Entry1
Moment
Gossow
このせかいはローラーコースターのようだ。
あらゆるものが、ものすごい速度で過ぎ去ってゆく。それなのに、その出来事が脳裏に浮かびあがるとき、それはスローモーションのようにゆっくりとした映像で浮かび上がる。
思い出とはそういうものだ。
∞∞∞∞∞
ひとつ、ヒントを出してみよう。
君が湖のほとりに、一人座っている。君は悠久のかなたへ思いを馳せている。
そして、美しい女が君のせなかに手を置いた。君はその女のけはいを前もって感じていた。そのけはいが君のせなかにつたわってから、おんなの手が君のせなかに置かれるまで。
その二つの行為のあいだによこたわる深淵。
∞∞∞∞∞
今度は、昔の話をしよう。
子どもの頃、近所に野良いぬがいた。
老いぼれたいぬで、目が見えず、いつも何かにつまずきながら歩いていた。 わたしはそのいぬを、ひそかにかわいがっていた。
「あの犬、目障りだよな」
友達は、そのいぬを毛嫌いしていた。ある日、わたしの目の前でそのいぬを木の棒で叩き殺してしまった。
いぬは悲痛な声を出して、許しを乞うた。
「お前もやれよ」
友達はわたしに棒を手渡した。わたしは嫌だと首を振った。
「俺の言うことが聞けないのか」
友達はいぬに近寄り、その痩せ細った足を掴んで不自然な方向に捻った。ほねが折れる、乾いた音がした。
いぬは苦しんでいた。 「もう、やめてくれよ」
「じゃあ、お前がとどめをさせ」
その友達はわたしに木の棒を渡した。
わたしは木の棒を持って、いぬと向かいあう。
いぬは口から血を流し、わたしを見つめていた。
わたしは両足がふるえだすのを感じた。
「早くやれよ」
友達はつめたい目で、腕を組み仁王立ちしていた。
わたしは足が震えて、逃げ出すことも出来なかった。そのとき、わたしは悟った。
わたしは目の前で傷ついている、いぬそのものなのだと。
「早くやれ」
友達の声が響いた。
一歩、二歩…
わたしはいぬに歩み寄っていった。
その数秒は、途方もない無限の時間におもえた。
事実、わたしの目の前には、ぱっくりと地の割れ目からのぞく、底なしの深淵が待ち構えているのが見えた。
わたしは、いぬに木の棒を振り下ろした。そのときにおさないわたしの顔を濡らした、噴水のような血しぶき。
その血しぶきは、いまでもわたしの眼前にアリアリと映し出されているのだ。