Entry1
シマウマ
小笠原寿夫
ヒタヒタと歩く音と、コツコツと戸を叩く音が、聞こえたと思うと、ヒシヒシと啜り泣く声。ホテルの扉を開けると、スルスルと伸びてくる腕。
「あんた、あたしの何のさ。」
ツルツルとした腕を見ると、白と黒の曼荼羅模様が、こちらを誘っている。ザルザルと掻き鳴らす蹄から、ヌルヌルと伸びてくる首。眼はキラキラと輝いて、耳はピクピクと動いている。
毎晩のようにやってくる、その動物は、ヌメヌメとした鼻を、グズグズと鳴らす。
「豆腐をやるから、帰ってくれ。」
ヒュルヒュルと冷たい風が、差し込んだかと思うと、私は、手を後ろにやり、何も聞こえない振りをする。ボソボソと、耳打ちする口からは、ダラダラと涎が垂れている。ボトボトと滴り落ちる液体からの臭いが、私の鼻を突く。
「できる事なら、引き返して頂きたいが、今夜という今夜は、連れ戻されなくもないので、まぁ、お上がり下さい。」
チェーンロックを開けたかと思うと、バタバタと、入り込んでくる足と足。
「今日だけですからね。」
その動物は、ゼブラ。グルグルと啜り泣くその声は、興奮極まりない様子を見せ、感極まり、
「ゼブラー。」
と泣いた。
ゼブラは、意外と大きかった。馬乗りになった、私を手綱で弾くように、ゼブラを呼んだ。
「ゼブラー。」
私はゼブラを、ゼブラは私を、惹きつけた。いや、寧ろ、私がゼブラに惹きつけられた。
四足歩行で歩くゼブラは、冷蔵庫を、パカッと鼻腔で開けた。冷たい飲みものを、探しているようだったが、何もないと見え、諦めてくれたようだった。
「お茶の一つも用意しておりますので。」
そうは言ってみたものの、ゼブラは、お茶を飲まないと、首を横に降り、冷蔵庫を、やはり鼻腔で閉じた。上下に舌を動かし、前後に舌を動かしたかと思うと、左右に舌を動かし始めた。
進化の過程で、そうなってしまった肢体を持て余しているようにもみえる。ゼブラは、さっき用意しておいた、豆腐を、私が差し出すと、それをがむしゃらに食べた。余程、腹が減っていると見え、ブルブルと鼻を鳴らしながら、ムシャムシャとそれを飲み込んだ。
熱りが、冷めた頃、私は、ゼブラに、嘆願した。
「もうお帰りくださいませ。」
ゼブラは、「ゼブラー。」と雄叫びを上げ、ポコポコと私の方に歩み寄ったかと思うと、硬い蹄と、長い顔で、ホテルのベッドに私を、押さえつけたかと思うと、何食わぬ顔で、私をボコボコにした。
私は、最後に、大声で、「ゼブラー!」と叫んだ。