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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第24回バトル 作品

参加作品一覧

(2019年 12月)
文字数
1
サヌキマオ
1000
2
ごんぱち
1000
3
蛮人S
1000
4
石川啄木
808

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とどのつまり
サヌキマオ

「親方買ってきましたァ、今度こそ間違いないです――なんで魚一匹買ってくるのに八百屋に行って寄席に行って証券取引所にまで行かなきゃならなかったんだか」
「買ってきたんだったらなんだっていいが……こりゃあイナじゃなねぇな、ボラだよ」
「イナんなっちゃうなぁ、魚屋さんはイナだっていってたのに」
「こういうのは出世魚っていってな、小さい時からオボコ、イナッコ、スバシリ、イナにボラってんだ」
「なんです?」
「大きくなるたびに名前が変わるんだよ、オボコ、スバシリ、イナにボラだ」
「男いなくて寂しきイナバウアー?」
「おまえね、一回耳か脳の医者に行ったほうがいいんぢゃないか……まぁ兎に角、最後にはトドになるン」
「急にでかくなるね」
「知ってんのかい?」
「間宮海峡の浜辺でのたくってる」
「そのトドぢゃないんだ、トドってのはそうだな、出世魚の殿様みたいなもんだ」
「殿様は北に渡ってニシン御殿を建てました、バンザーイ」
「ナンダカヨクワカンナイ」
「オボコってのはなんでオボコっていうの?」
「オボコってのは子供のことだよ。おめえも知ってんだろう、若い娘をオボコって呼ぶの」
「ああ、未だ通じぬ女だね。未通女」
「なんでそう難しい言い回しだけは知ってるんだろうね」
「人間と同じだ、最初は花も恥らうオボコで、男いなくて寂しきイナバウアー、で、最後にゃトドになるんだ」
「だから最後はとどのつまりってんだ、よく覚えとけ」
「やれやれ、教わってんだか小言を言われてんだかわかんないや」
「あら定吉じゃないか、ちょとお待ちよ」
「なんですおかみさん」
「なんですじゃないよ、あんたこの前、明石町の大石さんの法事の仕出しだって注文受けたけど、六膳も多く注文を受けたってぇじゃないか」
「そうなんですよぉ、大石さん四十七膳だって伺ったんですが、実は四十一膳だったんです」
「仕出しの御代が四十一膳分しかこないからおかしいと思ったんだ、残りのお膳はどうしたんだい」
「残りのお膳は……お膳は綺麗に洗ってお返しいたしました」
「そうじゃないよ、お膳の中身はどうしたんだってんだ」
「い、犬です。大石さんのところに行く途中で野良犬に出くわしまして、どうしても怖いしおっかないし、仕方がないのでいく膳かおいてきたんです」
「犬がえびの尻尾を残して食べるかい! 売り物を六膳も……このやろう、大法螺吹き!」
「ははぁ、おかみさんも知らねえんだな。ぼらの大きいのを、トドって云うんだ」
とどのつまり サヌキマオ

りたぁん・おぶ・大阪のカエル
ごんぱち

 昔、大阪にカエルがおりました。
 カエルはある日、ふと思い立ち、京の都の見物に行く事にしました。
 大層難儀をしながら旅を進め、天王山のてっぺんまで辿り着いた時、反対側からやって来た京のカエルと出会いました。
 二匹は互いの目的地を、背伸びをして眺めました。
 ところが、大阪のカエルの目に映った京の都は、大阪と同じ街並みでした。京のカエルも、大阪が京と同じ街並みだと話しました。二匹はがっかりして引き返しました。
 実は、蛙の目は背中に付いているので、背伸びをしたら後ろ、つまり自分達の町が見えていたのです。

 数年が過ぎました。
 大阪のカエルは、京からやってくる牛や馬や鳥の話に、聞くと話に耳を傾けていました。彼らが口々に語る京の都は、平安の時代を思わせる雅な姿で、大阪と同じだなどと言うものは誰もいません。
 対して、カエルが「同じ」だと思った根拠は、天王山からの眺めだけ。百聞は一見に如かずとは言うものの、見えた物は所詮は屋根や路地で、その一つ一つがどんな建物であるかも、お城の天守閣の細工も分かりません。物事は外見だけではない事も分かって来ています。遠くと近くとで全然違う見え方をするものもあるでしょう。あの時居合わせた京のカエルにしても、どれほどの見る目があったかも分かりません。
 そんな事を色々と考えるうちに、大阪のカエルはやっぱり京の都をきちんと見たくてたまらなくなってきました。

 大阪のカエルは再び京の都を目指す事にしました。
 今度は旅で難儀をしないように、水無月を待って、三里に灸を据えてから、弁当にバッタを三匹ほど背負って出発しました。
 旅は順調に進み、ついに天王山へ到着しました。
 カエルは懐かしさも相まって、ぐぅっと背伸びをして京の都を眺めようとしました。
「おっといけない」
 背中を京都の方に向けます。経験を積んだカエルは、背伸びをすると後ろが見えてしまう事を知っています。
「やや!?」
 カエルは驚きに目を見張りました。
 かつて背伸びして見た時の風景と、今見ている京都の街並みが全く違うのです。
「なんという事だ」
 カエルは座り込んで溜息をつきます。
「すっかり建て直されてしまった!」
 何年も経って、カエルは昔の自分が間違えた背伸びをしていた事を忘れていました。
「古い街並みが残っていないなら、行く価値もない。ああ、残念な事をした」
 がっかりしてカエルは、また大阪に帰って行きましたとさ。
りたぁん・おぶ・大阪のカエル ごんぱち

よみがえれ正義
蛮人S

 陽は傾きつつあった。Sはペダルを踏む、寂れた城下の外れ近く、やや閑散とした市部を家へと向かう。これから旧市街を抜け、田畑に沿った道路を走り、山裾まで走るという帰路だ。半時以上かかるだろう。
 旧びた田舎城下の常として、車は隘路の入り組む市街を避けた周辺の県道へ集中する。その傍の歩道にSは緩慢に自転車を漕いだ。全般として登り気味となる道が、帰途の疲れに相俟ってSの表情を険しくした。晩秋の風は、凍えるとは言わぬまでも、頬を肌寒く強張らす。後ろに流され強張った髪ともども、あまり社交的な風貌ではあるまい、とSは思う。
 行く手の交差点の信号は青だ。あれを渡りきりたいとSは思うが、速度を上げられないのは、歩道に黄色い帽子の小学生の三々五々、何やら荷物を提げて前から次々歩いて来るからである。この町にこんなに子供が居たかと思いながら、そのまま交差点に到達し、突っ切ろうとした時だった。
(無い……)
 有るはずの横断歩道が無い。歩行者信号も無い。横断禁止と言わんばかりだ。停まって横を見ると歩道橋があり、黄色い帽子たちがその上を流れていた。子供らは何の屈託もなく、交差点の対岸から階段を登り、橋を渡り、そしてこちらへ続々、楽しげに降りて来るのだった。自発も強制も感じさせない、ただ普通に昔からの道のような流れであった。
 そのまま下を渡れないわけではない。道路と歩道を隔てる柵は交差点で途切れ、少なくともSの自転車がそのまま進むには支障は無いのだ。無いのだが。
(何が俺を引き止めるのか……まさか)

 怪獣が現れた。不細工な奴だった。
「子供達が危ない!」
 俺は右手を掲げ、本部への通信回路を開いた。無職のオッサンとは仮の姿、その正体は正義の超級サイボーク、スペクタクルマンなのだ!
『変身せよ、スペクタクルマン!』
「了解!」

【主題歌】スペクタクルマン・ゴーゴー

地球ちきゆう防卫ぼうえい たすまで
 らいほしからんでくる
 スペクタクルマン スペクタクルマン
 ゴーゴー イェイェーイ スペクタクル!
 超能力ちようのうりよくたたかうぞ
 スペクタクルマン スペクタクルマン
 ゴーゴー イェイェーイ スペクタクル!


 Sは自転車をターンさせ、県道の反対側へ渡る横断歩道へと進んだ。遠回りだが、反対側には先へ進む信号と横断歩道があるのだ。向かいには若い女性が居て、なぜか自分を見ていた様にSには思われた。Sは眼を逸し、信号の変わるのを待った。背後に子供達は歩む。
よみがえれ正義 蛮人S

五百二十一
今月のゲスト:石川啄木

 外は海老色の模造革、パチンと開けば、内には溝状に橄欖オリーブ色の天鵞絨ビロードの貼ってある、葉巻形のサックの中の検温器! 37 という字だけを赤く、三十五度から四十二度までの度をこまかに刻んだ、白々と光る薄い錫の板と、透せば仄かに縁に見える、細い真空管との入った、丈四寸にも足らぬ小さな独逸製の検温器!
 私はこの小さな検温器がいとしくて仕方がない。美しいでもなく、歌をうたうでもないが、何だかう、寒い時にはそっと懐に入れてまでやって、籠の戸を開けても逃げない程に飼いならした金絲雀カナリヤか何ぞのように、いとしくて仕方がない。
 まる一年の間――そうだ、私の病気ももう全一年になる!――毎日毎日時間をきめて、恰度ちようどそれ一つを仕事のように、自分の肌のぬくもりに暖めて来た小さな検温器!
 左の腋に挾めばひやりとする。その硝子の冷さも何となくなつかしい。枕辺の時計の針を見つめながら、じっと体を動かさずにいる十五分の時間は、その日その日の気紛れな心に、或る時は長く、また或る時は短かくも思われる。やがて取り出して眼の前にかざす時、針よりも細く光る水銀の上り方は、何時でも同じように私を失望させる、『ああ、今日もまた熱が出た!』
 そうして三分も、五分も、硝子に残った肌のぬくもりのすっかり冷えてしまうまでも、私はその小さな検温器を悲しい眼をして見つめていることがある。そういう時には、ただ体温の高低ばかりでなく、自分にもはっきりとは分らない、複雑な気分の変化までが、その細かに刻まれた度の上に表われているようにも思われる。また時とすると、一年の間も毎日毎日肌につけていながら、管の中の水銀の色が自分の体の血と同じ色に変わらないのを、不思議に思うこともある。
 そうして裏を返せば、薄い錫の板には Uebes Minuten と栗色に記されて、521 と番号が打ってある。
 五百二十一! この数がまた私には、なつかしい人の番地のナムバーのように、何時いつしか忘られぬものとなった。