感想:「パノプティコン」
作者がナニを思ってこの作品を書こうとしたかが今ひとつピンとこない。
「彼は9度目にして、気絶すると言う選択肢を自ら選んだ」という成長を面白いと思って書いたのかしらん。
いまひとつ、作者自身がそのへんをはっきりと分かっていないフシを感じる。
「うにきゅう」
「うにきゅう」の呼称は「うに」じゃアカンかったんだろうか。「きゅう」はどこから来たんだろうか。
「なんだかんだで愛着わいちゃって」という部分にいま一つ共感できず。いやぁ、こんなんおったら普通に怖いわぁ。
「鬼婆の棲家」
こう、裏に蕎麦畑があるのが、行き届いていると思います。
この点だけで投票してよい。
「ノギス」
ノギス好きやなぁ自分。
「ワニシャーク! 法隆寺SOS」
この辺のよくある「日本に対する間違った認識」というのはソース元がある程度存在しないと面白みに転化しにくいと思う。
完全なジョークとして云っているとすると、周りのリアクションが妙に素直だしネ。
「群」
タイトルを「群」にしながら、群はバックグラウンドというのが面白い趣向であると思います。
投票者: このバトルへの参加作者
感想:Entry1 パノプティコン
お試し第1話、といった処でしょうか。ベンサムによるパノプティコンは(彼としての)幸福の追求の一環ですが、作品におけるこの施設の真の目的は一体何なのかと関心を惹かれ、謎を含んだ最後のセリフも、掴みとしては好いと思います。しかし、これだけでは評価できません。続きが読みたいところですが……
Entry2 うにきゅう
さすがにこんな怪生物?を部屋の中に放置はヤバい。主人公は超常現象に対する経験が乏しい割に包容力が豊かすぎます。
経験値の高い人間(主人公たり得る人物)ならそれなりの逃げ道を持つものですが、これでは典型的なモブの犠牲者です。つまり話としてもここで終了なのが残念なところで、何か話の外部に繋ぐ点だけあれば、その先は考えてなくとも余韻となります。「オレ」に彼女いるとか、SNSとか。いや、やっぱやめた方が良いか……
Entry3 鬼婆の棲家
最後、唐突にギャグのようなものを打ち込まれ、でもそんな笑うようなものでもなく、救われたような突き放されたような、妙な余韻に終わる。落語のシュールなサゲのようです。
この最後の2行が、ソバの茎にまつわる民話を引用する代りとなっています。正統な演出ならば合間合間に民話のイメージを挿入して、鬼婆の印象を補助するのでしょうが、そうはしません。むしろ陰惨な本編をサラッと流して締める雰囲気で、テクニカルなものを感じます。
Entry4 ノギス
ああ、このノギス持ってる。オレンジ色の。ええ、一度も役立ったことありません。もちろん普通のノギスもありますが、まあ使いませんね。
そして時計屋?の爺さん三吉、時間は気にするものの、時は止まってます。外界の時の流れとの唯一の接点たる融資返済もあと三ヶ月で終えるようです。ノギスは何も測りません。何もありません。こう、エントロピーの黄昏みたいな終末感があります。怖いのは、それを否定もせず何を求めもしない(でも不快は嫌という)三吉の生温い淀みのような心でしょうか。まあ老人としては一般的な姿ですが。
Entry5 ワニシャーク! 法隆寺SOS
「ビッグフットVSゾンビ」という映画を観まして。監督は時間泥棒として有名らしいのですが、そこにジャストタイミングで『おめー、ご当地シャーク書けよ。あと2時間で』と心に誰かのメッセージが届きまして。本作をポロニア監督に捧げます。他の作品は観たことないけど。
Entry6 群
男女が手をつないで歩くのは「無遠慮」とのこと、暗がりで「幾組も、幾組も」手を引き合って歩く花火大会は、まあ今もそうかも知れませんが、遠慮を開放する場でもあったのでしょうか。開放された「群れ」に対して、主人公は距離を置いているように振る舞っていますが心中はそう変わらないのかもしれません。
作者が姪っ子と過ちを犯すのはこれを書いた数年後でした。
さて投票ですが、今回、ごんぱちさんのにします。
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