Entry1
再会
Bigcat
太平洋戦争が終わろうとしていた年の夏。沖縄は連日、地獄の様な暑さが続いていた。洞窟の前に立って中の様子を伺っていた、ピーター・トンプソン海軍中尉は部下に銃から手を放すように命じた後、中の日本人たちに壕から出て来るように大声で呼びかけた。
入口付近は射殺された日本兵の死体がごろごろ転がっていた。おそらく、奥には敵兵や民間人がひそんでいるに違いないと直観した彼は再び投降を呼びかけた。しかし応答はなかった。
彼は迷った。中へ踏み込むことは危険だった。かといって安易に火炎放射器を使うようなことはしたくなかった。銃を取り直し、思い切って血の海の中を数歩踏み込んだ。大きな岩にぶつかった。岩陰で人が動く気配がした。彼は銃身を伸ばしながら近寄った。そこにいたのは10歳ぐらいの少年だった。血の海の中でぶるぶる震えていた。よく見ると左脇腹に銃創があって、おびただしく出血していた。
ピーターは自分のシャツを引き裂いて、当座しのぎの包帯を作り、少年の出血部分を巻いた。抱き上げて、「ナマエハ」と尋ねた。
「かつとし」と少年は震え声で言ったあと、腕をピーターの首に回した。少年の頬がピーターの頬に触れた時、ピーターの視線は左方に人の動きをとらえた。二人の日本兵が立っていた。銃口を彼に向けていた。数秒間が経過した。ピーターは表情をこわばらせながら軽く頭を下げて会釈した。日本兵は銃口を下げ、微笑して、お辞儀した。ピーターは少年を抱きかかえたまま、入り口の所まで後ずさりし、少年の体を部下に託した。少年は救護班に運ばれ、日本兵と民間人は洞窟からぞろぞろ出てきた。
戦争が終わって40年が経った。ピーターとこのエピソードに登場する日本人たちとの接触は全くなかった。しかし、ある日ピーターは日本兵の残虐ぶりをテーマにした長編映画を見て不快な気持ちになり、映画会社に沖縄戦時の自分の体験を綴った手紙を郵送した。この話がどういうきっかけか、回り回って日本の新聞に紹介され、当時洞窟にいた日本兵の眼に触れることとなった。その日本兵は名乗り出て言った。
「私がアメリカ兵に銃口を向けた時、彼は全く気付かず、一心に子供の手当てをしていた。私は胸が熱くなって発砲をやめた」
二人の元兵士は東京で再会したが、話はまだ終わらない。少年も生きていて、アメリカで働いていることが分かった。二人はニューヨークで会い、頬を触れ合って再会を喜んだ。