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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第1回バトル 作品

参加作品一覧

(2018年 1月)
文字数
1
小笠原寿夫
1000
2
木坂 京
896
3
サヌキマオ
1000
4
石川順一
1000
5
村井弦斎
1058
6
高浜虚子
1579

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命ある限り
小笠原寿夫

 遡ること、幾年月。私は、マンションの二階から、飛び降りた。自殺を考えていた訳ではない。
「過労。」
その言葉が、最も適切なのかもしれない。

「痛ぁ~い!痛ぁ~い!誰か助けてぇ~!」
私は、靴を履いたまま、泣きじゃくった。通りすがる人の視線は、冷たかった。心ある人の助けで、何とか救急車を呼んでいただいた。
 作業療法と、アルバイトで、生計を立て、おまけに生活保護と障害者基礎年金をいただいていた。アルバイトについては、私は、心の奥底で、「野生の王国」と呼んでいた。
 アルバイトの職場では、駐輪場の切符を切る仕事をさせていただいていた。日能研の生徒の帰り道に、駐輪場はあった。
 夜もすがら、携帯電話とパソコンに、落語を入れつつ、ある種、孤独を、楽しんでいた。上の病と闘いつつ、私は、こんな生活でいいのか、という不安感に苛まれていた。後に、この現実が、iPhoneを生み出すのだから、世の中、捨てたものではない。スティーブン・ジョブスの死と共に、世に出た商品なのだから、私は、如何せん、スティーブン・ジョブスなのかもしれない。
 人は、生まれ落ちたその日から、死に向かって、歩み続けている。
 それは、紛れもない事実なのだけれど、果たして、生まれ出でた理由を考えることすら、ナンセンスなのだと思う。
「最後の晩餐」
それは、人が晩飯を食べ、夜、寝ることが、語源らしい。寝ることと死ぬことは、同義ではないけれど、強ち、それを区別して考えるのは、難しい。意識が一旦、そこで遮断される訳だから。
 人間を冷凍保存して、その人を、未来に委ねる。そういう意味に於いては、最後の晩餐にも頷ける。
 人は、何故、生きるのか。その問いかけに、私は、
「おもろいからや。」
と答える。生きているのは、面白い。そして、死ぬのは悲しい。
 ただそれだけのこと。
 きっと未来に、何かを残そうだとか、種の起源だとか、そういったものを考える意味必要性は、どこにもない。本当は、一刻でも長く生きられるのか。それが、一番の人生の醍醐味であり、ギャンブルでもある。
「なぁ、自分、パチンコおもろいか?」
そう尋ねた時、
「別におもろいおもろないでやってる訳じゃない。」
と、答えた男が居る。それよりは、生きることを選んだ方が特に決まっている。
 さて、パチンコが廃れ、カジノが横行する時代に、どんな発明が待っているのか、楽しみでしょうがない。死に物狂いで生きようと心と神に誓おう。
命ある限り 小笠原寿夫

然らば、昨日は去りぬ
木坂 京

 目を開けると、冷たい空気が触れた。昨晩整えた布団はずれ、今にも落ちそうだ。時計は7時42分を指し、カチカチとメトロノームの真似事をする。リモコンを手に取りボタンを押すと、エアコンが音をたてて生暖かい空気を吐く。ヒリヒリと乾燥した顔に触れ、形を確かめるように撫でた。涙の跡を拭き、自分の形を思い出す。近頃、何かにつけて新しいものをはじめたがる友人の近くにいた為、自分が曖昧になりかけていた。
 彼は少し曲がった眼鏡を音をたてながら直し、私に言うのである。
「俺さあ、服作ろうかと思って。」
そうかい、と私が答えると鐘が鳴り、何やら不満げな私の友人は、鞄を抱えて立ち上がった。
「今回はマジだからな、もう本も買ったしよ。」
然らば、と加えまだ綺麗な裁縫の本を少し覗かせると、ズボンの裾を引きずりながら大きな頭を下げ、不恰好な歩き方で教室を出て行った。様々な言語に始まり、プログラミング、哲学、起業など彼はハマっては飽きるということを繰り返していた。私はその様子にうんざりしながらも付き合いを続けていた。
 そんな彼が、昨日死んだ。車に轢かれたと連絡があったのはもう彼が息を引き取った後であった。教室はざわつき、後ろの席の女子はひそひそと可哀想だなんだと話し始めた。人とは感傷的になりたがるものである。彼の口癖さえ知らぬ彼女らでさえ、あれこれと思い出すように哀しみの仮面を引っ張り出す。私は、そんな話しには興味がないというような素振りで、読みかけの本を開いた。少女と青年が海で遊んでいた。
 もうじき、学校に行く準備をする時間である。未だベッドから出られない私は寝返りを打った。布団の冷たさに、身が震える。母の呼ぶ声を無視し、携帯を開く。着信はない。数少ない登録番号の中から彼の名前を探し、削除のボタンを押した。もうこの番号を使うことはないだろう。私は布団から出る為、深呼吸を試みた。1度、2度、3度。呼吸をするたび、私の中の仮面がひとつ、溶けてゆくのを感じた。ひやりとした床に足をつけ、起き上がる。少し腫れた顔を洗い、服を着替え、鞄を持った。靴を履き、ドアに手を掛け。私は、心の中で呟いた。
 然らば、昨日は去りぬ。
然らば、昨日は去りぬ 木坂 京

トキそば
サヌキマオ

 昼に入った蕎麦屋では実に巧妙な手口で百円玉をちょろまかしていたので「俺もやろう」と思い立った。
(金額がどうこうという問題ではないのだ。ただあのような手口が人間に炸裂する。それがロマンというものではないか)
 私は淡路町から秋葉原に向かうまでにもまだ自己弁護していた。
(でもあれだ。うまく行けば百円、十回成功すれば千円の儲けだ)
 作戦通り大量の五円玉を持って蕎麦屋に入る。銀行がいやに混んでいて昼のピークタイムにはやや過ぎてしまったが、まぁ問題はないだろう。
 蕎麦屋は目抜き通りに面している。都内でもあちらこちらにあるチェーン店だ。自動ドアが開くたびに人間から機械的に発される「いらっしゃいまし」を受けて店に入る。「たぬき」「大盛り」とチケットを買う。カウンターにチケットを載せて「冷たい蕎麦で」と告げる。視界の脇、おそらくトイレの戸であろう扉の脇に四角く穴がくり抜かれていて、そこからふさふさとした鳥の頸がこんにちはしている。
 冷静に描写してみれば「絶滅危惧種として名高いトキ」であり「こんにちはしている」というのは「穴から首が出たり入ったりしている」ということである。穴の前には立派な手桶が置いてあって、トキが中身を懸命に啄んでいる。おそらくどじょうか何かだろう。蕎麦の出来るまでの間、私はこの鳥の首の出入りする穴を見つめていた。天頂から首にかけての白くふさふさとした羽毛、黒く長いくちばし、そしてなによりも、顔は真っ赤な皮膚が露出している。
(トキ……だよなぁ)
 他の客は、他の客はどうだろう。店の中には私の他に十人ほど、店の規模に対して半分以上は席が埋まっていて、その内みんな、いや、半分ぐらいがトキの方を気にしている。そうだよなぁ、気になるよなぁ。
 手桶の中のドジョウを平らげたトキは穴の奥に引っ込んだまましばらく出てこなかった。と思いきや、ずっとトイレだと思いこんでいた扉がゆっくりと開くと、中からトキがのそのそと出てくる。おもったより小さかった。頭がわれわれの座る椅子の高さほどしか無い。客の視線を一身に浴びてトキは入り口に歩いていったが、逆に店に入ってこようとした観光客の外国人が「まいがっ」などと叫んだものだからトキも驚いて、体中の羽毛を逆立てて羽ばたいた。
――といった事情なんですが信じていただけますか?
 全身を羽根虱に噛まれた私こと患者を前に、皮膚科医は眉根を寄せて考え込んでいる。
トキそば サヌキマオ

詩仙人
石川順一

 私は詩仙人に弟子入りした
 詩仙人は「見よこの詩を」と仙人の詩を見せてくれた
「障子戸と胸痛」
ネアンデルタール人の入浴が
長いので障子を
長く閉めて置いた
胸痛も長く続くので
日記の文字を訂正して
先生の後頭部を
大きな手で張り倒した
マルシェ宮殿では
ボールペンに静電気を
仕掛けて売れなくする
早朝に鐘や扉で
大きな音を出して
朝の勤行や
風呂掃除をやり辛くしたり
していると
障子戸の紙は破かれ
全てプラスティック板に
張り替えられた
長く閉ざされた
障子戸に
長い胸痛だけが残された
2017年3月28日27時30分印刷
 詩仙人は再び詩を見せてくれた
「日常生活と傷」
細いピンクの傷跡が風呂場で出来る時
西方浄土は近いと
予感する
傷付けただけでは無くて
傷跡すらも
風呂場で出来たと
私は自覚して居る
「出来た」のでは無い
自ら傷付けたのだと
自らに言い聞かすのだが
西方浄土の堅固さの前には
自らの傷など
脆弱なのだ
飽きるのだ
馬を追って居るのだ
アバを聞いて居るのだ
ルーキーが魚だったのだ
それら私の日常が
夕暮れが近付いて
曇り出して困った
2016年5月28日(日)16時20分
 「詩仙人、2015年の詩は?」
 「うむ、あるぞよ」
「夾竹桃」
耳が又聞いて居るのは
海の貝殻では無くて
海の響きでは無いのです
東の駐車場
西の華族
北の学校
それらが豆腐に見えて
コンクリートの台で
足を滑らせて居るし
雨の日の
雨音を、聴いて居るのです
岸壁の母が
私には見えるのです
雨の日は合羽を着て
夏の日々はパラソルを差して
深部を見て居るのです
パピルスに書かれた文字を
理解するかのように
呻吟すると
雨は小止みと成り
公園のベンチに腰掛けた
あつあつのカップルが居ます
戸が軋んだ
公園の防虫ネット
殺虫剤散布ネットが
夾竹桃を包んで居ました
2015年3月18日(金)詩作印刷。
 「詩仙人今年(2017年の詩は」
 「冒頭に朗読したろうが。でももう一作披露するか。途中で終わってしまうかもしれぬが」
「シャドーの一撃」
シャドーの一撃が
屋根を壊す
早朝四時に出勤し
十時半頃には帰宅する
シャドーの一撃が
虹を築き
屋根は補修される
グータラを生み出し
屋根を壊すだけでは無くて
虹を築き
屋根を補修する
シャドーの一撃だけが
私を生かしている
路傍に石が落ちていた
私は物の弟子にも成ろうと
務めるだろう
2017年2月26日16時06分印刷詩作
 「何と字数が時間が足りたではないか」
 「間に合いましたね、字数が足りました」
 私は詩仙人と別れて帰宅した
詩仙人 石川順一

少女読本
今月のゲスト:村井弦斎

  
「お父様、今朝は寒くって、手洗水に氷が張りましたよ」
「その氷はどうしました」
「ししゃくで叩いて壊そうとしましたけれども、なかなか壊れません」
「ししゃくと云うものではありません。ひしゃくとおっしゃい」
「アラ、ひしゃくが本当ですかネ。お父様、水と氷はどっちが重いでしょう」
「氷は水の中に入れると浮きますから、氷の方が水より軽いのです」
「それで氷はいつも浮いていますネ。そのくせ水より堅くって、冷たいから重いように見えますけれども、やっぱり氷の方が軽いのですかネ」

  重い物
「お父様、石油なんぞは水の上に浮きますから、やっぱり水よりも軽いのですネ」
「そうですよ、石油も軽いものですし、他の油も大概水より軽いから水の上に浮きます」
「世の中で一番重い物は何でしょう」
「それはイリヂュームという鉱物で、水より二十二倍余の重さがあります。その次はプラチナで二十一倍余の重さがあります」
「プラチナというのは、お父様の時計の鎖についている銀のような白い金ですか」
「そうですよ。あれは銀のように見えても銀より二倍の重さがあります」
「お父様、その次は何でしょう」
「その次は金です。金は水よりも十九倍の重さがあります」
「お父様、鉛と銀はどっちが重いでしょう」
「鉛の方が重いものです。鉛は水の十一倍で、銀は十倍です」
「水よりも一番軽いものは何でしょう」
「硝子壜の栓にするコルクですネ。あれは水の四分の一だけの重さしかありません」
「コルクというのはコロップですネ。道理で水によく浮くと思いました」

  軽い物
「お父様、一番軽くって、軽くって、もうこのうえ軽いものはないというほど軽いものはなんでしょう」
「水素瓦斯と云って、風船の中などへ入れる瓦斯ですよ」
「『風船物語』の風船を飛ばせる時、その中に入れたものですネ」
「そうですよ。あれは空気よりも軽いから、上へ昇るのです。風船が高く昇るのは、空気の中に浮くのですよ」
「じゃコロップが水に浮く通りですか」
「そうですよ。しかし、空気は上へ行けば行くほど薄くなりますから、空気の薄い処まで昇ると、もうその上へは昇れません」
「鳥と風船はどっちが高く昇りましょう」
「いつか『グラント物語』の時お話したコンドルという大きな鷲は、鳥の中で一番高く昇りますけれども、風船はそれよりも高く、富士山の二倍以上も昇ります」
「そんな高い処に鳥を持って行ったら、どうするでしょうネ」
「風船に鳩を載せて行って、一番高い処から放すと、鳩は飛ぶ事が出来なくって、石のように下へ落ちるそうです」
「鳩はさぞびっくりしましょうネ」

少女読本 村井弦斎

新年
今月のゲスト:高浜虚子

 或る年の新年の事であった。友人と上野の停車場に落合って汽車に乗ったのは二時過ぎであったが。今朝からの曇りが遂に雨を落として窓から見る外の景色は寂しかった。
「暗いねえ」と友人は言った。
 向えに腰かけている人の巻煙草の火が目立って赤く見えた。
うやって汽車の窓から見るといつも見馴れたこの辺の景色も変ったものに見える。今日の時雨日和しぐれびよりは新橋から来る汽車よりも此処ここの汽車の方がふさわしい心持がするね」と言って私も車坂くるまざか町や上野公園の寒い色を眺めた。
 家々の門や軒には松飾や〆飾がしてあった。それが新年であるから仕方無ししたというような気乗りのしない色をして立っていた。少し萎びた笹の葉にはすかいに降っている雨の筋を見るのも冷たかった。
此方こちらの汽車にはちっともいい客車を用いないようだなあ」と便所もついていない、区切りの沢山にある客車を乗客の一人は見廻した。
それに速力も東海道線よりは大分遅いよ」とその人のつれは相槌を打った。
 汽車は根岸から日暮里につぽり、田端を過ぎて王子にとまった。私は王子の製紙会社に知った人があって其を尋ねて来たことがあったが其はもう十四五年も昔の事である。煙も吐かない大きな煉瓦れんがの煙突が灰色の空に幾つとなく突立っていた。
 門松の立った社宅らしいものもあった。軒並に飾の張られた町も見えた。しかし雨に濡れながら羽根を突いている二三人の男女が淋しく目に映ったばかりであった。
 汽車はそれから北へ北へと走るのであった。武蔵野の平原の黒い土には柔らかい枝振りをした様々の木が突立っていた。枝を縦横に出して丸い玉のように膨らんでいる木もあれば、箒を立てたようにただ真直ぐに立っている木もあり、矢尻のように尖っているのもあった。がその形の如何いかんに拘らず、いずれの枝も柔かい感じがした。私は横様よこざまに時雨れているそれ等の木立や、その木立に守られ顔な小家などを見て黙っていた。友人も黙っていた。
 この友人とは殆ど五六年振りにんな旅行を共にするのであった。以前は月に一二度は出逢って一緒に郊外の散策などを試みる仲間の一人であったが、私が其等それらの友の群から一人脱して全く外なある職業に携るようになってから、そういう機会は絶無になった。又つとめてそういう機会を作ろうという気分にもなれなかった。その友と今日斯うして久しぶりで一緒に旅行をするのは、矢張やはその頃の友人の一人で今熊谷くまがやある官署にいる友人をおとなうがめであった。
 私はいろいろの事を考えていたが余り多くを話さなかった。友人も自然口数をきかなかった。
 二時間余りして汽車は武蔵野の果てまで来たのであった。其処そこに熊谷という駅はあった。
 下車すると我等はおおいの無い所を暫く歩いてそれからブリッジを渡るのであった。私の古い外套も帽子も雨に濡れた。私は降りそうだと思いながらも雨具の用意無しに家を出たのであった。
 改札口には其でも可成かなりの人が先を争って出た。その出る人の中には都会の人らしい人も交っていた。それに拘らず、
「淋しい田舎町に来た」というような心持こころもちを起こさずにはいられ無かった。雨具の用意無しにんな町に下車するという事が殊に淋しかった。
「ああいるいる」と友人は言った。見ると此地このちにいる友人は等を迎えに来てくれているのであった。改札口を出る人の蔭に我等を見つけようとして此方こなたを注視しているその顔がすぐ私の眼にも映った。
「いるいる」と私も言った。
 三人は雨垂れの落ちている停車場の軒下に立って別に改まった挨拶をするでも無くただありふれたことを二言三言言った。
 停車場前の宿屋は二階の戸袋をペンキで塗って其に山城屋という屋号を記していた。その門松のところにはくるまが一台いた。
「君は雨具が無いね。俥を呼ぼうか」と出迎えてくれた友人は言った。
「いい、話しながら行こう」と言って私はわざと真先に雨の中に立った。傘をさした二人の友人は左右から私にさしかけてくれた。

(明治四十四年一月)