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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第67回バトル 作品

参加作品一覧

(2023年 7月)
文字数
1
サヌキマオ
1000
2
ごんぱち
1000
3
Bing
1206
4
池谷信三郎
2065

結果発表

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ベランダの遠近
サヌキマオ

 ベランダで洗濯物を干していると「ずしゃあ」という音がした。見ると四車線の道路の向こうの歩道で若い女が横向きに倒れている。地面にはトートバックとスマホとなんらか散らばっており、ああ、転んだんだなぁ、ということだけはわかる。痛みのせいかしばらく身じろぎもしなかったが、ようよう半身を起こすと遠目ながら頬に血の滲んでいるのがわかる。不幸にも顔を擦りむいたのだ。とりわけ中年になると……と書いて、個人的にはそれほど中年になる前からだったが、道端の何でも無いところでつまずいて転ぶことがあるのだが、これはもしかすると、あのお姉さんもスマホか何かを見ながら歩いていて転んだのだろう、と推測が立った。あくまでも推測だ。
 女はスマホを見てハッとし、しばらく呆然としたのちに(画面が割れたんだろうか?)辺りをキョロキョロと探し始めた。経験的観測で云えば「コンタクトレンズを落とした」というところだが、今のコンタクトレンズはそんなことではずれないだろう、と後になって思う。
 ここで義侠心に溢れた、白髪交じりの髪の毛のもじゃもじゃとしたおじさんというのがよたよたやってきてかれこれ面倒を見ようとしはじめる。遠目にも見てくれのよいおじさんではなく、女はあわてて身繕いをすると、地面に落ちていたなにかの赤いかけらを拾って頭を下げ去りかけた。付け爪が取れたのだろうか。滲んだ血で顔の傷がはっきりわかる。本人は、この若い女の人は駅の方に向かったことだし、土曜の朝から遊びに行くなり仕事に行くなりで出かけているとして、傷にはどこで気づくだろう。しかし、いずれにせよ、家を出る際にはこんな目に合うなんてひとつも想像しなかったことだろう。
 ふと足元に目をやると植木鉢の上の桃の種と目があった。いつの間に地表に出てきたのだろう。桃は一冬越さないと発芽のスイッチが入らないと云うから埋めていたのだが、水をやっているうちに出てきたものらしい。去年の秋口に食べた桃だったと記憶しているが、梅雨になってもまだぽつねんとしている。この鉢には力尽きた豆苗、スイカの種、エビの尻尾など発芽や分解が期待されるものが放り込まれて混沌としている。いつぞや洗濯物についてきた干からびたムカデも入れた覚えがあったが、あれはもう分解されたろうか。桃の種はもう一度深く埋め直したほうがいい気もするが、そうすると一生遭えないような気がして、ずっとそのままにしてある。
ベランダの遠近 サヌキマオ

「ボタン問題」に問題があると思う人は押さないと死ぬボタンがあったら押す?
ごんぱち

「なあ馬沢、100万円貰えるけど、100時間尊厳を傷つけられるボタンがあったら押す?」
「やめろよ牛岡、そのボタン問題嫌いなんだよ。質問自体も答えが出ない下らないものの上に、ボタンの要素が全く意味を成してなくってイライラするんだよ」
「ぶわっかもおおおおん!」
「どぐべぁしっ!?」
「だ、誰だあんた。おい、馬沢、大丈夫か?」
「私はボタンの伝道者四谷京作! ボタンはなぁ、ボタンはなぁ! 回答者の為の、気配りアイテムなんだよ!」
「気配り?」
「ほうなんへふか?」
「例を見せようか。殴ってない方の君、朝、何を食べた?」
「プランターのシソですけど」
「もっほいいもん喰えよ」
「これが『オープンクエスチョン』、だ」
「どういう事ですか?」
「牛岡、パンあふけど喰う?」
「相手に語らせる質問で、質問者が想定していない回答も集められるという利点がある」
「もぐもぐもぐ」
「なるほろ」
「そして、『朝ご飯食べた時には理由を問わず絶対押さないといけないボタンがあるんだけど、押す?』」
「……ごくん。うん、まあ、なら押しますかね」
「押さない選択肢がないじゃないでふか」
「と、これが『クローズドクエスチョン』だ! こちらはイエス・ノウで答えられるため、回答を限定したい時に役立つ」
「ああ、回答の幅が閉じてるって事ですね」
「そっか、ほれでオープンとクローズか。流石だな牛岡」
「国語力がない人間はッ! 『朝ご飯を食べましたか?』と『朝ご飯に何を食べましたか?』を適切に使い分けられない!」
「確かに」
「そうかも」
「読解力がない人間の方も、オープンクエスチョンにイエス・ノウで答えてしまう場合がある!」
「ああ、うちの社員にもそんなのいっぱいいますね」
「確かに」
「そんな国語弱者を救い、全てをクローズドクエスチョンにしてくれるのが、ボタン問題! これぞ、多様性社会において必要なものだ! 全ての会話がボタン問題なら、AIももっと整理しやすくなり、世界は1と0で構成された美しい構造になるのだ! ばんざい、ばんざい、ボタンばんざい!」
「ばんざい!」
「ばんざい、ばんざい!」
「よおし、じゃあ、僕もやってみます!」
「ほっ、やる気だな、牛岡!」
「行きますよ、伝道師四谷さん!」
「おうよ、ドンと来い!」
「今の発言!」
「うむ!?」
「『DON’T 来い』という意味で言った人は押さなければならないボタンがあったなら、四谷さん押します?」
「晩ご飯はアジの干物だ!」
「ボタン問題」に問題があると思う人は押さないと死ぬボタンがあったら押す? ごんぱち

ネコノヒト
Bing

私は人間だと思っていた。私は人間として生まれ、人間として育ち、人間として暮らしてきた。私は人間の世界に馴染んでいた。私は人間の世界が自分の居場所だと思っていた。

しかし、ある日、私は衝撃的な事実を知った。私は人間ではなかった。私は猫だった。私は猫として生まれ、猫として育ち、猫として暮らしていた。私は猫の世界に属していた。私は猫の世界が自分の本当の故郷だった。

その事実を教えてくれたのは、ある老人だった。彼は私の隣に住んでいる、優しくて賢くて不思議な老人だった。彼は私にこう言った。

「君は今、夢を見ているんだ。君は夢の中で人間になってしまったんだ。君は本当は猫なんだよ。君は今、居間のソファーで居眠りをしているんだよ」

私は信じられなかった。私は彼を狂人だと思った。私は彼を怒鳴りつけた。私は彼を追い払おうとした。

しかし、彼は微笑んで言った。

「信じなくてもいいよ。でも、君が夢から覚める時が来るよ。その時に、君は真実を知るよ」

そして、彼は去っていった。

私は彼の言葉を忘れようとした。私は自分の日常に戻ろうとした。私は自分が人間であることに固執しようとした。

しかし、彼の言葉が忘れられなかった。私は自分の日常に違和感を感じるようになった。私は自分が人間であることに疑問を抱くようになった。

そして、私は夢から覚める時が来たことに気づいた。

それは地球が破滅する日だった。

人間が作り出した核兵器が爆発し、地球上のすべての生命が滅びる日だった。

その日、私は目を覚ました。

私はソファーから飛び起きた。

私は自分が猫であることに気づいた。

私は自分が夢を見ていたことに気づいた。

私は自分が人間ではなかったことに気づいた。

そして、私は自分が地球ではなく、別の惑星に住んでいることに気づいた。

その惑星の名前はネコノヒトだった。

ネコノヒトという惑星では、すべての住民が猫だった。

猫という種族では、すべての個体が夢遊病者だった。

夢遊病者という能力では、すべての個体が他者の記憶や想像力や感情や意識にアクセスできる能力を持っていた。

その能力を使って、猫達は他者の世界を体験することができた。

その能力を使って、猫達は他者の世界から学ぶことができた。

その能力を使って、猫達は他者の世界から楽しむことができた。

私はその能力を使って、人間の世界を体験していた。

私はその能力を使って、人間の世界から学んでいた。

私はその能力を使って、人間の世界から楽しんでいた。

しかし、私はその能力の危険性に気づかなかった。

私はその能力に依存してしまった。

私はその能力に溺れてしまった。

私はその能力に囚われてしまった。

私は自分が猫であることを忘れてしまった。

私は自分がネコノヒトに住んでいることを忘れてしまった。

私は自分が夢を見ていることを忘れてしまった。

私は自分が人間になってしまったと思い込んでしまった。

それが私の過ちだった。

それが私の罪だった。

それが私の悲劇だった。
ネコノヒト Bing

黄昏の幸福
今月のゲスト:池谷信三郎

 汽車が山へかかった。車体の傾斜を右の肩に感じて、私はふと本から眼を離した。――本とは、出がけに送られた川端康成のよき短篇集。
 車窓まどの外を山が動いて行く。
――あら、妙義山が見えてよ。
――違いますよ。
――あら、そうだわ。
――違いますったら。
 隣りの恋人は退屈な話のつなぎを、自然界に移したものらしい。上野からここまで話し続けている彼等であった。
――あら、やっぱりそうよ。
――違いますったら、強情だなあ。
――あなたこそだわ。って云うのよ、あなたみたいな人。
 概ねはこういう会話である。世の中にはどうしてこう恋する人々の多いのであろう。
 私はまた本を開く。

今宵われ妻をめとりぬ
抱けばをみなのやはらかきことよ
わが母もをみなゝりしよと
涙流して新妻に云ひぬ
よき母になり給へよ
よき母になり給へよ
われわが母を知らざれば。

 レールが奇妙な不調和音を出した。汽車が大きな曲線カーブを作って山の裾を曲がって行った。私はふと冷やかな信州の山峡やまあいの空気にくちづけた。
 夕陽とは云え、激しい夏の太陽が、汽車の回転につれて、谷の向こうに動いて行った。ちょうど私の向かい合わせの窓の中で止まってしまった。私は眼をパチパチとさせた。――と、そこの向かいに坐っていた一人の若い紳士が、いきなり、読んでいた雑誌を窓の所へ持って行った。ほんとの反射的な動作であった。私が眼を落した時、そうやって作られた陰影かげの中に、幼い女の子がすやすやと、横になって眠っていた。紳士は時々眼を子供の上に落し、いつもその顔の上に陰影のあるようにしながら、また雑誌を読み続けていった。
 私は何故なぜかこの若い父親に限りない好意が持てた。若い父親は鼻の下に短い髭を生やしていた。
 私は子供を見た。まだ四歳位であろう。無邪気な丈夫そうな女の子である。私はその子供の顔から若い父親の顔の印象を差し引いて見た。そうやって抽象された母親の顔を、空想のカンバスに素描した。それは私の一番好きになれそうな女の顔であった。

『かあさん、かあさん、かあさん』
『母さんはここにいますよ。生きていますよ』
『かあさん』
 子供はまた身体を病室の襖にぶっつけた。そして、わっと泣きだした。
『入れちゃいけないぞ。入れちゃいけないぞ』
『あなたは冷たいのね』
 妻はあきらめたように眼をつむって首を枕に投げ出してしまった。……

 私はこう読んでゆくうちに、ふと向かい合わせに眠っている子供の事が考えられて来た。この子供の若き母も、……と考えた。ぎごちない父親の慈しみの中に、あわれ育ちゆく幼児おさなごよ!――すやすやと眠っている頬のあたりから、軽く開かれた唇のあたりに、何とも云えない淋しさが漂うている。床の上に脱ぎ棄てられた小さい二つの白靴も、なぜかしんみりと可憐いじらしかった。
 陽はもうかげっていた。山のの群雲が、たとえようもない怪しい色に動いて行った。――若い父親はカバンを下ろしていた。
 汽車は碓氷の隧道トンネルにかかっていた。

今宵わが娘眠らず
抱けばをみなのやはらかきことよ
わが母もをみなゝりしよと
涙流して幼児に云ひぬ
よき母になり給へよ
よき母になり給へよ
われもわが母を知らざれば。

 私は本を閉じた。
 恋人の私語がまた耳に這入はいって来た。
――ほんとに、お母さんに話したの?
――…………
――え?
――だって、もう知ってらっしゃるのよ。
――諦めてらっしゃるのよ、でしょう?
――まあ! 嫌な方。
 こういうデリケートな話は避暑には向かないのである。私は前を向いた。幼児は眼を覚ましていた。きょとんとした寝起きの眼をぱっちりと開けている。父親が靴のボタンをはめてやっている。なかなかはまらないので、子供はわざと足をぶらぶら振った。
 私はポケットから、銀紙に包んだチョコレートを取り出し、それを子供にやった。父親が代わりに礼を云った。ちょっと笑った。私のこの奇妙な不作法を咎めようともしない快い微笑である。私は恥ずかしい気持ちがした。

 汽車が軽井沢の駅に這入はいって行った。外はもうすっかり黄昏たそがれて、白樺の幹がほんのりと、高原の静けさの中に眠っていた。
 この車室へやの人々は大概ここで下りるのらしい。私も立ち上がった。私はふと、ゆるやかに動いて行く車窓まどの外のプラットホームに、一人の女性の姿を見別みわけた。私ははっとして瞬いた。
 彼女である。――五年前に別れた、あの日の諒子であった。
 私はレインコートの襟を深く立てて、黒のソフトを眼深に冠り、反対の降り口を、まだ停まり切らないプラットホームに降りた。二三歩して振り返った。
 彼女はちょうど降りて来たさっきの子供連れを迎えていた。子供が彼女に縋っていた。彼女は水色の明石を着て、薄い黒の手袋をはめていた。
――独りで困っちまったよ。
――すみませんでしたわね。
 子供の帽子を直しながら、諒子の顔が華やかな幸福の中に溶けて行った。夜風が朗らかな笑い声を、私の耳にまで運んで来た。
 私は向き直って、人混みの中を陸橋ブリツジにかかっていた。汚れたカラが襟につめたい。この高原の夏の夜は、あんまり涼し過ぎる。

(一九二六・七・八――軽井沢にて)