Entry1
八月四日 満つ蝉
サヌキマオ
今年の夏はカナブンが多い。アスファルトは骸だらけだ。蝉の抜け殻も散らばってはいるが、あきらかにカナブンのほうが多い。
息子を夏休みの預かり保育のために登園させていると、隣の小学校の校門脇に蝉の抜け殻が落ちている。抜け殻にしてはやけに生っ白いな、と思っていると、ひっくり返った胴体の上で長い手足がもそもそと動いた。まだ中身の抜けていない、終齢幼虫だった。
「メッツくん、それ」
息子を呼んで学校の塀の上に載せさせる。息子はえっという顔をしていたが、指示を理解したのか指先でむずと蝉を掴むも、ころりと地面に落とした。ああ見えて蝉の表面は滑りやすくなっている。
「もう一回」
息子は怪訝な顔をしたが、不承不承といった様子で、今度はうまく塀の上に蝉を載せた。コンクリートの塀の上で相変わらず仰向けにひっくり返っているのを直してやる。コンクリートには茂った桜の葉がいくつか掛かっていて、うまくすれば枝を伝って幹にしがみつくかもしれない。つかないかもしれない。
「いいことをしたね」
そのうち「助かりました」って蝉がお礼に来るよ、などといいながら息子を幼稚園につれていく。お地蔵様がある。習慣で二人して手を合わせる。「おんかかかびさんまえいそわか」メッツくん、真言うまくなったねぇ。
何点かといえばひゃくてんに決まっている。当所は真似のつもりで「おんがくさんぎょうごまんえん」とか呟いていた。
蝉は(一般的な昆虫図鑑レベルの話で云えばだが)卵として産まれてから六七年は土の中で過ごし、地表に出てからは半月から一ヶ月くらいを成虫として暮らし、子孫を残して死んでいく。とすると、もしさっきの蝉が羽化することなく息絶えたならば、せっかく七年死なずに済んだのに、最後の最後で失敗して生き物の役目を果たせなかった、のだろうか。
いや、それとも、蝉たちにとっては地中の七年こそが「楽しい暮らし」であり、いよいよ臨終の時を知って、よっこらしょいと地表への道を掘り始めるのだろうか。我々が古来から夏の青空の上に天国だかあの世だかを思うように、蝉も、別の世界に死ににいくのではないか。
もう、脱ぐべき殻はない。我々の肉体は、古びに古びた。
死の先のことは、もう誰にもわからぬ。
息子を送ってもと来た道を帰る。当然、先程の蝉はどうしただろうと思うだろうが、コンクリートの上、先程とまったく同じところで腹を上に向けてわさわさと蠢いている。