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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第69回バトル 作品

参加作品一覧

(2023年 9月)
文字数
1
サヌキマオ
1000
2
ごんぱち
1000
3
古川緑波
2075

結果発表

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新・続々々々新ミートピア
サヌキマオ

 「待合」と呼ばれる巨きな伽藍では家畜を中心とした数多の動物たちが順番を待っている。我々が知るところのキリスト教の教会を幾倍にも幾倍にも拡張したような作りで、五人がけのベンチがすべて同じ方向に並べられている。正面にはステンドグラスと思しき様子でなんらかの風景をかたちどっているようだ。特にルールが決められているわけではないが牛は牛、鶏は鶏でなんとなく集まってひっそりとしている。最初はどんな生き物も騒がしくいるが、なべてゆくゆく静かになる。
 彼らが何を待っているかといえば、世界においてきた肉体が食べられるか腐るか燃えるかしてすっかり無くなってしまうのを待っているのだった。肉体が世界にひとかけでも残っていると、あまねく生き物はここより次に行けないのである。
 ゆったりと時間を磨り潰す動物たちの間をガツゴツと足音が響く。動物たちの整理と誘導をしているのは鉱物たちだ。
「豚二九八二五」石の声は直接鼓膜を震わせた。
 声の先にいるのは一匹の豚で、それはかつてとん吉と呼ばれた豚だった。
 とん吉は岩に視線を合わせたが、目の前で動くものに目が行ったに過ぎず、意識は虚空にたゆたっていた。
「おまえの***である」
 石の声にとん吉は目を見開くと、ぐっ、と立ち上がろうとし、うまく力が入らずにベンチをぎしりとさせた。それでもようよう立ち上がると、構わず歩き出した石の後を追ってよたよたとした。
 呼ばれた動物たちの出ていく先は待合の背後に一つ大きく開いている。頻繁に迎えは来るなので重い扉は開け放しになっている。
 当然、開け放たれた先のことも知っている。石畳の通路があって、あとは闇だ。光の加減によってはうっすら向こうの壁が見える気がするので、廊下は右か左に折れているのかもしれない。
「なあ」
 とん吉から声が漏れた。久しぶりに声を出した。石には聞こえたろうか。だれも気にしなかった。
「二十七年だ。なぜこんなに、時間がかかってしまったんだ」
 岩は存外に流暢に喋りだした。
 お前の肉は挽肉となって宮崎県の山奥、中江ズワイさんの家の冷凍庫に保存してあった。ズワイさんが夫を亡くして一人暮らしになり息絶えるまでに七年、そこから遺体が発見されるまで八年、家が解体されて冷凍庫からお前が見つかるまでに十二年と三月――
 その中江さんだかという人間もずっと待合で待っていたのだろうか。ふとそんな思いがよぎったが、すぐに忘れてしまった。
新・続々々々新ミートピア サヌキマオ

殺人バチ
ごんぱち

「何故、殺した?」
「はい……検非違使さん、あいつ、私のかつぐ鉢がおかしいって笑って……だから、コツン☆って」
「その星は多分、須賀の飛石と同じぐらい、空の彼方から超高速で落下してくるヤツだよ」
「道理で鉢が汚れた訳だ。洗うの超大変でした」
「あの時、入水してたんじゃなかったのか」
「洗顔時は、よくスケキヨと間違われます」
「あれは青沼静馬だ。しかしな、殺す事はなかったろう。あんたの鉢が滑稽に見えるのは、仕方ないじゃないか。分かってるだろう?」
「……でも、この鉢は、母上が観音様のお告げでかぶせてくれたものです。私を侮辱するのは良い、ですが、母上を侮辱するのは許さない!」
「田舎のヤンキーみたいな事言うんじゃないよ。子供が殺人する方が、よっぽど親への侮辱だよ。本当は単に自分の侮辱に腹が立ったんだろう?」
「……まあ、そうですけど」
「しかし、よく頭突きだけで殺せたな?」
「生まれつきかぶってるんで、首の力は凄いんです」
「よく見たら首が太すぎて肩がないな。ジャミラみたいだ」
「この丸太のような首を使えばヘッドバットで頭蓋骨を砕く事なんて簡単なんです。暴漢に襲われた時も、首相撲からのハリケーンミキサー余裕でした。今回も、どちらかと言えば、こいつぅ、ぐらいの気持ちだったんですが、弱いですね、人より生まれし定命の者は」
「お前は上位存在って訳じゃないよ。単に頭に鉢をかついでるだけの人だよ」
「でも観音様のご加護ですよ? 鉢1つ分、人間より上位なのは間違いないじゃないですか」
「ポジティブなのは悪い事じゃないが……」
「このパワーがあれば、建築解体も出来ると思うんです。ヘルメットがいらないから、コスト削減ですよ」
「てこの原理ってヤツがあるから、ハンマーの方が強いんじゃないか?」
「ふふっ、検非違使さん、私の趣味は歌舞伎なんです。唐獅子のヘドバンが好きで、真似しまくっているうちに付いた筋肉が、0.6ジャミラぐらいあります」
「時代考証はどの辺だよ。歌舞伎でも700年ぐらい未来だよ。むしろロックンロールで良いよ、誤差だよもう」
「理解して頂けたところで、帰りますね」
「いや、殺してるから。死罪にはなるから」

「――看督長、例の女、処刑しなかったんですか?」
「視察に来た山蔭三位中将が何か気に入って、風呂焚きさせるって連れてった」
「藤原様では仕方ありませんな」
「長いものには巻かれろ、だ」
「道長だけに?」
「まだ生まれてねえよ」
殺人バチ ごんぱち

清涼飲料
今月のゲスト:古川緑波

 九月の日劇の喜劇人まつり「アチャラカ誕生」の中に、大正時代の喜歌劇(当時既にオペレットと称していた)「カフエーの夜」を一幕挿入することになって、その舞台面の飾り付けの打ち合わせをした。
 日比谷公園の、鶴の噴水の前にあるカフエー。カフエーと言っても、女給のいる西洋料理店の、テラスである。
 となると、誰しもが、当時そういうところには必ず葡萄棚が出来ていて、造花の葡萄が下がっていたり、季節によっては藤棚になったりしていたもんだねえ、と言い合った。そして、その棚からは、季節におかまいなしに、岐阜提灯が、ぶら下がっていた。岐阜提灯には、三ツ矢サイダー、リボンシトロンなどの文字が見えた。
「金線サイダーってのがあったな」
 誰かが言った。そうそう、金線サイダーってのは、相当方々ほうぼうで幅を利かしていたっけ。清涼飲料、何々サイダーという広告。
 清涼飲料という名前は、うまいなあ。如何いかにも、サイダーが沸騰して、コップの外へ、ポンポンと小さな泡を飛ばす有様が浮かんで来るようだ。
 清涼飲料にも、いろいろあった。と「カフエーの夜」から、思い出がまた拡がった。
 金線サイダーも、リボンシトロンも、子供の頃からよく飲んだ。が、やっぱり一番勢力のあったのは、三ツ矢サイダーだろう。
 矢が三つ、ぶっ違いになっている画のマークは、それに似たニセものが、多く出来たほどだった。
 その頃、洋食屋でも、料理屋でも、酒の飲めない者には必ず「サイダーを」と言って、ポンと抜かれたものである。
 ビールや、サイダーに、「お」の字を附けたのは、何時いつの頃からであろうか。
 三ツ矢サイダーの他に、小さい壜の、リボンラズベリーや、ボルドー、リッチハネーなんていうのもあった。が、それらの高級品よりも、われら子供時代の好みは、ラムネにあったようだ。
 ラムネを、ポンと抜く、シューッと泡が出る。ガラスの玉を、カラカラと音をさせながら転ばして飲むラムネの味。
 やがて、僕等が中学生になった頃だと思うんだが、コカコラが、アメリカから渡来したのは。
 いまのコカコラとコカコラが違った。
 第一、名前も、コカコーラと、引っぱらずに、コカコラと縮めて発音していた(日本ではの話ですよ)。そして、名前ばっかりじゃないんだ、味も、色も、確かに違っていた。
 色は、いまのコーラが、濃いチョコレート色(?)みたいなのに引きかえて、アムバーの、薄色で、ほとんど透明だったようだ。
 味には、ひどく癖があって、一寸ちよつとこうにかわみたいなにおいがする――かく、薬臭いんだ。だから、いまのコーラとは、ほとんど別な飲みものだと言っていい。コカコラの中に、コカインが入っていたってのは、その頃の奴じゃないだろうか。いまのには、そんなものが入っているような気がしないし、第一、うまくない。
 もっとも、終戦直後、GIたちの、おこぼれを頂戴して飲んだ頃は、うまいなあと思った。僕は、しかし、ペプシコーラの方が好きだったが。
 春山行夫氏が東京新聞に書かれた「コカコーラの不思議」の中に、
 ……コカコーラは消防自動車のような赤いポスターや看板を出すので、美術の国イタリアは、その点を嫌がっている。……
 とある。
 全く、コカコラの赤は、あくどい。
 コカコラばっかりじゃあない。アメリカは赤が一番嫌いな筈だのに、宣伝や装飾には、ドキツイ赤を平気で使う。赤や黄色、青の原色そのままが多い。
 これはしかし、僕の観察によると、戦争前は、アメリカ自身も、もう少し好みがよかったと思うんだが如何どうだろう。
 例えば、タバコの Lucky Strike だ。白地に、まっ赤な丸(日の丸ですな)のデザインでしょう、今は? ところが、戦争前は、白地のところが、ダークグリーンの、落ち着いた色だった。それを覚えている方もあると思う。今のより、ずっと感じのいいデザイン、色彩。従って、タバコの味も、もっとうまかった。
 いいえ、タバコの内容のことを言ってるんじゃない、箱のデザインや色が、よければタバコも、うまくなるって言ってるんです。ほんとなんだ、これは。
 あの煙草が好き、こっちの方がいい、という人々は、各々の好きな、デザインの、好きな色の箱を選んでいる場合が多い。例えば、キャメルが好き、ラッキイ・ストライクでなくっちゃいけないっていうような、タバコ好きでも、まっ暗なところで、一本吸わして、それが何という煙草か、ハッキリ判ることは、めったにないものである。
 タバコなんて、そんなものである。
 タバコのデザインばっかりじゃありません。昔はコカコラの広告にしたって、真っ赤な消防ポンプじゃなかった。もっと、まともな顔をしていた、確かに。
 食べものの味にしたところで、アメリカ料理は、まずいという定評だが、戦前は、アメリカだって、もっと美味かったんじゃなかろうか。それは、僕が度々書いていることだ、少くとも、東京に於けるアメリカ料理は、戦前の方が、ずっと美味かったんだから、本国の方もそうだったんじゃないか、と思うんです。
 してみると、戦争って奴が、アメリカ自身の文化をも、ブチこわしたんだな、つまり。