Entry1
八
小笠原寿夫
「読んで欲しい小説があるんだ。」
言うともなく、言ったその背中の物憂げなことは、言うまでもなく、彼の人生すら物語っていた。過去形になってしまうのは、言わずもがな、彼は、ここには、居ないから。
永く永い小説だった。一頁捲るごとに、また、永い一頁が始まる。一文字を読むごとに、涙が滲む。そんな小説だった。
恐らく、彼の筆圧には、幾ばくもない、歴史と生け証人が居たからに他ならない。その小説の名を、
「遺書」
最期の言葉を締めくくる、最期の一頁だけを付記しようと思った。彼は、そこには、いないのだから。而して、彼の居ない世界にも、きっちりと笑いという文化は、存在するのだから。
(前略)
そういったこともあり、所有する財産を貴方に譲る。但し、今回の人生とやらのコントは良く出来ている。生けとし生けるものが、ちゃんと生きているし、死ぬべきものだけが、ちゃんと死んでいる。だから、私は、ここには、居ないのだと思う。朽ち果てるべくして、私は、朽ち果てている。誰が、思い浮かべよう。この老いさばらえの居ない世界に一輪の花が咲いた事に。人生という大舞台に、一人っきりで、咲いたコントに、我々は、あらん限りの遺言状として、この小説ではなく、コントに最期まで情熱を注いだ私を笑いなさい。泣き笑いではなく、更なる笑いの文化発展の為に。只の若手達よ。この大空に、虚構はない。あるのは、見る目を損なった男が、見てしまった、虚像という夢に他ならない。夢を追え。この大空に、太陽が沈まぬその日まで。笑いに長けし者達よ、言え!満月が消えし、その日まで。我が名を、継し者達よ、語れ!この遺書が、忘却の彼方に消え去りし、その日まで。
そして、ありがとう、我が現実と虚構の合間を縫ってくれた、数々のくノ一達へ。
(中略)
あなた方は、今、正に歴史の生け証人となる。野生の王国は、観るも見事、話すも及ばぬ、最高にして、最期の私の遺書となる。去りし日に、あったことを以上書き連ねたが、この世に残ってしまった罪悪と功績を世に刻みつけよ。我が忘れ物を、改めて、取りに行こうと思う。
私の残した最期の屁を、屍に託し、尸を石にしたい場合もあるのかもしれない。愛すべき我々の子孫繁栄と不老長寿の為に。
あの恐ろしき、災害に拠り、このコントが咲いた事を忘れないで欲しい。
二◯一八年八月八日
尺八幸之助
私は、それを読んだか否か、涙ながらに、その遺書とやらをシュレッダーにかけ始めた。