Entry1
転がる
サヌキマオ
都心の気温が三十七度を記録するようになった代わりに、ずいぶんと強い風が吹くようになった。気候が天の配剤、バランスを取るかのように機能したのはあながち偶然でないと思われた。コタツに頭を突っ込んだような熱が皮膚に食い込んでくる。腫れぼったいアスファルト、逃げ場のない湿気、それでもまだ救いはあるのではないかと思ってしまう。
足元をセミが転がっていく。セミは巻き上げられるでもなく、風の向くままにひとつふたつ、みっつよっつと地面を転がって国道沿いを北東に向かって転がっていく。ななつやっつ、みんな死んでいるのかと思えば弾けるように羽ばたいて抵抗を示すものもありはしたが、急に力尽きたように地面に落ちて転がっていく。
死んだように見えて生きているセミというのは、鳴き過ぎて体の筋肉がちぎれてしまって、なおも死ねないセミだという。どこで見聞きした話だったか、ヤリタイヤリタイと吠え続けて、本懐を遂げずに人生が終わっていくのを、己が終了していくのをアスファルトの上でぢっと見つめ続ける人生だ。たまに子どもや犬が興味を持って、指でも鼻先でも近づけようものならヂヂッと一瞬飛び上がって驚かせる。それだけが楽しみであろうか。楽しみなわけがあるものか。きっと心のなかでは、まだヤれるかもしれないと思っているのだ。いや、そんな人間味溢れる話ではない。体中の筋肉が引きちぎれようが、雌の腹に精子を染み込ませるまでは、生きているのだ。
風が強くなってきた。雲が速い。頭の上で太陽が明滅する。光が差し陰になり、またいくつもいくつもセミが転がっていく。よくみるとセミだけではない。コガネムシ、カナブン、スズメバチ、夏の死者がつぎつぎに北東の、池袋の、ごみ焼却場の白い煙突に向かって転がっていく。コガネムシは赤銅色のもの、枯葉色のもの、カナブンと同じ緑のものなど、つぎつぎに分別なく転がっていく。スズメバチを見たのは一度きりだったが、あんなに巨きな蜂と生前に出くわしていたら、きっと恐ろしかったことだろう。
雲の影にぱらぱらと雨が交じる。空気は相変わらず熱を帯びて過ぎ去る。きっと夕立にはならないだろう。中空を、信号機の下をスーパーのビニール袋が飛んでいく。まもなくカラスが、ハトが、また無数のセミが転がってきて、その列を次々に十トントラックの群れが轢き潰していく。
そういえば汗をかかなくなっていた。ビールを買って帰ろうと思う。