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すべる話
小笠原寿夫
「自分の作った料理は、まずくても食える。」
よっぽど旨いものを食べていないのか、と思われるかもしれないが、これは、謙遜に使われる言葉だ。
「相手をもてなしても、もてなしきれないです。」
という意味によく使われる事が、多い。逆に、
「だけど、美味しいわよ。」
は、
「まあ、奥さん、御上手ね。」
の尊敬の意味に、使われがちである。日本語の難しさの現れは、食に喩えられるから、面白い。
「まあ、この子、茶碗になってるわ。」
でいう、茶碗とは、いくら盛り付けても、ご飯が食べられてしまう。つまり、言っても言っても、いう事を聞かない子、の事を指す。もっと他にもある。
「まっつん、もう食われへんわぁ。」
と、浜田さんが、寝言で言っていた、という、松本人志さんの語録がある。
「大満足です!」
の意味に使われているので、思わず、浜田さんが、吹き出しそうになっていた。食に変えると、日本語の表現が、如何に豊かであるか、がわかる。
「皿洗え。」は、「顔洗い直してから来い。」
「お前は、飯食うてる時が、一番面白い。」は、「食うだけが能の能無しや。」
「筍」は、「酒ばっかり飲むな。」を早口言葉で言った隠語である。
「お前が、そうやって煙草吸ってるとこ見てるわ。」と、住居施設にお世話になっていた頃のおじいちゃんに、階段から言われた事がある。おじいちゃんは、手を顎に当てながら、笑顔で、こっちを見ている。
「煙草は、脳を腐らす麻薬に近い。お前が壊れていく様を見ておいてあげるわ。」
という、喧嘩の文句に近い。喧嘩の文句も知らない、私は、ただ呑気に、煙草を吸っていた。
「何にもせんやつが、いう事いうな。」
しこたま、仕事をしてきた人間だけが、言える最上級の殺し文句。上下関係の厳しい世界に於いて、部下は、何も言わずに、謝るしかない。
お父さんに、寿司を奢って頂いたときに、お父さんは、
「たまには、教えたれ。」
と、一言。
帰り道よもすがら、おじいちゃんは、
「今日の事は、忘れるな。」
と一言。
「お前、学会続けんのか?」
と尋ねてきた。
「はい。」
とだけ、応えると、
「お前みたいなやつが、遊んでたら、国が滅びる。」
初めて、素直に喜べた瞬間でもあった。
急にお父さんが、怒り出した。
「お前はな、わしの顔に泥を塗ったんじゃ!わかってんのか!?」
まさか、あんなところに、その筋の人が、寝泊まりしているとは、私は、決して思わなかった。
散々暴れた挙句、最後に私は、住居施設を出所した。