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月曜日をぶっとばせ
サヌキマオ
同時視聴接続十万人の人気ヴァーチャルユーチューバーが「月曜日をぶっとばせ!」などとツイートしたのを受けてファンが月曜日をぶっ飛ばしたため、令和四年三月七日(月)はぶっ飛ばされて時間軸の脇の砂利に転がり落ちた。本人からすれば何が起こったのかわからないままきょろきょろとあたりを見回していたが、冷え切った足元の砂利と、仰ぎ見た時間軸で三月六日(日)と三月八日(火)がみるみる間を埋めていく様子を認めるとそのままがっくりと頭を垂れた。
月曜日がその身に持った月曜日ゆえに迫害されるのは古くからの因習であるが、それでもため息をつきながら持ったが病として会社や学校へ赴くのが人間の人間たる所以ではなかったのか。考えてみろ、月曜日が居なくなれば火曜日が、火曜日が居なくなれば水曜日が週明けとして設定されるがゆえに「月曜日をぶっとばす」という行為はナンセンスであると論理は展開し結論付けられたのではなかったのか。それともなにか、令和四年にして三月かつ七日であることが問題だったのか。令和四年三月七日は己の身体に刻まれた遍歴をあらためてまじまじと見る。三月七日、「キャプテン・クックがハワイに着く」「薩長同盟が成立する」「山手線の読みかたを『やまのてせん』に統一する」「松下電器(現パナソニック)が創業する」どれもぶっ飛ばされるほどのことはないように思える。いつしか履歴の一番上、令和四年の三月七日の項目に「三月七日、ぶっ飛ばされる」という記事が追記されている。するというとなんだろう、すべて偶然なのか。そうか偶然、そのヴァーチャルユーチューバーとかいうやつが「ぶっ飛ばせ」とか云ったばかりにぶっ飛ばされたのか。おれは。おれは。
いつまで悔やんでいても仕方ないことはわかっていた。しかし、純然たる日付であるところの令和四年の三月七日(月)になにか未来はあるのだろうか。きっと先程の「ぶっ飛ばされた」記事以降、永劫項目は追加されることはないであろう。となったら――令和四年の三月七日の脳裏に閃くものがあった。そうか、やめてしまえばいいんだ。
「わたしはタヌキです。わんわん」そう思うと急に未来が開けた気がする。耳が生え、もさもさと毛が生え、しっぽまでそろうと急に腹が減ってくる。
何が食べるものはないかしら、そう思った矢先頭上の線路から三月十四日(月)が勢いよく弾き出されてきて、タヌキのすぐ脇の砂利に頭からめり込んだ。