Entry1
猫遣い vs 猫の話
サヌキマオ
猫は人間には従わず自由気ままに生きるものであるが、発想を逆転して「『自由気ままに生きていると本猫は思っているが、その実コントロールされている』という状況は作り出せないか」という人があった。この思いつきから開発されたのが「量子力猫言うこと聞かせ機」である。「量子力猫言うこと聞かせ機」は紆余曲折あって「猫ボール」と命名されて公開された。
猫ボールは名の通りピンポン玉大の球状をしている。装置から発生される「猫なんとなくその気になる電波」(CNS波・2025)が猫の脳に働きかけ「なんとなく水洗便器で糞をしたくなる」「なんとなく水洗のコックをひねる」「なんとなく皿から溢れたカリカリから先に食べる」などの行動を起こさせしむる。2027年には異なる波長のCNS波を組み合わせることによって、より複雑な行動をさせる気が起きるようにさせしめることが可能となった。具体的には「咥えた手紙を運ぶ」「道端のゴミを拾って一箇所に集める」などの行動である。
2031年、住宅街の一角にCNS波のアンテナを張り巡らせた実験では、郵便局から民家への郵便の配達に成功する。この実験が報道されるやいなや、一斉に官民の企業がCNS波の商用利用に向けての計画を詳らかにし始めた。猫を使った軽量物の流通(2033)、猫を使ったうどん造り(2041)……猫の手を借りた産業はまさに猫の家畜化、いや「市民化」といっても差し支えないだろう。
「や、ご苦労さまです」
こんなに頑丈な扉にしなくてもいいのに、と来るたびに思う。犬似颯之介、SNC波の発明者その人だ。忙殺されてつい二週間ぶりになってしまったが、病棟は一切の時が止まっているように思える。それはまた、颯之介が目まぐるしく変化する世の中に常に身をおいているからだ。
褪せたミントグリーンの廊下の奥では多目的ルームのドアが開けたなたれている。よく暖房のきいた広い部屋の中で、ジャージ姿の男女が幾人も床に寝転がったり元気よく飛び跳ねてたりしている。
「犬似さん、息子さんがお見えですよ」
颯之介に付き添ってくれた主治医が声をかけると、ソファでうつ伏せに寝そべっていた父がチラとこちらを見て、大儀そうに尻をくねくねと振ってみせた。
「まぁ、概ね元気ですよ。こっちに来るのが億劫なので『来たのは判っている』と意思表示だけしてくれたんでしょう」
どうみても猫が憑いたとしか思えない、という患者が爆発的に増えているそうである。