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猫よ
小笠原寿夫
今朝、猫が一匹死にました。
父が死に水を取ってくれました。
家族から愛され続けた猫です。猫の命は、小さなものなれど、家族の悲しみは、幾ばくもないものでした。
私は、猫を抱いてあげました。
冷たくなって、硬くなった猫に、言ってあげました。
「お前は、賢かったんだよ。わかってるのか?」
猫は勿論、返事をしませんでした。ポケットの中に収まるころから可愛がっていたのに。
足が悪くて、いつもヨロヨロ歩いていたのに。
気が向いた時しか、鳴き声をあげなかったのに。
今は、何も言えない骸となっていました。去勢手術をされ、天涯、子供を産めない猫の本当の幸せは、何だったのでしょうか。本当にこの猫にとって、天寿を全うできたと言えるのでしょうか。
哀しみに暮れる私達を最期の最期まで猫は、可愛かったのです。愛すべき猫は、私の32歳の誕生日に亡くなりました。まるで、それを待っていたかのように。
生き物は、いずれ死ぬ。
当たり前のことながら、それを目の当たりにすると、為す術なく、行き場のない哀しみに包まれます。胸の奥底にしこりができたように。途轍もない断崖絶壁が、目の前に立ちはだかったかのように。
私は、彼の頭を撫でれば、撫でるほど、幸せな気分になり、餌を食う仕草を見れば、安心し、にゃあにゃあ鳴く声を聞けば、優しい気持ちになれました。
生きてこそ。
その言葉通り、猫は、19年生きました。ペットの死。そう言ってしまうのは、簡単です。
ですが、永遠の別れは辛いもの。
弟が、小学校五年生の時に拾ってきた猫。母が厳しく躾けをした猫。私が、心から甘やかした猫。そして、父とともに生活し看取られた猫。
死を以って、人を幸せにさせられる。
そんな猫でした。
思えば、飼っちゃダメだと言われ、弟が連れてきた猫を、母は、見た瞬間、その愛くるしさに翻弄され、飼う事に決めたのです。
猫よ。ミャーコよ。お前の餌と糞の始末は、私の日課だったんだよ。
お前は、その存在自体が我が家にとって、重要だったんだよ。
あんまりじゃないか。
寝ている猫や、餌をねだる猫をみては、癒されていた我々は、どうしたらいい?
寿命がきた猫に訊ねても答えは出ません。
天寿を全うされた、我が家のアイドルは、獣から天使になりました。
私は、彼の晩年に立川天使師匠と名付けました。
天使師匠、お疲れ様でした。
ご冥福をお祈り致します。
天国で、沢山の幸せを堪能して下さい。
貴方が、この世に生きた証は我々の心に残っています。