Entry1
ジョンソン南島から
サヌキマオ
上野の駅前の雑居ビルの一階にチェーンの立ち食いそば屋があって、ここのおかげで、東京の大抵の立ち食いそば屋の天ぷらそばが四百十円だということを知っている。建物が古いがゆえに汚い店なので、平日の昼時に入っても余裕を持って蕎麦を食うことができる――そんな話をこんな南太平洋の島ですることになるとは思わなかった。
ジョンソン南島というのはミクロネシアにある小さな島だ。もともとアイオランド島にトローリングのつもりで出かけていたのだが、現地のガイドが「ホエールウォッチングの穴場がある」と誘われて連れてきてもらったのだ。島の中心部であるグータイの港からジョンソン南島には小さな漁船で一時間少し。名前のとおり、かつて十九世紀後半にジョンソンという植物学者が見つけた島で、アイオランド島から南にあるのがジョンソン南島、西にあるのがジョンソン西島ということになる。
ジョンソン南島は小さいながらも波待港として今も機能していて、二十数人の村人が暮らしているという。グータイ港から見ても切り立った高い崖が屏風のようになっていて、ここならば船が波風の影響を受けにくいだろうというのがわかる。
幸運にも水面スレスレを往くシロナガスクジラを眺めたあと、南島で少し休んでからアイオランドに戻ることにした。崖の縁に立つ、町で唯一の酒場で地元特産のラム酒のようなものを飲む。サトウキビを蒸留しているからラム、というわけではないらしい。不思議な香料のソーダで割ったものを二三杯も飲むとおしっこがしたくなった。店の人に案内されるままに入口の扉から裏手に出ていくと四阿が見える。四阿には大便用の個室がふたつある。壁の一面に樹脂の板が張ってあって、海に背を向けてした尿は岩に掘られた溝を伝って海に落ちていく仕組だ。ぼーっと用を足していると視線の先に絵の入った小さな額が下がっている。これはなんの絵だろう。どこかの町のくたびれたような扉と、扉にかかった消臭剤入りのお人形。なぜ私は、これを消臭剤だと知っているのだろう。
ぎくりとして振り返る。あっと声が出る。上野のそば屋のトイレにある写真立ての写真と、眼の前の海が全く同じ景色なのだ。この絵の作者も、このアイオライト島と上野の立ち食いそば屋の両方を体験した一人なのだ!
今すぐにでもこの奇跡を誰かに伝えたかったが、ガイドも釣り仲間も不思議そうな顔をして首を傾げるばかりなので、とても悔しい。