≪表紙へ

1000字小説バトル

≪1000字小説バトル表紙へ

1000字小説バトルstage4
第64回バトル 作品

参加作品一覧

(2023年 4月)
文字数
1
サヌキマオ
1000
2
ごんぱち
1000
3
吉江孤雁
1180

結果発表

投票結果の発表中です。

※投票の受付は終了しました。

  • QBOOKSでは原則的に作品に校正を加えません。明らかな誤字などが見つかりましても、そのまま掲載しています。ご了承ください。
  • 修正、公開停止依頼など

    QBOOKSインフォデスクのページよりご連絡ください。

長屋のファナティク
サヌキマオ

 銭湯で上野の花の噂かな。まぁ花見どきになりますと、どこにいっても花の噂ばかりしてェる。
「花見に行ったってな」「いってきた」「どこだ」「飛鳥山」「どうだった?」「どうもおどろいたねえ、よくまあ人が出るねえ、ええ、どこからあんなに出てくるかと思うようだなぁ。なにしろ面白かったぜ、おばあさんは歌い出す、若い娘は踊りだす、ねェ……うん」
「面白そうだなぁ、んじゃあ俺も行ってみるかなぁ、行くか」「……で、どうだ、花の具合は」「え?」「花ァどうだった?」「花? さぁ、花は咲いていたかなぁ……」
 こういうのは人混みを見に行ったんだか花を見に行ったんだかわからないてぇのがありますね……

 そう、花は咲いていなかった。花はおろか当時の飛鳥山には桜など一本も生えていなかったのだ。
 では、なぜ人は花見に行くのか。最初の一人は気が触れていたのかもしれない。もしくはいやなことがあって呑んで呑んで呑んだ先に啓けるものがあって、ふいにひょいひょいと手が、足が、動いたのかもしれない。それを見ていた閑人が、酔狂が、お調子者が、うっかり真似てしまったのかもしれない。狂騒の輪は若い娘、ばかな子供、おばあさん、おじいさん、朴念仁と広がっていく。猫だけが不思議そうに、屋根の上から人の騒ぎを見ている。一匹、また一匹と猫は増えていった。みな静かに屋根瓦の上で目を閉じている。
 みな一様に「花」が見えていた。染井吉野は染井でできた吉野桜である。裏を返せば飛鳥山の、花を思う人々の想いが結集したのかもしれない。
(そんなわけねえだろ)
 とまれいい気持になった連衆は歌い踊り笑い、またひとりまたひとりと酔いつぶれて眠りに落ちた。こう書くとふと疑問が湧くが、そこには酒もあったのだろうか。いや、なかったであろう。誰もが酒を飲めば愉しいわけではないからだ。では酒無くしてなにが愉しいかといえば、やはり花があったに違いない。花があったか酒があったかわからねど、間違いなく大勢の人はあった。そこだけは疑いようがない。猫が観ていた。カラスが観て笑っていた。小さくて表情まで窺えはしないが、アリも笑っていたかもしれない。動物園では馬も猿もライオンも、豚なんか鼻で笑っていただろう。
「大家さん、近々長屋にいいことありますぜ」「そんなことがわかるのかい」「ごらんなさい酒柱が立ちました」「酒柱って!」
 酒柱は天空はるかにそびえ立ち、とてもいい匂いがする。
長屋のファナティク サヌキマオ

#コオロギは食べません
ごんぱち

「コオロギを食べろなんて、天下り企業を儲けさせるための陰謀だ! 国民にアレルギーを起こさせるようなまずいものを押しつけ、自分達の旨い肉の取り分を増やそうという魂胆だ! 荷担する企業は腹を切って死ぬべきだ!」
「コオロギを食べるぐらいなら、赤い廃棄牛乳か肉骨粉でも喰う方がよっぽどマシだ!」
「虫なんて食うヤツは、人間じゃねえ!」

「――という感じになってるな、蒲田」
「そうらしいな、四谷」
「あれは資源的な問題があって、昆虫も食べ物の選択肢に入れようって事だろう」
「うむ」
「昔から研究もされていたし、昆虫食自体日本の文化にもある筈だよな」
「そうだな。10年ぐらい前の段階で虫入りビールとかコオロギ煎餅とかあったし」
「コストが高いという話と、貧乏人はコオロギを喰わされるという相反する話も混在しているんだよな」
「ここで分かる事はな」
「結論が出るのか? 蒲田」
「連中には昆虫がうんこに見えている、という感じだろう」
「うんこ?」
「コオロギをうんこと入れ替えると、少し意味が分からないか?」
「なるほど。隣で喰われるのも嫌にはなる訳か。しかも定着したら、通常メニューと並ぶ訳か」
「そういう辺りだろうな」
「……んー、それにしたって、コオロギってそこまで嫌われていたものでもなかった気がするんだけどな」
「まあ、食べるとなるとな」
「そうだろうけど、食べようと思わなきゃ食べられないだろ。今、甲殻類系でどんだけ気を使って製造されているか、考えれば混入なんてあり得ないと思うんだが。分かって印象操作してないか、あいつら」
「どうかな。コオロギが標準化したら、表示省略される可能性はあるだろう。例えば小麦とか、そこまで気にされないだろう。製品はともかく、食堂のメニューとかでは」
「そうか……小麦アレルギーか、メルルーサぐらいの感じか……」
「そんなだろ」
「ふうむ……でも待てよ、蒲田。コオロギスタンダードで、嫌でも口に入る時代というのは、つまり、蛋白質危機になってないか? その時には、好き嫌い言っていられないだろ」
「その時にうんこを喰う選択肢が残されていると困る、それぐらいなら死ぬ、そういう連中の声が大きいのだろう」
「なるほど確カニ」
「ほほう、甲殻類繋がりで、蟹オチとはやるな、四谷」
「そのつもりはなかった、ここカットで」
「おっ、蟹のハサミまで。じゃあ、俺は泡でも飛ばそう。ほぅら、シャボン玉だ」
「わあ、甘いや、このシャボン玉!」
#コオロギは食べません ごんぱち

今月のゲスト:吉江孤雁

 ふと昔の夢が胸に浮かんで来た。
 私は或る山へ登ろうとしていた。禿山で、頂には樹木も無い。草花が所々懸崕の端に咲いている。私の傍には二人の小児こどもが居た。一人は男の児で六歳ばかり、一人は女の児で四歳ばかり、男の児は先に立って登って行く、女の児は私の手に縋って歩いている、ふと懸崕の頂の草花が目に入った。
「あれ取って頂戴な」女の児は私に取りついて放れない。危ないのを、右手でその児を押えながら、身を曲めて、左手を伸ばし、取ろうとすると、砂がほろほろ崩れて崖下へ落ちて行く。下は深い谿たにだ。底深く吹き上げて来る風に草花はゆらゆら搖れている。また、手を伸ばそうとする、が、一歩踏みはずせばそのまま深谿へ落ちてしまう。わずかに花を摘んだ。女の児は悦んでその花を手にして登って行く。
 この山へ登るものはただ私等三人より外に人が無いような気がする、が、何人だれか、何人だれとも解らないが、私とは別れて別の途を行った人のあるような気がする。
 途は下り坂になった。凸凹の途に足が傷んでたまらない。見ると、脚下に遙か遠く、人家が立ち並んでいる。薄曇の空は上から覆いかかるようにしているが、鉄色した塔の頂、白壁の家などが、歴々ありあり目に入る。私は立ち留まって眺め入った。沈静の色、何の物音一つ聞えて来ない。人家は並んでいるが、その中に何人も住んでいる人があるとも思われない――途が少しづつ下る。と思うと、私の傍を一人二人ずつ、旅姿をした男女が通って、傍目もせずに下って行く。私も急いで降りようとしていると、後方から小足におりて来る人がある。一寸立ち留まって振りかえって見ると、少し隔って若い女性がたたずんでいる。見覚えのある顔だな、と思ったが、その人は立ったまま動かない、おりて来ようともしない。何人だれだろう。私は二三歩後戻りした。「ああ自分の妻だ!」胸の動悸は急に高まって来た。如何様どうしたのだ、一所に下りて行こう、とすすめると、視線を落したまま動かない。小児等は俄かに泣き出した。
 二人とも自分に取り縋って、哀れな声で、「下りて行って頂戴よ、下りて行って頂戴よ」顔をば私の袖へ固く押し当てて離れない。妻はなお動かない。「一所に下りて行ったらば好いだろう、この先に休場もあるから」と云ってもなお動かない、疲れたような顔色をして静乎じつと立っている。「後方あとへ帰りましょう、如何様どんなに険しくても、今迄の途なら知っていますから」ただそれだけ、眼を閉じて動かない、冷たい風が下の方から吹いて来る。――今迄の途なら険しくても知っている、これから先きの途は如何どうなるとも判然わからないと云うのか。私はたまらなくなった。同時に小児等は大きな声を挙げて泣き出した。
 はっと思うと眼が醒めた。
 私には妻もなく子もない。何故夢に見た人が自分の妻であると知ったか解らない。不思議でたまらなかった。その時の寂しさは、消えずにいつまでも胸に残っていた。