こわれた飛行機
今月のゲスト:三宅やす子
「イヤだい、狡いやい。謙ちゃんが悪いんだい。無理にひっぱったからこわれたんだい」
「嘘、貸してくれってのに兄さんが貸してくれないんだもの」
「ホラ、もうだめになったじゃないか。返せ。もとの通りにして返せ」
「痛い、なにを?」
バタンと障子に仆れる音。
「よせ」
「ひどいや」
なぐりあう音。
(また初まった)
おしげは、洗いかけの皿小鉢を、トタン桶のよごれた水の中に投り出したまま、座敷にかけて来た。
「あぶない、およし。兄さん。まあ、そんな手荒な事を」
いつも弟に譲ってやる宏が、今日に限って、決して、あとへひかなかった。
「構うものか。馬鹿。こん野郎!」
ポカポカ続け様に打って、今度は、また足を揚げて、弟の胸を蹴った。
「…………」
押し仆されながら、弟は、真赤になって抵抗した。二人とも眼を血走らせて、凄い有様におしげは、呆れて手を出せなかった。
「そんなにしないだって」
制める声が、ふいとにぶった。
(オヤ、あの顔は)
打って居る兄の顔は、先夫健太郎の顔だった。
それに激しく争って居る弟の顔は、次の夫の松次――健太郎の弟――の顔だった。
健太郎は、死ぬ間際まで、松次との仲を疑っては居ないようだった。でも、ひょっとすると、知って居て黙って居たのかもしれない。永い病人だから気兼をして、知らぬ振をして居たのだろうか。
望み通り、晴れて夫婦となった松次を、よその女に取られてしまって、兄と弟の子を独りで育てて居るおしげは、これも、みんな何かの因縁だと、諦めるよりはなかった。
毎日のように喧嘩をする子供を見ると、もうすっかり色々の苦労に疲れて居る此頃のおしげは、ただ子供二人の喧嘩とだけ見て居られないので辛かった。でも、今日のような、あんな真剣の、怒ったこわい顔を、見せられた事はなかった。
おしげは、ぶるぶる胸をふるわして二人の顔を見た。兄のうらみを含んだ眼を見た。
と、いつか恐ろしさが消えてぼんやり、ただ眺めるように坐って居た。
「よし。やったな」
みる間に、兄の面にも、弟の腕にも、引掻傷や、つねった跡が赤く、紫に、浮き上った。それを見た彼女は、もう、嬉しくなって了って、じっと、坐ったまま、眼を据えて、黙って居た。
(お前たちさえ居なけれゃ、私は、この毎日の苦しみがなくなるんだよ。そうやって、ぎゅっと首をしめて、二人とも殺されておしまい。それで、私の育ての苦が抜ける。そうして、お前達のお父さんたちの幽霊が、その時限り消えるのだよ。おまけにそうやって、私の厭な夫と、憎らしい恋人とを、私が思って居る通りに復讐してくれるのだよ)
彼女は、涼しい顔をして、いつまでも一つ処にべったり坐って居た。
一時間の後
先刻の喧嘩は、いつの事だったかと云うような様子で、二人はもう庭で仲よく遊んで居た。
「兄さん、日が暮れそうだから入ろうか」
お腹を空かせて、縁側をかけ上った夕闇の家の中に、彼等は、誰の姿も見出さなかった。
電燈のスイッチをひねられた室の中には、さっきの通りに、こわれた飛行機が散って居た。
「お母さん」
「お母さん」
その時、おしげは、厚化粧をして街の雑沓の中をウロウロと歩きまわって居た。
「ホホホホホ」
あかるい活動常設館の前に、ふいと立ちどまったおしげの笑声は、調子をはずれて居た。