窟の結婚
今月のゲスト:江見水蔭
貝の採集を試みるべく島めぐりを始めて、荒浪打ち込む洞窟の前まで来た時に、一人の老漁夫がそこの岩角に腰を掛けて、何者をか待つあるが如きを見出した。
『老爺、何を待つのか』と自分は問いを発した。
『へへへ』と笑ってから、突如として唄い出した。
『来るか来るかと浜へ出て見れば、浜の松風音ばかり』曲終わってまた『ははは』と笑い返した。
『貝がこの洞穴に居るかね』と重ねて問うてみた。
『ははは、居るだ、沢山居るだ』
『這入って取っても好いかね』
『貝を取るなァ好えが、女房を取りなさんな』
『女房になる娘がこの穴の中に居るのか』と問わずには居られぬ。
『俺が若い時には居た』と彼は真面目で答えた。
『今は』と問うた。
『時々気にして来て見るが、もう居ないね』と答えた。
『老爺、その年をしてまだ探すのか』と冷やかさずには居られなくなった。
『ははは、これァ癖だ、若いときから続いた癖だ。今、探し当てた処で、持てるか、持てないか、それは分からねえ。ただ昔からの癖でここへ来るだァ』と語り出した。
鮑の囲いとしてここの洞窟を選んだのは、老爺の若い時であった。
時化の時にはここへ来て取り出して、だいぶ金子を儲けた。海の庫であった。
ある日一人で来て、何心なく洞窟へ入って見ると、暗い中に光り物がする。驚いて見ると弁天が出現した、一層驚いて見ると、浜一番の美女であった。
人が溜めて置く鮑を盗み出すとは、承知できぬと怒ってでた。
全く知らなかった。偶然にここを見出したと言い解きに掛かった。
それが事実であろうけれど、わざと曲げて解して、もし私の言うがままになるならば、ゆるしても遣ろう、そうでなければ訴え出ると脅迫した。
泣いて彼女は詫びた。
肯かなかった。
ついに洞窟の中で強いて結婚の約を固めた。
女房にしてから、たびたびこの洞窟に来る必用を認めた。嚢には鮑が多く溜まって居たけれど、後には無い事が多くなった。
しかし、家の宝珠の玉にはよほど金銀貨が溜まって居る事と考えていた。
割って見たら、鐚銭が出ただけであった。
女房を割って見たら腹の中から金銀貨が出るとでも思ったか、頭を打った。
それきり女房は居なくなってしまって、いくら探しても出て来ない。
そうすると洞窟には、鮑が溜まる。人の世話で女房を持つと、今度はまた宝珠の玉が空になる。
叩き破って、叩き出して、何度も繰り返して、さて今日になって見ると、一番先の宝珠の玉が一番惜しい。
もしや洞窟へ一番先の女房が、また来はせぬかと時々の見廻り。まだしかし一度も来おらぬ、と事もなげに語って呵々大笑した。
巻貝、二枚貝、いろいろの貝、なるほど、複雑なのばかりではない。採集して見ると極めて単純なものもあると、自分は大いに得るあって、島めぐりを終わった。
(明治三十八年十二月稿)