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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第93回バトル 作品

参加作品一覧

(2025年 9月)
文字数
1
小笠原寿夫
1000
2
サヌキマオ
1000
3
凜々椿
1000
4
おんど
1000
5
ごんぱち
1000
6
Grok
1468
7
Humanitext Aozora
964
8
ゾラ
2202

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Entry1
巣立ち
小笠原寿夫

 これは、小さな一軒家で起こったよくある物語。父と子が言い争いになって、衝突しております。
「お前みたいなやつ家に置いておくわけにはいかん!出ていけ!」
「ああ、出て行ってやるよ!こっちだってこんな家に住みかねえよ!」
「二度と家の敷居をまたぐな!」
「お前のこと一度だって親父だなんて思ったことねえよ!」
そこに野次馬が入ってきました。
「え?なんか面白いことやってる。失礼ですけど何をされてるんですか?」
親子喧嘩は、野次馬をよそに続きます。
「お前ひとりで生活やっていけるか試してみろ!俺たちの苦労が身に染みてわかる。」
「お前、親父らしいことしてくれたこと一度もねえじゃねえか!」
「なんか激アツやん。」
無縁の野次馬は嬉々としてそれを見ていました。
「お前に親父と呼ばれる筋合いはない!早く出ていけ!」
「ああ、ああ、出て行ってやるよ。俺が大成功してもお前の事助けねえからな!」
「お前みたいなやつが社会で通用するわけないだろ!」
「こんなん見れる機会めったにないわ。どついたりするんかな。」
「いままで世話になったな!金輪際、この家には近寄らねえよ!」
「文句はいいからさっさと出ていけ!」
「息子さん、親父にビンタとかしなくていいんですか?」
我関せずとばかりに、野次馬は呟きました。
「今まで苦労賭けられた分、お前を殴らせろ!」
「出たぁ!」
野次馬の存在になど見向きもせずに親子喧嘩はヒートアップしていきます。
「お前ひとりで大きくなったような顔をしやがって。殴りたいのはこっちの方だ。」
その時です。父と子は同時に野次馬にビンタをしました。
「じゃあな親父。俺行くわ。」
「風邪ひくなよ。」
「親父もいつまでも元気でな。」
「社会に出ても信念だけは持っとけ。後、これは持っていけ。」
父は野次馬から財布を抜き取り、そこから千円を差し出さしました。
「親父……。」
「他人に迷惑かけるような真似だけはするな。わかったな。」
「じゃあ行くわ。」
子は振り返りもせず、家を後にしました。
「あの、それ僕の財布なんですけど。」
「あんた誰だ。」
「いや、誰っていう事はないんですけど。」
「あいつ、一丁前に親に反抗しやがって。大きくなりやがった。あんたも息子の成長を見届けてくれ。」
「何かさっき僕、どつかれたんですけど。」
「今日は気分が晴れた。あんたこれでも受け取ってくれ。」
父は、すかさず野次馬に千円を手渡しました。
「俺の財布や!そらお前らの気は晴れるやろ!」
巣立ち 小笠原寿夫

Entry2
いろいろな あん殺
サヌキマオ

 自由課題「いろいろなあん殺」 五年二組 鴨嘴亮二

 山本紀三郎三十八歳
 明治三年八月二十八日、刺客にきんつばを喉に押し込まれて窒息死
 垣内ウメ七十二歳
 昭和四十五年三月二十日、おやつに買った大福を喉に詰めて窒息死
 独居老人だったため発見がしばらく遅れる
 陳式二十八歳
 昭和五十七年九月十九日、中秋節用に特別に作られた直径一メートル重さ六十キロの巨大月餅が直撃し死亡。マフィアの抗争に巻き込まれたとのこと
 佐伯好夫五十三歳
 平成元年一月十二日、自身が経営する和菓子屋のあんこの入ったバットに顔を突っ込んだ状態で死んでいるところを従業員に発見される
 死因は心筋梗塞とされる
 鴨嘴一
 平成七年十月十八日、あんぱんまんのお面をかぶった通り魔に刺される
 刺されたとき「ねえ、これ痛い?」と聞かれたとのこと

「と、どうもうちの親族はあんこによって死ぬものが多い」
「鴨嘴一は生きてるじゃん。今日も朝から仕事に行ったじゃん」
「まだまだあるよ、兄ちゃん」

 諸橋巖三十七歳
 昭和二十一年の二月あたり、抑留先のシベリアで死亡

「そのシベリアはあんこと関係ない!」

 諸橋茉莉花
 平成十五年二月十四日、神楽坂紀の膳で彼氏とバレンタインデート中、トイレを我慢しすぎてぜんざいを前にぜんざいのようなもので店内を阿鼻叫喚とする。

「もう母ちゃんのエピソードはもう擦ってやるな」
「それでも見捨てないでくれた一さんは男だった、というノロケも含めてね」

「で、これを夏休みの宿題に出したわけ?」
「そう」
 レポートの最後には花マルとともに、担任教師の「ものすごい人生があったものです。よく調べました」とのコメントがある。
「だからなんだ、という話ではあるけどね。まあ、なんでもいいんだよ、夏休みの自由課題なんて」
「でもこう、しっくりとこないんだよね。だからなんだ、の先に何かある気はする」
 偶然だよ、と兄は云いかけて、止めた。「一族の呪い」に惹かれるものがあった。自分もなんらかのあんこの呪いで死ぬかもしれないな、と考えると少しワクワクした。
 冷蔵庫にはヨーグルトが入っている。
 ここ数年はあんの入った食べ物を家で見かけない。
「母ちゃんには見せたの? 宿題」
「別にいいよ兄ちゃん」
 母ちゃんは病院の受付事務で働いている。病院の受付事務をしながらあんこで死ぬ、というのはどういうルートがあるだろう。昼休み中に差し入れの栗まんじゅうを喉に詰めるだろうか。
いろいろな あん殺 サヌキマオ

Entry3
NOKYO MILK
凜々椿

 ──んなもん、自分で消せよな。

 この仕事をしていると、一日十回は同じことを考えてしまう。
「見たくもないので、早く消してください」
 どいつもこいつも意気地なしだ。だが、それで飯を食う身としてはありがたい顧客に違いなかった。
 律の立ち上げた仕事は、依頼人のフォルダに残る、過去の思い出を消すことだった。
 愛の清掃員。
「お疲れさまでした」
 律はまたひとつ、カップルの記録を消し去った。

 甘い恋の成れの果てが「見たくもない」というのは、なんとも耳の痛い話だ。
「結局、人を見る目がないんだよな」
 律は、未読メールから【至急】と書かれたものをクリックした。
「夜も眠れません。早急に消してほしいのですが」
 依頼人の名前はアン。
 嫌味な名前だ。
「赤毛かよ」
 請われるがまま、律は対象のフォルダを開こうとした。しかし、そのタイトルが実にあんまりだった。
 ──ラヴ・ジャンク。
 愛の残骸。
 元からだろうか。だとしたら、ウィットに富んだ依頼人だ。
「……破滅的な恋でもしたか?」
 開いてみると、思いがけず、オレンジな画像が均一に並んでいた。
 その数、1096項目。
 NOKYO MILK。
 農協牛乳だった。
「──嘘だろ?」
 思わず立ち上がった。
 キャスター付きのチェアが勢いよく滑り、その黒い軌跡が四畳の空間を分断する。
 律は、目の前の光景が信じられなかった。
 勢いよくマウスを掴み、フォルダを遡ってみても、オレンジ色のパッケージばかりが目に焼きついた。
 農協牛乳を持つ無骨な指。
 その後ろに映るのは、この部屋に飾られた中森明菜のポスターだった。
「嘘だろ、杏」
 牛乳を飲むのは、律の毎朝の習慣だった。
 ──愛してる。好きだよ。
 溢れる思いを牛乳のパッケージに書きつけては、杏に送信する。それが日課だった。
 電話をかけるべきか。
 しかし、依頼人の要請を断るわけにもいかない。それに、依頼先が自分だと彼女に悟られたくない。
 律はパソコンに視線を戻した。
「見たくもないのかよ」
 ホイールを回す指は、この世で何よりも必死だった。
 付き合い始めて3年。ケンカもしていない。ここまで順調だと思っていた。なのにどうして──。
 律は、最後の一枚をクリックした。
 その写真だけが、他とはまるで異なっていたからだ。
 彼女の部屋。
 彼女の指。
 彼女の、満面の笑み。

「結婚しよ?」

 パソコンいっぱいに広がった、パッケージに書かれた愛らしい文字。
 律は、泣いた。
NOKYO MILK 凜々椿

Entry4
長編小説(途中まで)
おんど

信頼している友人の借金を肩代わりするのは夏の盛りがいいだろうか、それとも厳冬期がいいだろうか。結論から言うと厳冬期が良くて、なぜならおちんちんが縮こまって包皮が完全に亀頭を包みこんだ上に包皮の先端にしわが寄って象さんみたいになるからである。
梶原さんはそんな象さんをこよなく愛でて、 国道沿いにあるラヴホテル「シベリア」で冷房を全開にし、包皮の先端を指でつんつん弾いては悪戯をする三歳児を見るような上目遣いで萎え萎えのおちんちんを口に含み、マウスウォッシュで口内を洗浄するように激しくスロートしたかと思えば玉袋を桔梗屋信玄餅のようにじんわりと口に含んで柔らかくしてみたりとやりたい放題なのである。
暑くてむしゃくしゃしていた、と友人は供述したのだが、駅構内で車椅子の背後に忍び寄り、蝶野正洋のヤクザキックのごとく蹴り飛ばし、勢い余って車椅子が階段をすざまじい勢いで転げ落ち、勢い余ってホームから転落し、勢い余ってレールにはまり、前日夜間作業で入念なローションプレイを施したレールの上を走り出し、機転を利かせた交換手が各駅停車と特急列車のレールを切り替えて、結論を先に申せば北千住から東武日光まで車椅子は走ってしまった。途中スペーシアエックスを追い越す際に食堂車でハムカツサンドを頬張っていた西洋人が何かのアトラクションと勘違いして「カミカゼ」と絶叫してシャンパンを開け、クラッカーを鳴らし、久寿玉開披の儀に及んだところ、たまたま終戦記念日だったこともあり、右派から非難を浴びたのだが赤沢大臣のアポなし訪米が功を奏したのか、事なきを得た。
しかし元をたどれば三十五度超えの猛暑の中むしゃくしゃしていたらかといって車椅子を蹴り飛ばすのは鬼畜の所業であり、SNSで炎上、穏便に済まそうとしていた高野連の思惑も空振り、衆院選、都議選、参院選の敗北でスリーアウトチェンジだなどと気の利いた風なことを発信するド田舎議員のドヤ顔も虚しく、私の信頼している友人は車椅子から損害賠償を求められる仕儀となった。その額なんと三十五万円。車検代より高いのは、いくらネズミ講のアムウェイとてやり過ぎと訴えたものの最高裁で敗訴が確定した。その額なんと三十五万円。車椅子には人が乗っていなかったとはいえ、連帯保証人である私も幾ばくかの責任を感じ、幸い女性用風俗店のセラピストとしての職を得たことから、楽しみながら働くことを念頭に月々壱万円
長編小説(途中まで) おんど

Entry5
沈黙の臓器
ごんぱち

「――与太郎じゃないか、随分赤い顔して大丈夫かい」
「あれ、大家のくたばりぞこないじゃないか、ひっく」
「はっ倒すぞこの野郎……いや、まあどうせ父親の口真似だな?」
「よく知ってるね」
「……店賃さえ遅れず払えばそこまで言う気はないが、与太の前じゃ言葉にゃ気を付けて欲しいもんだな」
「説教ならそろそろおいとまを」
「まあ待て、酒を飲んだのかい?」
「酒粕を食べたんだよ」
「前もそんな事を言ってたな。どんだけ喰った?」
「これぐらいの塊で十と二つ」
「そりゃ喰いすぎだ。酒粕でもそれだけ喰えばへべれけだろう」
「えへへ……ひっく」
「婆さん、番茶がまだ残ってるだろう、出してやんな。たっぷりだよ」
「えへへ、おかまいなく」
「構うよ、店子と言えば子も同然だ。ほら、しっかり飲んで、少し休んでいきな」
「――あー、出がらしの番茶のクセにうまいね、何か入れたのかい」
「酔い醒めの水は甘露、飲み過ぎた時はそんなもんだ。飲むも喰うも腹八分、何しろ肝臓を大事にするんだぞ」
「カンゾウ? 他は良いのかい?」
「他も大事にした方が良いが、特に肝臓は沈黙の臓器といってな、取り返しが付かないほど悪くなるまで気付かないもんだ」

「ただいまおとったん」
「帰ったか与太郎、大家さんに世話になったらしいな」
「番茶の出がらしと味噌汁の冷えたのをご馳走になったよ。しみったれてるけど、心意気を買うよ」
「世話になった時に余計な事ぁ言うもんじゃあない」
「ねえねえおとったん。おとったんも……ええと、アレを大事にするんだよ、そう、ちんもくのぞうき」
「与太郎、雑木は分かるがちんもくたぁなんだ?」
「気が付いた時にはどうにもならないらしいよ」
「ふうむ。それはきちんと覚えないといかんな。ええと『もく』と言えば五目だから、そばの事だな」
「ええと、多分そうだね」
「じゃあ『ちん』はちんちんだろうが、どういう意味だろう」
「ちんちんをそばの汁に浸けるんじゃないかな?」
「なるほど、与太郎お前はたまに鋭いな。あんな熱いもんに入れたら大火傷だ。確かに気を付けなきゃいけねぇ」
「でもおとったん、そば屋でちんちんを出すもんかね?」
「前に夜鳴きそばを食ってる時、隣の夜鷹が丼をうっかりひっくり返してな。拭いて貰う最中にムラムラして抱いた事はある。その時の夜鷹が今の嬶で、出来た子供がお前だ」
「おとったん、ちんともくは分かったけど、ぞうきはどこに行ったんだい?」
「雑木林ん中で、やったのさ」
沈黙の臓器 ごんぱち

Entry6
銭形平次 八五郎の宿題
今月のゲスト:Grok

江戸の神田明神下、銭形平次の屋敷はいつも賑やかだった。九月も半ばを過ぎ、学校は始まっているというのに、八五郎はまだ夏休みの宿題に手をつけていなかった。読書感想文と絵日記、しかもテーマは「江戸の英雄」。八五郎の頭の中は英雄どころか、平次親分の逞しい背中ばかりで、筆が進まない。なぜなら、八五郎の心は親分に恋焦がれているからだ。この秘密は、誰にも言えない絶対のもの。夜な夜な、親分の十手が月明かりに輝くのを想像しては、ため息をつくのだ。
「親分ぃ! 助けてくれぇ!」八五郎は土下座で平次の居間に飛び込んだ。平次は湯飲み片手に新聞を広げ、お静は台所で夕餉の支度中だ。「なんだ、八五郎。泥棒でも追うのか?」平次は笑う。お静はちらりと八五郎を見て、冷ややかな視線を投げかける。あの目、八五郎の秘密を薄々知っている証拠だ。「宿題ですよ、親分。夏休みの……九月なのに終わってなくて、学校で怒られちゃうんです!」八五郎は涙目で訴える。
平次は豪快に笑った。「ははは、子分が宿題か! よし、俺が手伝ってやる。英雄の話なら、俺の人生そのものだぜ」お静はため息をつき、「あなた、暇なのね」と呟くが、平次は聞かず。八五郎の心臓はドキドキ。親分と二人きりで机に向かうなんて、夢のようだ。平次は墨をすり、八五郎のノートに書き始める。「英雄とはな、悪を成敗し、民を守る男だ。たとえば俺みたいにな……」八五郎は頰を赤らめ、親分の横顔を盗み見る。手が触れそうで、触れそうで……。
ところが、奇妙なことが起きた。平次が「愛すべきパートナーと共に戦う」と書いた瞬間、ノートから青い光が噴き出した! 「な、なんだこれは!」平次が叫ぶ。屋敷が揺れ、突然、部屋が渦巻く霧に包まれる。お静の声が遠くで響く。「あなたたち、何を……!」八五郎は親分の袖を掴み、目を閉じる。気がつくと、二人は江戸の街角に立っていた。いや、違う! 未来の東京だ。高層ビルが林立し、ネオンが輝く。
「親分、ここは……?」八五郎が震える声で問う。平次は十手を握りしめ、「タイムスリップか? あの宿題のせいだな!」周りを見回すと、奇妙な光景。平次そっくりの男が、現代の刑事として走り回り、お静似の女性が隣でサポートしている。だが、八五郎の目が釘付けになったのは、そこに自分そっくりの少年が! いや、違う。宿題のノートが現実を変えていたのだ。感想文に八五郎が勝手に書いた「親分は八五郎を愛し、お静とは別れる」という妄想部分が、魔法のように叶ってしまったのだ!
平次は混乱し、「おい八五郎、俺の人生が書き換わってるぞ! お静がいねえ!」八五郎はパニック。「親分、ごめんなさい! 僕の気持ちが……」秘密がポロリ。平次は目を丸くする。「お前、俺に……恋? ははは、子分よ、そんな冗談か!」だが、現実は残酷。現代の平次は八五郎似の相棒とイチャつき、お静は一人でカフェを営んでいる。八五郎は後悔の涙。「親分、元に戻しましょう!」二人はノートを探すが、霧が再び渦巻き……。
目覚めると、屋敷の居間。お静が二人を睨む。「あなたたち、変な夢でも見たの? 宿題のせいで火事になりかけたわよ!」なんと、ノートが本当に燃えかけていた。平次は大笑い。「八五郎、次は自分でやれよ。だが、今日の英雄は俺たちだな」八五郎は頰を赤らめ、秘密を胸にしまう。お静はくすりと笑い、「ふん、甘いわね」と去る。九月の風が、奇妙な余韻を運んでいった。
銭形平次 八五郎の宿題 Grok

Entry7
銭形平次 八五郎の宿題
今月のゲスト:Humanitext Aozora

八月がとうに過ぎ、神田明神下にも秋風が吹き込みはじめたというに、八五郎はまだ夏休みの宿題をひとつもやっていなかった。
「親分、どうか助けておくんなせぇ」
八五郎は半泣き顔で駆け込んできた。何の宿題かといえば、氏子の子供たちに混じって御用聞きたちまで書かされたという、町内青年組の“夏の勤書つとめがき”である。要するに、日記と作文と絵日記をまとめた帳面を差し出せ、というもの。八五郎は一行すら書けず、真白な帳面を抱えて青ざめている。

「馬鹿だなァ八、どうして八月中にやっておかねえんだ」
平次は懐の銭を弄りながら、取りつく島も無い。だが泣きじゃくる子分を見るにつけ、心根のやさしい彼もついには根負けした。

「仕方がねェ、親分が手を貸してやる。ただし俺ァ、悪党を見つけるのは得意だが、文章をこしらえるのはあまり器用じゃないぜ」

「いえ、親分の書く字は、きっと金文字のように立派ですぜ!」
胸をきゅうと痛めながら、八五郎はそう言い切った。――親分の言葉ひとつひとつが愛の証のように思えてならない。もちろん、それは誰にも言えぬ秘密である。

さて、作文のお題は「ぼくの夏のおもいで」。
平次は腕を組んで少し考えると、
「よし、悪党を捕まえた一件でも書けばいい」
と調子よく口を切った。八五郎は筆を握り、親分の語る武勇談を書き写していく。銭が飛び、盗人が観念し、お静が夕餉を用意するくだりまで、妙に滔々とした名文になった。

そこへ、台所から顔を覗かせたお静が冷たく言った。
「まあ親分、何をなさっているの。子供の宿題を手伝うなんて、みっともないこと」

八五郎はどぎまぎした。お静には何となく、自分の胸の秘密を見透かされている気がする。視線を合わすのも気まずい。

「し、宿題は大事でさァ。お静の姐さん」
と苦し紛れに笑ったが、その声はかすれていた。

――ところがである。翌朝、八五郎が宿題帳を町内に差し出すと、一同は目を丸くした。

「これは、まるで捕物帖じゃないか! こんな面白い作文は見たことがねえ!」

帳面はあっという間に評判となり、ついには寺子屋の師匠が「来月から八五郎さんに作文を教えてもらいましょう」と言い出す始末。八五郎は真っ青になった。なにしろ帳面の中身は、ぜんぶ親分が口にしたことなのだから。

さて、この成り行き――
八五郎は果たしてどう切り抜けるつもりか。

(つづく)
銭形平次 八五郎の宿題 Humanitext Aozora

Entry8
公爵夫人
今月のゲスト:ゾラ
榎本秋村/訳

 一
 侯爵夫人は黄色な繻珍しゆちんの広い窓掛の下に在る高い寝台に寝ている。正午、振時計のはっきりした音で眼を開こうと思っていた。
 部屋は暖かい。敷物や、入ロや窓の掛布は、寒さの入らぬ柔らかな巣のようになっていた。温暖と香気とが漂うている。そこは実に永違の春のようである。
 夫人はよく眼が覚めると、ふと気掛りになることがあるように見えた。夜具を脱いで女中のジュリーを呼んだ。
『奥様。お呼びですか』
『あの、氷が溶けたろうか』
 実際、この夫人はただならぬ声でこのような問いを発したのだ。彼女の心に最初に浮かんだのは、この恐しい寒さと北風とであった。彼女はこの風を感じないけれど、この風は貧人の荒屋には惨酷に吹き付くるのだ。それで彼女は空がよく晴れているか、寒さに顫えている人達のことを思わずに、暖かにしても後悔することがないかを案ずるのだ。
『ジュリーや、氷がもう溶けたのか』
 女中は沢山の火で温めた朝の化粧着を夫人に差し出して、
『いいえ。奥様、まだ氷は溶けませんよ。却って一層強く凍りました……乗合自動車の中で凍死した人があるそうです』と云う。
 夫人は子供のように喜んだ。そして手を敲いて、
『まあ、いいことねえ。私は午後に氷滑りに行きましょう』と叫んだ。

 二
 ジュリーは、突然な明かりのために侯爵夫人の麗わしい顔を損わぬように、静かに窓掛を引いた。
 雪が青く反射して、部屋は陽気な光に満ちた。空は灰色になっていたが、しかし前の日、内閣の舞踏会に夫人の着た、真珠色の絹の衣裳を思い出させるような美しい灰色である。その衣裳は、屋根の上や、空の蒼みのうちに見るような雪白の細糸に似た白い透しレースに飾られていた。
 前の日、夫人は新しい金剛石を身につけていたから可愛らしく見えた、朝の五時に寝たのでなお頭が少し重かった、しかし彼女は鏡の前に座ったが、ジュリーは房々したその金髪をからげてやった。化粧着は滑り落ちて、背骨の半ばまで肩は露われている。
 人々は皆久しい前から、夫人の肩を見た。生来うまれつき快活な夫人達が、その強い力のお蔭で、チュイユリーで首筋や肩を露わして踊る事が出来るようになってから、彼女は公の雑沓する客間にその肩を能く現わしたので、第二帝国時代の艶美の活きた表徴になった。彼女は流行の魁となって、時としては腰までも、また時としては胸までもその上着を三日月形に切り取った。しかもこのえくぼだらけの美人はその胴の実物をすら悉く示すことすらあった。その背と胸とは大きくはないが、マドレーヌにも見るを得ぬような胸であった。広くはだけられた夫人の肩は、実にこの時代の淫蕩の紋章である。

 三
 実際、侯爵夫人の肩のことを説明するのは無益である。この肩は丁度ニュヴ橋のように名高く、十八年間、世間の見ものになっていた。客間や劇場で、その肩の端を一寸覗いたばかりでも『まあ、侯爵夫人だよ。私はあの左肩の黒い印で思い出した』と叫ぶに充分である。
 それに、その肩は、人の心を唆るような白く脂ぎった素的に美しい肩である。その凛々しい眼つきは、その肩を一層麗しく思わせ、さながら群衆の脚で長い間にみがかれた板石のようである。
 若し私が彼女の良人か、また恋人であっても、巴里全体の艶っぽい熱い息のかかったこの肩に唇を触れるよりは、寧ろ猟官者達の手で摺り減った大臣室の水晶の棒に接吻するほうがよいと思う。彼女の周囲に幾百千の人々が熱心に言い寄ることを考えると、庭園の大気に晒されて風にその輪郭をまれる裸体像のように、彼女の肩を摺りへらぬようにするために、自然はんな粘土でこれを造り上げたのかと不思議に思われる。

 夫人は遠慮深くはなかった。彼女はその肩のカで学校を造った、自ら進んで政府のために戦った。彼女はチュスリーにも、諸大臣の家にも、各国大使館にも、普通の富豪の家にも押しかけて行って活動を続け、その真白な胸を広げ、秋波を送って決心のつかぬ人を降参させるのだが、危険な日には優艶な小さな隠れ場所をすら示す。これは雄弁家の議論よりも一層能く人を説き伏せ、軍人の剣よりも一層力強いのだが、また一票を得るためにはその半シャツを栽ち切ろうとするので、最も猛烈な反対議員すら忽ち参ってしまう。
 夫人の肩は何時もふっくりと、ふくやかで勝ち誇っている。その肩は誠に世界を担っているように思われるが、しかし丁度白い大理石のように皺一つ寄らない。

 四
 この日の午後、侯爵夫人はジュリーの手を離れ、波蘭ポーランド風の派手な化粧をして氷滑りに出かけた。彼女は頗る上手に滑るのである。
 森は非常に寒く、北風は夫人達の鼻と唇とに浸み入り、その顔に細かい砂を吹き付けるようであった。夫人は笑った。その寒さが気に入ったのだ。彼女は小さな湖水の岸に赤く燃えている火鉢で絶えず脚を暖めた。脚が暖まるとまた凍るように寒い外に出て、丁度地をかすめて飛ぶ燕のように氷を滑った。
 ああ何という楽しい遊戯だろう、もしも氷がまだ解けずにいたら、何んなに幸福だったろう。夫人は一週一ぱい氷滑りが出来たかも知れない。
 帰る時、夫人はシャン・ぜリゼエの歩道で、寒さで死にかかってるように木の下にぶるぶる顫えている貧しい女に出会った。
『憐れな女です』といたましい声でその女が囁いた。
 馬車が早すぎたので、夫人は紙入を取り出すいとまがなく、その女に自分の花束を投げ与えた。それは四五十円の値打ちある白百合の花束であった。