俺の花
今月のゲスト:溝口白羊
俺の花は最早凋れるんだ、明るい晴れた日に、彼のいつもの翼の青い小鳥が、涙の出る程美い声で囀ってる時に、カラリと散ってでも了うことか、メフィストオの魔術の群のように、顔面神経の下垂るんだ、醜い灰朽葉色の皮膚をして、長患いの後のような痩せこけた衰残の骸をガッカリと垂れて、イヤに湿潤した、気圧の重い、暗鬱な、そして総ての物が動物性の腐飾た息をする斯んな日に、手は手、足は足、胴は胴と弄り殺しされる芝居の美しい侍女のように、一弁ずつ強い大きな力でもがれては散って行くんだ。
でも家の者は皆昼寝して居る、これ程の無残な花のしにめに奇特な経文の一つも手向けようとする行きずりの僧も無い、よく表を通っては垣根越に俺の花を見て『綺麗な虞美人草だわね』と見知越の恋人を見るような強い憧憬の眼でジッと立ち止まっては嬉しそうに眺めて行った女学生も、無智な、冷血的な猫のように、ノソノソと空しく素通りして行く。
鐘が鳴る、何家かの寺で地獄の穴で撞くような鐘が鳴る、雨が降る、䔥々と雨が降る、俺の感覚の世界の物悲しい白い寂しさ、白銀の悲しみは静かに心の管を伝うて、顫い顫い灰色の暗へ吸われて行く。斯んな時に何処かで、白い髪の醜い穴掘りが、若い膏で黒く成った墓場の土をボサボサと掘り乍ら、頓て其穴へ葬られる美しい女の死骸を待ってるんだ。――陰惨な、大きい、暗い穴は一筋に深い地獄へ続いて居る、そして凹地を走る細い小流は、灰色の溷濁した渦を巻いて、コボコボと其穴へ辷り込む。
俺は幼さい時よく祖母の袖を持ってチョコチョコと寺詣りに従いて歩いた。緋の衣を着て紫の袈裟を掛けた四十位の坊主が其時、水晶の数珠を持った右の手で斯う壇を打つ様にし乍ら、
『美しい物は罪障が深いでのう皆来世には地獄の苦艱をするじゃ』と眉を顰めて長い息を吐いた。俺の美しい花も何処かの綺麗な娘も、地獄へ行くのだ、灰色の渦にもまれて――
俺の花はもう死ぬんだ、強い生の執着と死の苦痛の短い幕あいに、のた打ち廻る醜い死にざまも見せず、美しい覚悟をして、誰の祈祷も受けず、俺一人の涙に縋って、静かに有明の消えるように自分の霊魂の上に薄い喪服を着せ乍ら段々死んで行くんだ、それを見まいとピッタリ締めた俺の心の扉の前に青黒い雨が降る、蕭々と降る。
リンリンリンリンとけたたましい音をさせて号外売りが町を飛んでいった、其後に桂公胃癌と太い線で印刷した活字が、雨と泥とに汚れて、庭土の上にこびり附いて居る。美しい花の散るよりよい声の虫が死ぬよりもっと値打ちの低い現実の小さな出来事に、騒いで居る衆多の愚か者よ。
俺は思わずハラハラと涙がこぼれた。