Entry1
青葉繁れる
サヌキマオ
頭蓋骨の継ぎ目に出来た穴からスッポンモドキが頭を出したり引っ込めたりするので、人に教えられて癲狂院に行くこととなった。なんでも明治時代に西洋医学が本格的に入ってきたころに開業した古い醫院で、椎橋の駅から商店街をずっと抜けると十字路の左側、頑強な石塀を押し潰さんばかりに青葉が繁っている。すっかり時代のついた建物の窓ガラスには「阿知羅醫院 木日曜祝日及び土曜午後休診」と金字で書いてある。
開業当時の老先生が独りで頑張っているというが、事前に電話をしても一向出る様子がない。草と苔に乱れた飛び石は醫院と奥にある住居に続いていて、壁際には夥しい数の植木鉢がひしめいている。
五月の陽に透いて埃の見える薄暗い待合室、ベンチに座っているのは赤いスカートの小学生くらいの女の子が一人。それよりもなによりも、あたりを跳びはねる小動物が目についた。動物は入口から光が差したのに気づいたのか、まっすぐに突進してくる。駄目、逃がしちゃ、という声に慌てて後ろ手に戸を閉める。動物の表情は窺い知れないが、舌打ちの代わりに脛に蹴りを入れてきた。
柱時計の音が人の気配のなさを際立たせる。無人の受付窓口を覗くと衝立があって、下がっているカレンダーはちゃんと今年今月なのに安心する。
「あの」
にべもなく顔を背ける女の子を逃すまいと、私は背けた顔の方に回りこむ。
「ここの病院は看護婦さんとかそういう人はいないのかな。先生だけ?」
瓜実顔はうんうん、と二回頷いた。先生は別の誰かを診療中なのだろうか。土間には自分の靴の他に女性のヒール靴がある。
「お嬢ちゃんはここの病院の子?」
「わたしはぬっ君を直してもらいにきただけです」
見ると、赤いサンダルを履いたままだ。
「ぬっ君」という単語に反応したのか、さんざん跳ねまわっていた動物が女の子の膝に戻ってくる。
「これは何の動物? リス?」
「リスぢゃないよ、チンチラ」
癲狂院は動物の病気も治すものなのか、と感心しているとぬっ君は執拗にスカートの中に潜り込もうとする。女の子がきゃあきゃあ云って抗うとスカートが捲れて、透き通った腿が薄暗い部屋に閃いた。
「いぬにさん、いぬにてまりさん」と診察室から嗄れた声がかかる。
(あの子、下に何も履いてなかったな)
サンダルのまま診察室に向かう女の子の尻をなんとなく目で追うと、先ほどは誰もいなかった受付窓口の衝立の向こうから、パンダがこちらを覗いている。