相方は極めて冷静だった。21歳の時に覚えた煙草が、更に吐き気を加速させた。
「無理かもわからん。」
「大丈夫やて。」
舞台袖から歓声と共に駆け足で38マイクに向かう。
「いや,、さっきも話してたんやけどね。もう再起不能かもわからん。」
「何がいな。」
「いやもう喋られへん。」
「喋ってるやん。」
「今のが俺の遺言やと思ってくれ。」
「漫才中に遺言残すなよ!」
「もう喋られへん。くも膜下出血や。」
「それ聞いて誰が笑うねん。」
「最後にこれだけは言いたい。」
「りんごが食べたいんか?美味しいステーキか?」
「乳揉みたい。」
「しゃあないな。俺ので良かったら揉ましたるわ。」
「まさか相方の乳が最期になると思わなかったわ。」
「柔らかいか?硬いか?」
「思い出すなぁ。初舞台もこうして乳揉ませてくれたよな。」
「お客さん、びっくりして声も上げんかったもんな。」
「今ではこれ見ないとお客さん、納得せえへんもんな。」
「コンプライアンスとか言うけど、乳は嘘つかへんもんな。」
「俺もう、ここで臨終してもええわ。最期の乳、確かにこの右手で揉ませてもらった。苦労も掛けたけど、最高の乳やったで。ありがとう。」
「こちらこそありがとう。もう揉んでくれる相方は居なくなるねんな。寂しいなぁ。」
「また、良い相方見つけてくれ。その時は、正統派の漫才披露してお客さん、あやかしてくれ。」
「じゃあな相方!」
「お前の乳、最高に気持ちよかったで!」
「相方ーっ!……死んでる。お客さん、見届けましたか?これがうちの漫才ですわ。これで40年やってきましてん。相方もお客さんに看取られて、さぞ喜んでいると思います。」
「それからな、相方。」
「何で生きてんねん!」
「これがほんまの極楽浄土ですわ。」
「うまいこと言わんでええねん!」
「失礼しました!」
これをする度に思う。「二度とするか。」と。
支配人が血相を変えてやって来た時の事を思い出す。
「何やってんの君たち!うちの理念は清く正しく美しくだよ。もっと芸を磨きなさい!」
ひるんだ私に相方が、追随した。
「これも芸です。」
「兎に角、もう明日から来なくていいから。」
その時、テレビ局のプロデューサーが駆け付けた。
「君たち、テレビに出れるよ。」
その時の私の目の輝きは並大抵のものではなかっただろう。40年が経った。テレビの規制は拍車を駆けて厳しくなり、我々は時代の寵児にはなれなかった。今もテレビの電源をつける度に思う。
「こっちが本物や。」