Entry1
イラン
サヌキマオ
念願の死を経て、三途の河原を下流へ歩き始めた私である。まもなくすると、向かう先に一本の巨きな桃の木が植わっている。木が巨きいばかりでなく、たわわに実った實も巨大なのである。それで遠目に桃であると知れた。實は糸が切れたように落ちると、蓁々たる葉を転がって河に落ちた。どんぶらこっこ、すっこっこ。桃は流れていく。「桃太郎だ」私は確信する。「桃太郎はここから生まれたに相違ない」
長い時間をかけて、河原の丸石を押しのけて桃の木は出てきたようである。動く物の姿は見当たらなかった。風だけが生暖かく生きていた。人の頭よりもずっと巨きな桃の實がたくさんにぶる下がっていた。落ちてくる實に当たったらタダではすまないだろうが、どうせこちらは死んでいるのである。だが当たったら痛いに違いない。腹は減らない。私が死んでいるからだろうか。されど桃の匂いはする。なんだかわからなくなってきた。
誰か人がいないと話が進まないなぁ、と思うと木の上から人が降ってきた。おそらくイラン人である。額に「イラン」と書いてある。尻から糸を出して木の上から吊り下がっている。
「今、調べてたんだけどね」流暢な日本語である。「Peachって、もともとはペルシャ、という意味らしいよ。Wikipediaにそう書いてあった」
そうですか、貴方がここの桃の管理を?「いや、そうではないのだ。そのぉ、なんと云っていいか、そこまで設定を考えてこなかった。また出直してくる。悪しからず」イラン人は木の上に戻っていった。尻の穴に糸が戻っていった。葉をがさがさ云わせてイラン人がいなくなると、また静かになった。ばしぃ、わさわさ、わさわさ、ぼちゃん。また實がひとつ、河に落っこちて流れていった。
「えー、そんなわけで」急に目の前に件のイラン人が立っていて驚いた。「私はここの木に取り付いていて、巨きくなった桃を切り落とす役目を担っているのです。そういう設定になりました……ああ、あと、この桃は『桃太郎』とはどうしても関係無いようです。悪しからず、悪しからず」
そう言うとイラン人はひょいと桃の枝に飛び乗った。桃の木はずしんずしんと小気味よく歩き出して、河を渡って向こう岸に消えてしまった。私はまた歩き始める。水行末、雲来末、風来末。
そういえば「すっこっこ」ってどういう意味なんであろうかネ。思っていると、それは私です、とすっこっこが現れた。川下まで乗せていってくれるという。