前の渓流の喧しい中で
河鹿が鳴いている。
雑鬧極まりない温泉場も
深更になると
蕭然としてきて、ようやく都離れした片山里であるという事が分かる。盛夏には別して水が少ないので、従って
瀬々の音が高くなる。その頃は避暑の客が四方から集まって宿の繁昌、我にとりては大迷惑の混雑を極める、それほど誠に落ち着いて湯にも入れぬ始末だ。
今夜も人が寝鎮まったから一人でゆるりと汗を流そうと、部屋を出て廊下伝いに湯殿へ行った。
谷の底のようになっている浴室へ降りて行くには、よほど長い階段を下らねばならぬ。降りてしまえば丸で別世界で、喧しい渓流は聴こえないけれども、龍の口から出る湯殿と水瀧との音は、絶えず音楽を奏するかの如き響きを漲らしている。
三方が硝子戸である浴室の外は、苔蒸したる岩石の絶壁で、何んの事はない大きな井戸の中を見たようだ。余は緑色のカアペットを敷きつめてある板の間に浴衣を脱いで、すぐさま湯船に飛び込んだ。
大理石で畳んである流し場には、大きくいうと瀬を造ってざあざあと湯が溢れて居る、実に勿体ない様だ。湯船の中の自分が動くたびに波を打って、一層石の上の瀬が高くなる。このとおり湯が多量なのと、絶えず湯が替わるので清潔なのと、湯加減の肌触りが好いのとで、昼間の
雑鬧には閉口しながら、未練を起こして今日まで居るのだ。 あまり好い心持ちなので知らず知らず眠くなる。湯船の隅へ行って両手を縁に掛けて居ると、湯の湧き出るのと共に身体が浮いて、後には流れ出しそうになる。
小声で詩を吟じながら、ふと湯滝の落ちている湯壷の方に目をつけた。厚い摺り硝子に包まれたうえに湯気で曇っている電気灯が、おぼろげに照らしているので、ようやく発見したのは、驚いた、雪の中に鷺が居て、大理石の白い処にまた真白な物体が、我と同じような事をして居る。すなわち湯船の縁へ両手を掛けて、身体を漂わせて居るのである。けれどもこれは寝ている、正体なく眠って居るのだ。なおよく電気灯に照らして見ると、それはこのごろ客来の多さに女中が手回りかねるというところから、この宿屋の親類で五六里隔たっている田舎の娘、今年九歳になるのが、二三日前から手伝いに来ている、その子である。たしか継子だと言う事だ。
可哀想に働くのに馴れないものだから、朝早くより夜遅くまで、牛馬にもあるまじき程追いつかわれた為に、すっかり
草臥れてしまって、寝がけに風呂汗を流してと思って入ったまま、もう堪らなくなって、好い心持ちに湯の中で寝てしまったものと思える。ついでに髪を洗ったと見えて、散らし髪が黒々と石の上に分かれている。
少女というものは誠に罪の無いもので、それが寝てしまってはなおさら一点の汚濁がない。清浄である、潔白である。浴泉の天女の図を
正物で拝む事が出来たので、頭の天辺から足の裏まで、鋭利なる錐で貫かれたように、美感にうたれた。
蕾の花は散らしたくない、新月は山の端に入らしたくない、 しかしいつまでもこうやって眺めている事はできない、起こしてやらないと、湯気に上がるか、風邪をひくか、どちらかである。
とは言うものの、折角心地好く寝ているのを、今起こすのは何となく無惨のように思われてならぬ。
起こしてやるのが慈悲とは知れど、どうも手を下すに躊躇した。
けれども限りのない事があるから、思い切ってそちらへ行って、二声三声呼んで見た。
起きない。なお大きな声で呼んで見た。それでも起きない。近寄って見れば見るほど可愛らしい顔、起きているのではあるまいかと思った。笑うて居るのではないかと思った。
ここに不思議がある。その可愛らしい顔がいかにも蒼白い。
電気灯のせいかと思ったが、それにしてもいかにも蒼白い。
思わず知らず身の毛立って来た。急に出来るだけの声を発して呼び起こしたが、どうしても目を覚まさぬ。これまでと、その子を抱き上げて見ると、鳴呼、氷のように早や冷たくなって居た。
十千萬堂
藻の花や名も無き水の夕まくれ
松岡國男
散りて未だ風のさそはぬ童櫻
白くぞ見ゆるおぼろ月夜に
武田櫻桃
小地獄や霧の中にも湯の烟