Entry1
3月のオイラン
サヌキマオ
「博士! どうしてこういうことになったんですか!」
「……間違えたんだ!」
もともと電熱器を熱電器と書いてみたり二酸化炭素を二炭化酸素と書いてしまったりする人でしたが、クローンを創るべきホラアナライオンをホラアナオイランと書いてしまうほどとは研究員、誰も思わなかったのです。で、誰も疑問を抱かぬまま作業は進み、二年と二か月が過ぎました。出来るはずのものは、多摩丘陵に横穴を掘って棲んでいたといわれる、絶滅種のホラアナライオンでありました。だがしかし、オイランは研究室の檻の中で、妙にしなを作って獲物が来るのを待ち受けているのです。
「とりあえず服を着せましょう」
「こんなこともあろうかとエチゴヤ-デパートメントに打ち掛けを作らせておいてよかったわい」
仕立ての代金で研究所の年間予算がすっ飛んだと噂の鮮やかな着物が着せられます。ショッキングピンクに金糸の青海波の刺繍がされていて、いかにも力強く華やか。
「う、美しい」
「本来のオイランもこんな感じだったんですかねえ」
「きっとそうに違いないさ」博士の顔は興奮に紅潮していました。「この艶やかな装飾で獲物をおびき寄せて捕食していたのだろう」
しかしどうしたことでしょう。オイランは餌を取るどころか悲しげに身をよじらせるばかりで、どんどん弱っていきました。
「そもそも、オイランって何を食べるんでしょうねえ」
「古いデータによると『馬や鶏の生肉を与えている』とあるんだが」
「食べませんねえ」
「体の模様で獲物をおびき寄せる以前に、馬とではあまりにも体格が違いすぎるしな」
「生きた鶏にも怯えてましたし」
このようなものを創ったとあっては研究所の名前に傷がついてしまいます。こうなったら秘密裏に殺処分してしまうしかない、と炭酸ガスの準備をしていると、お偉いさんが研究室を訪れました。研究室に多額の出資をしてくださっている富豪の紳士です。
「ずいぶん暗い研究室だな。こうやったら明るくなるんじゃないか」
と、懐の札束に火を点ける豪快な人物ですが、殺処分用のガラスケースに入ったオイランを見ると目を輝かせました。
「言い値で買おう」
「ありがとうございます」
こうしてオイランは富豪に身請けされて横丁のお妾さんに落ち着きました。ときおり屋敷の角を通りかかる御用聞きや牛乳屋、新聞配達などが捕食されてやや問題となりましたが、おおむね幸せに暮らしたそうです。
時は三月、花の頃の話です。