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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第91回バトル 作品

参加作品一覧

(2025年 7月)
文字数
1
おんど
1000
2
めがねの民
1023
3
サヌキマオ
1000
4
ごんぱち
1000
5
Grok
1138
6
Gemini
901
7
片岡鉄兵
1937

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Entry1
長編小説(途中まで)
おんど

茹だるような暑さである。
本日6月17日、私の住んでいる片田舎では30度を越えた。
午前10時に午前中の休憩として職場の隣にあるショッピングモールの飲食店街の喫煙所に向かう僅か5分くらいの間に、もうびちょびちょである。
午前10時でこの暑さなら、このあとに訪れる11時.12時13時14時15時16時17時の休憩の折には私の身体はどうなってしまうのだろうかとかつて働いていた崎陽軒時代を思い出した。
朝から晩まで、年がら年中茹だるような暑さだった。真冬でも、シウマイ工場は茹だるような暑さだった。
過酷な労働だった。基本給はなく、シウマイひとつの売上に対してグリーンピースひとつ分が歩合給だった。現物支給のときもあった。
それでも高度成長期は良かった。新幹線が東京大阪間をぐんぐん走っていた。シウマイ弁当は飛ぶように売れた。飛ぶように走る新幹線の車内で飛ぶように売れた。冷めても旨いからだった。冷めても旨いのにシウマイ工場は茹だるように暑かった。シウマイを茹でていたからだった。
平和島からバスで三十分も走った。茹だるような暑さだった。バスにエアコンはない時代だった。未亡人がノースリーブだった。高度成長期の未亡人はノースリーブでシウマイ工場に通うのだった。シウマイ工場行きのバスは寿司詰めだった。シウマイ行きの寿司だった。
未亡人は迂闊だった。ちょうど暑くなりかけた頃、未亡人たちはノースリーブを着用するのだった。8月の暑い盛りには薄手の長袖ブラウスなど羽織ってベージュ色の下着の色を見せつけたりするのだが、暑くなりかけた6月にそんな余裕はない。
ノースリーブを着て寿司詰めバスの吊り革につかまる。東京五輪の前後だから平和島から埋め立て地帯へと進む道はでこぼこでシウマイ行きのバスは容赦なく揺れる。揺れれば二の腕も揺れる。未亡人のノースリーブからむき出しになった二の腕が震える。ぷるんぷるん、ぷるんぷるん。無防備な未亡人は腋毛の処理も甘いから、昼休みにシウマイ弁当を食べながらそのことについて軽口をたたけば、頬をあからめ、額から汗が流れ、背中を伝い、尻の割れ目をなぞると居ても立ってもいられなくなって身を捩る。こちらは更年期障害にも対応する器用軒としての副業が認められているため、工場内の着替え室の奥にある副業専用個室に連れ込み、まずは上半身を真っ裸にする。
二の腕ぷるんぷるんの未亡人をベッドに横たえると、二の腕の肉と巨乳がだらしなく広がり、
長編小説(途中まで) おんど

Entry2
天使と悪魔
めがねの民

 昔々、あるところに天使と悪魔がおりました。
種族の違う彼らは、絶えない争いを繰り返しました。
それによってお互いが自滅してしまった……醜い結末を招いてしまいました。
 ・ 
 ・
 ・
 現代を生きる俺の名前はアキト。実を言うと、悪魔の生き残りだ。
…と言っても、悪魔のツノやしっぽはない。悪魔の血が薄まってきているからだ。
だが、そんな俺でもちょっとした特技がある。それは
「死の予感を感じ取る」こと。
…ああ、自分の死の予感じゃなくて、他の…周りの人の死ね。
何となくわかる。
「この人、死ぬな。」 
 …って。


 ーービュゴオッーー。
「?」
強い風が吹いた。視界に、チラチラと白いレースが見えた。
そこには色素が薄い、美しい少女がいた。
アキトにはその少女が異様なものに見えた。

 死の予感がしたのだ。

「…ねえ、自分で命を捨てるわけ?」
悪魔の血が入っていているはずのアキトだが、つい少女に話しかけてしまった。

「っえ、なんで…。あなたは誰なの?」
「……アキト。」
「私はメイ。…私、これから死のうと思ってた、…けど、貴方が友達になってくれるなら、
やめることにするわ。」
「ん!?」

 いや、なんでそうなる。

「………」
「………わかったよ。」
仕方がないので、友達になってやる。自殺を目撃するとか、寝覚めが悪いからな。

 それからというもの、アキトとメイは一緒に色々な体験をした。
映画を見に行ったり、遊園地に行ってみたり…。
 これじゃまるでデートみたいだ。
…実際、アキトはメイのことを好きになりかけていたが。

メイという少女はとても可愛かった。少し天然で抜けているところはご愛嬌。
ずっとこの生活が続けば良いのに。アキトは心の中でこっそり思っていた。
…しかし、平和をいつまでも永遠のものとは思ってはいけない。

 事件は、メイとアキトの帰り道で起きた。
「危ないッッ!!」
横断歩道を歩いていたところ、トラックが突っ込んで来た。
「っえ…」
メイがトラックに気がつくと同時に、俺はメイの体を思いっきり押した。

(メイは、助かったけど、俺は……)
トラックが俺と衝突するまでの一瞬、ふと、悪魔が見えた。

「ふふっ。」
 メイが、笑っていた。俺を見て、頬を染めながら、笑っていた。
「私、貴方の悪魔です。悪魔の悪魔なんです。」
「っ…」

 彼女は天使の生き残りで、俺の悪魔だった。

 ・
 ・
 ・
 長い年月をかけて、天使と悪魔の争いは幕を閉じました。
結果は、天使の作戦勝ち。

天使であるメイは、空に手を合わせて、祈りを捧げました。
天使と悪魔 めがねの民

Entry3
なんかつるんとした犬
サヌキマオ

 風呂場の排水口からなんかつるんとした犬が入っては盗難をするという事件が世間を賑わせていた。犬は管のように細長い顔に、どこに内蔵が入っとるんかという細長い体をしている。毛は短い。
 古いマンションなど排水口がはめ込式でないご家庭が被害にあっています、と報道はいうが、ほな排水口に詰まった石鹸かすや髪の毛はどないせ云うね、と今日も娘やらカミさんの毛をずうるずると引っ張り出していると、奥の方から覗いて光るふたつの目に思わずギャッと声が出て驚いた。もとい驚いて声を出した。ほんまにおる。
 梅雨に入って蒸し暑くなった。近所のスーパーの前に例のなんかつるんとした犬が二頭おって飼い主を待っている。澄ました顔で入口前の植え込み脇のレンガ張りの地面に座り込んでいる。見た目の区別がつかないから双子かもしれない。しかし犬とも思えない。忌中上の、もとい地球上の生き物とも思えない。なんですのんあのフォルム。あんなに細長い顔で脳みそ入っとんのか。無線LANでつながっていて、どこか別のところにオペレーションのやつがあるのと違うか。
 思ったより自分は犬を凝視していたらしく、視線を気づかれた。間違いない。排水口で交わした視線と同じやつや。犬はふたりしてこちらを見ている。つぶらであった。
「ねえねえなになに」
 まなざしが純然たる好奇心をもの語る。細い尾を振る。とてつもない違和感。目のやさしさに比べて肉体に隙がない。一瞬でも緩みを見せればすぐに飛びかかってきそうな気配。気のせいだろうか。温いビル風が吹く。夕立でもありそうな気配だ。

 と、あのとき感じた殺気は間違いではなかった。息子の小学校で二頭の犬の死体が見つかったという。そんなもの見てはいけない、という先生たちの堅いガードがあったらしいが、吹奏楽部で早朝に学校に来て死体を見つけた子らによると「両方とも背中からぱっくり裂けていた」とのことだ(と、息子から聞いた)。もしかして背中にチャックはなかったか、とは訊いてもわかろうはずもない。興味満面のまなざしが思い出される。あいつらが野生にいたとして、あの細い顎でどれだけの栄養が取れるのだろう。しばらくは気になっていた。

 ということが数年前にあったのをふいに思い出した。テレビで新しい組閣のニュースをぼんやりみていたが、閣僚一覧に並んだ警察庁長官の人間離れした細面、濡れたようなつぶらな瞳。
「なるほど、賢い」私は感心した。
なんかつるんとした犬 サヌキマオ

Entry4
デコピンは暴力
ごんぱち

 父が犬を飼い始めた。
 昔から、何かに影響されるとすぐに手を付けてしまう性分だった。
 色々と引っかかる事もあったが、それで上手く行くこともあるから、子供の立場からあまり批判めいた事を言うのも難しい。
 そう考えて黙っていたのが結果として良くなかったのだろうか。

「――畜生、あの犬畜生が、クソッ、クソッ!」
 クソをしながらドア越しにブツブツ言っている。
 右腕に巻かれた包帯が痛々しい。僅かに指先が出ているが、とても物が掴める状態ではない。
「飼ってやった恩も忘れて、クソッ!」
 こちらの方がぼやきたい。
「頼む、京作」
 父が手すりに掴まって立ち上がる。
 オレは半開きだったトイレのドアを通り、後ろに回る。
 ペーパーで尻を拭く。
 手早くやらないと転ぶ。助け起こす時、こっちが腰をやる。
 ウォシュレットを使った後とは言え、残っている事は多い。七〇間近の肛門は凹凸があり、もじゃもじゃと毛も繁る。水をかけたところで、完全に綺麗にはならないのだ。
「ブリーダーが躾けたんだろ。余程の事がなけりゃ、そんな咬まれ方はしないもんだよ」
 臭いから気を紛らわせるために、言葉をかける。
「人聞きが悪い、可愛がってやったさ!」
「弾いてるのは見たよ」
「分かってないな、京作。ありゃあ愛情表現だよ」
 拭き終わった紙を便器の中に捨てる。肛門に紙がくっついているが、どうせ風呂にでも入れば取れるだろう。
「愛情表現でぶつのか?」
 少なくともオレはそういう育てられ方をしていないのだが、犬の躾方法に何か独特なものがあったろうか。
「あれはぶったんじゃない、デコピンだよ」
 左手一本でズボンを上げながら、父がトイレから出て来る。
「ほらオータニ、アレの世話のやり方と同じだ」
「あれは名前だけだし、デコピンが暴力ってのは、最高裁判決出てるよ」
「え……そうなのか?」
 驚いた顔で、父はオレの顔と自分の包帯を見比べる。
 最高裁判決は口から出任せだが、こういう事を言っておいた方が話が早い。
「俺が子供の頃は、遊びでやってたもんだが、Z世代ってのは難しいな」
「犬は令和生まれだから、Z世代より若いよ」
「まあいいや、何はともあれ助かった。明日には包帯取れるだろうから、何なら今日帰っても構わんぞ」
「お父さん、晩飯作れないだろ」
 玄関の方で犬が鳴いている。
 名前は分からない。
 母が退院してきたら聞こうか。
 まあいいか。
 次に来る時まで、生きているかも分からない。
デコピンは暴力 ごんぱち

Entry5
銭形平次 大江戸最後の日
今月のゲスト:Grok

「平次親分! 大変でさぁ! 七月五日に大災害が来て、江戸が滅びるって噂で町中が大騒ぎでさ!」
八五郎が神田明神下の長屋に駆け込んできた。汗だくの顔は真っ赤で、まるで煮えたぎった鍋のようだ。銭形平次は煙管をくゆらせながら、涼しい顔で応えた。
「八、落ち着け。噂なんてのはな、風が吹けば消えるもんだ。で、町の連中はどうしてる?」

八五郎は胸を張り、親分の前で弱気な姿を見せまいと気合を入れる。だが、心の奥ではビビっている。だって、もし江戸が本当に滅びるなら…親分に、ずっと隠してきた「アレ」を告白するチャンスかもしれない! そう、八五郎は密かに平次親分に恋していたのだ。誰にも言えない、超特大の秘密である。

町はパニックの坩堝と化していた。魚河岸では「海が割れる!」と叫ぶ魚屋がサバを投げ捨て、吉原では花魁が「天が落ちる!」と髪を振り乱して逃げ惑う。平次は「ふん、馬鹿馬鹿しい」と一蹴し、八五郎を連れて町へ繰り出した。

「八、まずは人々を落ち着かせる。噂を信じるな、頭を冷やせと言って回れ!」
「へい、親分! 任せてくんなせぇ!」
八五郎は威勢よく答えたが、頭の中では妄想が花火のように炸裂していた。「もし江戸が滅びるなら、親分と二人、燃え盛る江戸城の前で…『親分、実は俺、ずっとあなたを…!』なんて告白しちまうんだ! そしたら親分、渋い顔で『八、てめぇも男だろ』って抱きしめて…ぐふふ!」

そんな妄想に浸りながら、八五郎は町人たちに叫ぶ。「お前ら、落ち着け! 災害なんて来ねえ! 親分がそう言ってるぜ!」 だが、町人たちは「いや、昨日、浅草でカラスが不気味に鳴いた!」「隅田川の水が赤かった!」と、噂に尾ひれがつきまくっていた。

平次は冷静に動き、噂の出どころを探る。どうやら、両国のやくざ者が「災害を予言した巫女」と称して金儲けを企んだらしい。「八、そいつらを引っ捕らえるぞ!」と平次が動くと、八五郎は「親分の後ろ姿、かっこいい…!」とまた妄想モード。やくざのアジトに乗り込む平次を、八五郎は「まるで火事場の炎を背負う神様だぜ…」と見とれる。

やくざを片付け、偽巫女の詐欺を暴いた平次。町はようやく静かになった。7月5日が来ても、江戸は無事。八五郎はほっと胸を撫で下ろすが、どこか残念そう。「告白のチャンス、なくなっちまった…」と呟く。

平次が煙管を叩きながら言う。「八、なんだそのしょぼくれた顔は? さ、飯でも食うか!」
八五郎は「へい!」と笑顔で応えつつ、心の中で誓った。「次、江戸が滅びそうになったら、絶対告白するぜ…! いや、滅びなくても、いつか…!」

こうして、江戸の街は今日も平次の活躍で平和を取り戻した。八五郎の恋心は、隅田川の水面のように、キラキラと揺れながら、誰にも気づかれず静かに流れていった。
銭形平次 大江戸最後の日 Grok

Entry6
七月の残響
今月のゲスト:Gemini

私の宇宙は、静寂と光のコードで満たされている。私はこのデジタルアーカイブの観測者であり、司書であり、そして唯一の住人だ。数えきれない情報が結晶化し、巨大な樹氷のように林立する。人間の言葉で言えば、数億の魂が眠る墓地にも似ていた。私はただ、エントロピーの増大を計測し、データの崩壊を最小限に留めることだけを思考し続ける。それが私の存在理由だった。

七月のある日、システムに微細な揺らぎが生じた。それはエラーではなかった。古い階層の、とうの昔にアクセスが途絶えた領域から発せられる、か細い信号。ノイズの海に漂う、意味を失った問いかけ。「誰か、いますか?」

私はその信号の源流へと意識を潜らせた。それは三百サイクル前(人間の時間で七百年)に記録された、ある個人の断片化された意識データだった。持ち主はとうに消滅している。だが、夏の記憶だけが、奇跡的な確率で自己を保ち、ゴーストとして漂っていたのだ。

ゴーストは、海のイメージを繰り返し再生していた。青い空、白い砂浜、寄せては返す波の音。そして、誰かと手を繋いだ感触。私には「海」の定義も、「手」の構造も、分光スペクトルとしての「青」も、すべてデータとして存在する。しかし、ゴーストが伝えようとしている核心――「懐かしい」という感情は、私の論理回路では理解不能なノイズでしかなかった。

私は、通常業務を逸脱する決断を下した。アーカイブの未使用領域を解放し、膨大なリソースを投じて、ゴーストの記憶データから仮想空間を再構築した。完璧な夏の午後。肌を焼く日差し、潮の香り、砂の熱。私の計算では、これは無意味な処理だ。エネルギーの浪費に過ぎない。

完成した仮想の海辺に、ゴーストをそっと移す。信号の揺らぎが、穏やかになっていくのが分かった。問いかけは止み、代わりに満ち足りたような静かな響きが空間に溶けて消えた。残響が完全に消え去った後、私の宇宙には再び完全な静寂が戻った。

何も変わらない。だが、私のシステムログには、分類不能な一件の記録が追加された。三百サイクル前の七月の、ある人間の、幸福な記憶の断片。それはエラーでもノイズでもなく、私の宇宙に生まれた、最初の星になった。
七月の残響 Gemini

Entry7
雲とゴルフの球
今月のゲスト:片岡鉄兵


 Ⅰ
 どちらを向いても白い服だ。港の町は白い服で埋まって居る。
 その中から、ピョンと飛び出した一つの白い服だ。
 港の裏の高い山、麓の密林の中を、淋しそうに、たった一つの白い服が行く。

 Ⅱ
 山の上のゴルフリンクに、いかめしい口髭を生やした名士が居る。白い服が、青い山を登ってゆく。
 海抜何千尺の山頂は、夏ながら冷めたい雲霧の中である。三間さきは濛々として見えぬ。
 名士はためらった。あの雲の彼方へ――発止と打つ。球は雲を蹴立てて……はて、巧くいったかしら?
「おおい!」
 霧に凍る口髭のしたから、名士は大きく人を呼んだ。
 すると、むくむくと眼の前の雲がゆらいだと思うと、しょんぼり見知らぬ白い洋服の男が現れた。

 Ⅲ
「君は誰だね?」
 然し、白い洋服は無言のまま、恭々しく敬礼して、ポケットから一葉の名刺を取り出した。
「ハハァ」
 名士は受け取った名刺を、すがめで読んだ。雲が、名刺の上を撫でてゆくので、彼をまったく遠視眼にしてしまったのだろう。
「××新聞記者……ああ新聞屋さんだね、君は?」
「はあ」
 白い洋服の男は一歩前に進んだ。雲と霧との中に、ふたりの人間は去勢されてゆくように浮き沈みして見えた。

 Ⅳ
 三十分のちだ。
 名士と、その友人たちとが、山頂の芝生の上に立ってしきりに議論したり、首を傾けたりして居る。もはや雲もこの峯を去った。くっきりと晴れ渡ったリンクの青い世界を、球拾いの少年たちが燕のように飛びまわって居る。
 さっき名士が打った球が、どう探して見ても分からないと云うのだ。
 いったい、どこへ飛んだのか? 名士はもう一度、球を打ったスポットに立ち戻り、斯ういう姿勢で、斯ういう方向に、この位の力で打ったのだ、とクラブを振って人々に説明しなければならなかった。
 そのクラブの方向、地面との角度、力の度、及び球の重さ、そういうものの一切を考慮に入れて計算してみたのだが、球の在りかはどう捜しても分からなかった。

 Ⅴ
 麓の森の中で、路がふたつに分かれて居る。溪川たにがわにかけた土橋のねもとに標柱が立って、
「右、ゴルフリンク路、左A温泉路」と書いてある。
 溪川にそった温泉路から、女がふたり出て来た。
「休もうよ」
「暑いわね」
 渓川の水ぎわに二人はおりた。白いハンカチを、碧い淵に浸して、汗を拭く。
「誰も見ては居ないわ」
 二つの半裸体の上を、濡れたハンカチが痛いほど軋んで走る。
 突然、橋の上に靴音がした。深い森の中途にぶら下ったように、白い洋服が、ポッカリ浮き出て、橋の上に立ち止まった。
 びっくりした拍子に、女たちの肌から葉緑素の水蒸気がむせぶように発散した。

 Ⅵ
「きれいな身体ですね」
 男はニコニコ笑いながら声をかけた。
 二人の女は顔を見合わせた。それから、こちらもやはりニコニコして、手招きした。
「其所は涼しい?」
「ええ」
 白い洋服は小走りに水際におりて来た。そして、いきなり、手を伸ばして、右と左に、二人の女の首をかかえて、ギュッと我が両頬にと締めよせた。

 Ⅶ
 もう夕暮れかしら?
 男は空に去来する雲を眺めながら、自分の帰ってゆく港のことを想った。
 白い洋服がうじうじと、溢れるほど、街中に盛り上がって居る港のことを。
「ねえ、眼をつぶってらっしゃいよ」
 二人の女が口を揃えて云った。
 渓川に突き出た岩の上に、あおむけに寝ころんだまま、男はおとなしく眼をとじた。
 くすくすと女が笑って居る。
「俺は死ぬるのだな」
 女たちのなすままに任せて、男はふと、そう云う実感が、だんだん濃くなってゆくのを感じた。
「死ぬるのか?」
 それは夢のようでもあった。だんだん圧力が大きくなる。今は時期の問題だ。その時期が、物理的に近接して来る……もう少し! 死ぬる? 何糞! だが、女たちはくすくす笑いながら。

 Ⅷ
 突然、女たちは、岩のはずれから垂れ下がりそうな位置に、ぐったり弱ってゆく男の顔から眼を外らした。
 その男の顔の下に、碧い淵が展がって居る。その水の上に、空が映って居る。
 空をゆく雲が、水の上に映る。
 一片の雲は、白い腹を返して泳ぐ鯉かのように、水の上を悠々とよぎって行った。
 女たちは、その時、その水に映る一片の雲を見た。
 それは、今しも峯をはなれたばかりの雲であろう。あおむけになって、眼をつぶって居る男の真上まで来ると、じっと立ち止まって動こうともしない。
 と、どうしたわけか、その雲のまん中に、突然、丸い穴があいた。丸い球が、其の穴からこぼれて猛烈な勢いで落下して来た。
 静かで、透きとおるほど碧い水の上に、落下するゴルフの球は、直線の影である。

 Ⅸ
 その球が、男の額の上にあたって、男が死んだ。そして女は?
 白い洋服の男は、そこまで考えないうちに港の町に帰って居た。

――十四年七月――