
明らかにラーメン代が足りない。
「どうしよう、困ったな」
と思っていると、それを察したのか、奥さんが、
「また今度でいいよ」
と言ってくれた。
『つけ』というものは、こういった時に発生するのかと身に染み付いたものだ。
「すみません、あとで支払います」
と言った、次の日かその次の日くらいに、改めて代金を支払いに行った。
つけは廻り廻ってチャラになる。
常連になればなるほど、つけは廻ってくる。
一見さんであれば、つけは聞かなくて当然だが、常連になってくると後でつけが廻るのである。
借金をしたくなければ、一見さん。店と顔馴染みになりたければ、常連さん。世の常だが、客商売というのは難しい。飽きないでやるから商いなのである。
三十年という道のりは長いようで短い。振り返れば、覚えている思い出などたかが知れている。
だけど身体は覚えているものである。客である私もその味を覚えている。
そしてまた足を運ぶ。これが付き合いというものである。店主との会話を楽しみながら、ラーメンを食べるのも、チェーン店にはない小型店舗の強みであったりもする。
国家予算も財政もこれくらい簡素化されれば、うまく経済は廻るのではないかと思わざるを得ない。