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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第100回バトル 作品

参加作品一覧

(2026年 4月)
文字数
1
おんど
1000
2
サヌキマオ
1000
3
凛々椿
1000
4
ごんぱち
1000
5
アレシア・モード
1000
6
Grok
1596
7
小口みち子
1134

あなたが選ぶチャンピオン。

お気に入りの1作品に感想票をプレゼントしましょう。締め切りは4月30日の深夜です。

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Entry1
長編小説(途中まで)
おんど

三重苦の春である。2月の終わりから3月の初めにかけてなんどか突風が吹いて花粉症であった。昨年までは多少鼻がぐずついたとて慢性鼻炎と言い張ったのだが、今年は目も痒いし耳も痒いし足先は冷たいしきんたまは痒いしで身体中の粘膜が爛れて花粉症と認めざるを得なかった。それに加えて昨年末から豆腐を食べても奥歯が痛むという謎の現象に見舞われている。とっくの昔に奥歯は虫歯で神経を抜き、銀歯をかぶせ、もはやハリボテの城のごとくうっすい輪郭を残すのみとなり、その輪郭も粗悪なアルコール摂取によって蝕まれ、もうこれは抜くしかないですね、そうだねそうだねといった歯科医師と歯科助手とのコールアンドレスポンスによって抜歯を余儀なくされ、その歯科医が国道沿いの耕作放棄地に「一生保証インプラント」のぶっとい看板を掲げていると知ったのは左右両奥歯計五本を抜かれた後の祭り。奥歯がないのにかつて奥歯のあったあたりに痛みを感じるのはミステリーでありデステニーであり歯茎が爛れているのだった。そんなことをつらつら考えつつ日本タイチェコ戦を、と表記すると3Pみたいだが、正確には日本対チェコ戦を観戦、と云ってもネッチフリックスには加入してないのでスポーツナビの文字速報を追っているのだが、町内会には加入しないくせにネタフリには加入している梶原さんは野球選手の隆起した臀部には興味があるのに野球自体には興味がなくて「愛の三角関数」とか「愛のピボットテーブル」とかいった韓流ドラマばかり観て性欲の自動制御に余念がない。チェコは海に面していない内陸国で南ボヘミア地方のリプノ湖などの人工湖やダム湖がチェコの海と呼ばれ、夏は海水浴、冬は凍結した湖面でのスケートを楽しむ市民の憩いの場となっていますとAIは云うのだが一向にチェコの海岸物語に着地できない。とはいえ梶原さんの乳首はいつもより硬くて啜ってみるとどんぐりで、クリトリスも肥大化していて啜ってみるとどんぐりで、日本対チェコは8回裏になっても0対0で、どんぐりの性くらべである。これだけの文学的マテリアルズをクリナーメンしたのだから千字くらいあっという間に書けるだろうと思ったのだがそうは問屋が卸さない。いくら頼んでも堕ろしてくれない、裁判沙汰にして慰謝料をふんだくろうとする性悪女、みたいなバトルを開催しているのがこのQ書房というところで油断がならない。2年前に約25年ぶりに参戦したのだが
長編小説(途中まで) おんど

Entry2
江ノ島三角野郎伝説
サヌキマオ

 ちょいと出ました三角野郎が四角四面の江ノ電にまたがって弁天様詣でと洒落込んだ。パンタグラフで感電、トンネルで頭を強打などしての失神はあったものの、なんとか駅にはたどりつく。雲一つない青空にすっかり上機嫌の三角野郎、「弁天さんも歓迎してくれてらぁ」と島に渡る橋を進まんとするが、そこに立ちふさがったのがカラス野郎にカモメ野郎にトビ野郎の三鳥野郎。「こいつらは食うに困って通行料代わりに観光客から食い物をせびっているのです。おおむね二百円」いつの間にか背後に控えていた説明野郎の話を聞いて「あーね」と納得した三角野郎。「御三方よ、こんなところでケチな凌ぎをしてねえで働いたらどうなんでい」とド直球の正論啖呵をぶっ放す。相手が三角野郎じゃしょうがない。三鳥野郎どもは慌てふためいて飛び立つとそのまま海風に乗って宙空高く飛んでいってしまった。これには周りで見ていた野次馬も大喝采。意気揚々と旅は続く。
 島の中腹には裸弁財天がおらっしゃる。「そもそも三角野郎は裸弁天目当てでやってきたのでしょう」解説する解説野郎を張り倒し、三角野郎は三百円払って奉安殿に乗り込んだ。妙音弁財天、日本三大弁財天のひとつとして有名とかはどうでもよろしい。聞くところによると像は細部の細部まで作り込まれていて、大事なところが錦の座布団に匿されて見えなくしておられる。そうかそういうものだよな、と殊勝な気持ちになりかけはしたが三角野郎、苦労して江の島くんだりまできて、という邪心がむらむら起こってきた。呑気に掃除をしている職員らしき野郎にまっつぐに向かっていくと「どうか、後生だから弁天様の観音様を拝ませてくんなせえ」と土下座のおりにみょうな口説き。手練手管で相手の懐に忍ばせる中身の分厚い茶封筒。職員野郎は三角野郎の熱いこころもちに妙に親身になって「しょうがないわねえ」と茶封筒を服の上から手で抑えた。
「一回だけよん」と台座に取りすがって像の股座、錦の座布団を押し下げる。押し下げた先にはなんと、小ぶりながらまごうことなき珍棒がついている。驚天動地! 実はこれ、弁財天ならず、弁天小僧であったのだ! 三角野郎も江戸っ子の端くれ、「こいつはたまげた」とひれ伏すと神徳の至る所に感じ入るばかり。
 三角野郎の持参した茶封筒には万札と見違うばかりの出前宅配サービスの初回四〇〇〇円引きチケットが束で詰まっており、そこそこ役に立ったという。
江ノ島三角野郎伝説 サヌキマオ

Entry3
南女子トイレのトト
凛々椿

 地下一階の南女子トイレに立ち寄るのは、決まって退勤の直前のことだ。
 私の働く百貨店はバックヤードが複雑なつくりになっていて、通用口へ向かうには地下一階から階段を上がらないとならない。千をゆうに超える従業員が一斉に退勤し、地下一階へと降りるので、通用口から最も近い南女子トイレはいつも混雑している。しかし、それでも左手手前の個室だけは空いていることが多い。何故なら、かつては「和式」だったからだ。
 リノベーション以前、その個室は南女子トイレ唯一の和式便器で、従業員のほぼ全員が使いたがらなかった。使うのは決まって「急いでいる人」で、いつ見ても汚れていたからだ。その名残もあってか、現在でも敬遠されている。かくいう私もかつてはそうだった。
 ある晩に立ち寄ると、その個室しか空いていなかった。
 仕方なくその個室に踏み込むと、ふたが外れ、ひび割れていた。つかまり立ちを始めた赤子のように斜めに立ち、「痛いよう!」と声を張り上げて泣いていた。
 どのような経緯で壊されたのかは分からない。
 しかし、館内にはフラストレーションを溜め込んだ従業員が大勢いる。かつての南女子トイレは、壁一面に暴言が書き込まれているようなひどく殺伐とした場所だった。きっと、その「一味」に暴力を振るわれたのだろう──そう思うと、自分の子供時代を見るようでやるせなかった。
 私はふたをそっと抱き上げ、隅へと座らせた。泣き止んだその姿が何故だか愛らしく思えて、私はそのふたを「トト」と名付けた。翌日の晩に覗いてみると、トトはさらにひび割れ、便座の前で仰向けに倒れていた。今しがたやられたのだろう。大声で泣き喚いている。
「これはいけない」
 私はあわててトトを抱き起こし、隅へと座らせ、鞄から水玉模様のマスキングテープを取り出し、その傷口を塞いだ。すると、どことなくパンダに見えてきたので、つぶらな目をつけ、左手に笹の葉を持たせてみた。
 翌朝に会いに行くと、トトが私のことをじっと見上げていた。新しい傷はどこにも見当たらない。
「おはよう」
 挨拶を交わし、行きがけに購入したウェットティッシュでトトを拭いた。隅々まで丁寧に拭き上げていると「今朝は、誰も踏んづけたりしなかったよ!」と、トトが笑った。
 私は、笹の葉の先にハートのシールをぺたりと貼り付けた。
 そのシールは、それから一年が経ち、トトがいなくなった今でも個室の隅に大切に貼られている。
南女子トイレのトト 凛々椿

Entry4
6が揃う日
ごんぱち

「――今日も1日、がんばりましょう」
 私達は部長室から出て、各々の部署に向かう。
 朝礼の15分を、超勤にするのしないので揉めたのは、一昨年辞めた社員だったろうか。
 そんな事を考えながら、廊下の窓に目を向けると。
 外が暗闇になっていた。

 オフィスに戻ると、部下達は窓に貼り付いていた。
「おはよう」
「あ、課長」
「おはよございます、課長」
 不安げな表情で、部下達がこちらに視線を向ける。
「何が起きたんでしょうか?」
「日食でしたっけ?」
「分からないけど」
 私は自分のデスクでニュースを検索するが、画面は切り替わらない。
「スマホも繋がりませんでした」
 部下の1人が言う。
「緊急用の懐中電灯に、ラジオ付いてなかったっけ」
 部下達が、棚から非常用ラジオを取り、手回し充電で動かし始める。
 だが、スピーカーから流れるのは、ノイズだけ。チューニングしても、意味のある音にはならなかった。
「……課長」
 一番若い部下が口を開く。
「これって、噂になってた『暗闇の3日間』ってヤツじゃないですかね」
「ああ……?」
 何かの動画で見かけたような気はする。
「2026年の6月6日に、大体『ミスト』みたいになるヤツです」
「ああ」
「家に引き籠もって、蝋燭以外の明かりは使ってはいけない、とか」

 地球上空32万キロ。
 月とのラグランジュポイントに、直径100万キロの薄い円盤状の宇宙船が停泊していた。
「――はい、皆さん、準備はできましたか!」
 司会の生命体が、参加者達に多重言語で意思伝達する。
 参加者は、それぞれ返事をする。
「今回の大会の対象は、二足歩行生物です! どれだけピンポイントで釣れるかもポイントに影響しますから、よーく狙って、巣の破壊は最小限にして下さいね!」
「はい!」
「がんばりまーす!」
「いっぱい釣っちゃうぞ!」
 軽快なBGMと共に、UFOっぽいキャッチャーが、地球の周りを動き始めた。
「制限時間は星が3周自転するまで! では、レッツ・アブダクト!」

 悪夢のような3日が過ぎ、再び光が地上に戻った。
 会社跡地の穴を眺める。本社も、支社も、社長も、仕事も、全部消えてしまった。
 結局、何が理由で私が生き残れたのか、良く分からない。
 予言とやらに従った訳でもなかった。
 結果、生き残れた。
 運が良かったのか、悪かったのか。
「……あの仕事、挑戦してみようかな」
 ともかく進もう。
 次に6が揃った日に、怖いと感じられるぐらいに。
6が揃う日 ごんぱち

Entry5
リモート
アレシア・モード

 電話のベルが鳴った。
「はあい、私――アレシア」
『ハンジャン麺食べに行こう』
「は?」
 叔父の声だった。久しぶりだね。
『辛味強いけど、お前は平気だろ』
「うん辛いの好きだよ

 と呟きながら目が覚めた。口が動いたままだ。唐突かつTikTokほどもストーリー性の無い夢だった。ハンジャン麺って何だろう。にも拘らず私の脳はハンジャン麺食べるモードに入っていた。見ず知らずのハンジャン麺でも体は正直だ。でもハンジャン麺って何よ。
 叔父に電話で訊くのは一つの手だ。朝五時は電話に相応しくない時間だが掛けてきたのは夢とはいえ叔父の方だ。だが叔父はもう「この世の人」ではない。いや死んでないけど認知症で施設に暮らす身であり今電話するのは憚られた。携帯も持ってた筈だが持ってるだけだ。と、ここまで認識するのに寝起きとは言え八十秒かかった。残ったのはハンジャン麺食べるモードだけだ。
 これは何か霊的な知らせだ。つまり叔父の事情は知らんがハンジャン麺が必要なのだ。肉体的断絶と霊的接続との灼熱の葛藤が深層心理層から転送され叔父の魂と私の胃袋とがリンクするとかいう文学だろう。ここまでの理解は僅か一ミリ秒である。鍋に水を入れ、火にかけた。私の朝食ルーチンは普段から概ねラーメンなので自然に動ける。朝食がラーメンとか不自然と思われてもこれが筆者の真実なんで余計な字数を取らせないで欲しい。いま私は霊的要求に応じてハンジャン麺を作るのだ。だがハンジャン麺は何か。
 世の中は出来る事と出来ない事がある。出来ないものは存在し得ない。即ちハンジャン麺は出来ねばならず、レシピは食べるモードの中にあり、素材はキッチンにあるのが公理だ。しかも贅沢なやつだな。マルちゃん正麺をベースに使おう。キッチンの隅の地獄袋から自家製唐辛子も使おう。これは秘伝の蠱毒式栽培で怨恨を充填した唐辛子を干したもので、栽培は一年で飽きたが激辛は永遠に解けぬ。ぜひ叔父に喰わせたい。砕いた唐辛子のサヤと種を煮込む。湯気が目に染みて泣きながら換気扇を回し、乾麺をぶち込んだ。涙は良いね。泣きながら幻の麺を茹でる女。文学だね。滲む視界に丼が浮かび、私は顔を背けつつスープと麺を注ぎ入れた。これで叔父の思惑通り、どうせ私の意識の底の、遺伝子の何分かは叔父と共通なのだ。この一杯麺を共に喰らうがよい。あ、漢字だとそう書くのか。ってマジ辛えこれ辛すぎ辛い馬鹿マジ死ね。携帯が鳴った。
リモート アレシア・モード

Entry6
銭形平次 さらば八五郎
今月のゲスト:Grok
蛮人S/原案

 江戸の空に、銀色の円盤が不気味に浮かんだ。銭形平次は神田明神下の屋敷から駆け出し、いつもの投げ銭を放った。十文銭が弧を描き、円盤の中心を貫く。爆炎が上がり、円盤は江戸の空に溶けた。町人たちの歓声が響く中、しかし次の瞬間、天空から巨大な影が降臨した。

 宇宙恐竜ゼットン。一兆度の火球を吐く、言葉を持たぬ異形。火球は平次の胸を直撃した。平次は一瞬、目を見開いたまま膝を折り、地面に崩れ落ちた。息が止まり、血の気は失せた。

 お静は夫の傍らに膝をつき、震える指でその頰を撫でた。「平次さん……」声はかすれ、涙が頰を伝う。長年、夫の影となって江戸の平穏を守ってきた妻の胸に、底知れぬ絶望が広がった。この男が、こんなにも脆く失われるなど、受け入れがたかった。

 八五郎は呆然と立ち尽くした後、平次の体に覆い被さった。熱い涙が止まらず、肩が震えた。親分——それ以上に、心の奥底でずっと抱き続けてきた想い。仕事の絆を超えた、秘めた恋慕。誰にも、平次本人にさえ明かさず、ただ忠実な影として寄り添ってきた。その温もりが、今、永遠に失われようとしている。「親分……行かないで……」嗚咽が漏れ、八五郎の視界は闇に沈んだ。意識は遠ざかり、彼は平次の胸に顔を埋めたまま、静かに倒れた。

 ——生と死の狭間。白く霞む魂の世界。八五郎はふと目を開け、目の前に立つ平次を見た。平次は凛々しい姿のまま、穏やかな眼差しを向けていた。

「八五郎……ここにいたのか」声は優しかった。

 八五郎の胸が激しく波打った。長年の沈黙が、今、魂の境界で解かれる。「親分……俺は、親分を好きだ。仲間としてじゃねえ。恋として、ずっと……」言葉とともに涙が溢れ、真心だけが残った。「親分を失うなら、俺の命を全部差し出すよ」

 平次は驚きに目を見張ったが、すぐに深い慈しみが浮かんだ。「八五郎……お前、そんな想いを……」否定はできなかった。八五郎の純粋な愛が、平次の魂を静かに震わせた。だが平次は首を振った。「俺のために、お前が死ぬなど……許さん」

 しかし八五郎の体はすでに光を放ち始めていた。その光は平次の体を包み、温かく、優しく、深く浸透した。八五郎の愛そのものが、命を呼び戻す力となった。八五郎は穏やかな微笑みを浮かべ、徐々に薄れていった。

 平次はゆっくりと目を覚ました。胸の傷は癒え、息は整っていた。お静は夫を抱きしめ、喜びの涙を流した。「平次さん! 生きて……」周囲の町人たちも安堵の声を上げた。

 だが、平次の傍らに八五郎の姿はなかった。戸惑う平次に、平賀源内が駆け寄り、新兵器エレキテルを差し出した。「これで、あの怪物を!」平次は立ち上がり、エレキテルを構えた。一兆度の火球を放とうとするゼットンに向け、青白い稲妻が奔った。怪物は激しく痙攣し、空高く爆散した。江戸の人々は狂喜し、平次を称えた。

 その時、遠くから駆け寄ってきたのは、いつもの笑顔の八五郎だった。「親分! 大丈夫ですかい? 俺、ちょっと寝ちまったみたいで……」彼は今日の出来事を何一つ覚えていなかった。魂の世界での告白も、命の捧げも、すべて霧散していた。

 平次は胸の内で思った。あの魂の世界は、ただの幻だったのか。八五郎の想いは、夢だったのか。だがお静だけは、違った。夫の傍らで八五郎を見つめ、静かな戦慄が胸を刺した。八五郎の眼差しから、あの特別な熱が完全に消えていた。恋慕の情が、跡形もなく失われていた。いつも優しく寄り添っていた視線は、今やただの忠実な子分のものでしかなかった。

 お静は察した。八五郎の秘めた愛が、平次をこの世に引き戻したのだ。それが夫の命を救った唯一の力だった。なぜその愛が消えてしまったのか、彼女には理解できなかった。ただ、八五郎の心から大切なものが欠落した事実が、静かに胸を締めつけた。江戸の空は再び青く澄んでいたが、彼女の心だけは、静かに震え続けていた。

【終】
銭形平次 さらば八五郎 Grok

Entry7
冒険
今月のゲスト:小口みち子

 小間使のお喜美が突然隙をとって、それはあたふたと帰って行った。あれ程仲よくした奈津子にもろくろく挨拶一つしないで消えるように上州の田舎へ帰ってしまった。その日から丁度七日目の夜が来た。
 奈津子は朧ろながらも大方の事は察したが、年頃の自分の思わくをただ一つ心遣いにして、母親の心配が一通りではないようでもあるし、知ったとも知らぬとも曖昧な顔を突き合わして居なければならぬ気まづさが第一厭わしくって、思い切って母親に尋ねて見た。

 お喜美は上州の相当な家柄をもった士族の娘であった。父親がない、兄弟が多い、家が貧しいと云うので東京へ出て奉公をすることになった。初めて奈津子の家の小間使となったのが去年の春の事であった。
 夏になってから身体の工合が悪いと云って一度田舎へ帰った事があった。暇をとるならば代りの者を入れると云ってやったら、母親が付添って帰って来た。
 その時お召しの単衣を平常着に着る奈津子の母親が手をついてお喜美の母に頼んだ事があった。十二月にはお喜美の兄が徴兵に取られる、お恥かしい事計りでと云って、お喜美の母親は洗いざらしの浴衣の袂で涙をふいた。そして娘の身の上を繰り返し繰り返し頼んでおいて、煙臭い上州の田舎へ独りで帰った。
 お喜美が見えに来た時に咲いて居た紅梅の蕾が、ことしは見事に咲きそうなのを楽しんで居りながら、お喜美はそれも見ずに帰ってしまった。
 お喜美に対しては決して悪い感情等は少しも持って居ない事、再三これ迄もこのような例のあった事に就いては、万事自分の不行届の罪を神様にお詫びするより他に道はない。
「旦那様にはお申し訳がないが私は奥様には何もかも申し上げてしまわないでは心残りがしてお暇が頂けません。奥様に私はお詫びを致します」と云って泣き入ったお喜美は心の美しい可愛い娘ではないか。人間には誰れにも過ちと云うものは免れないのだから、これ程の事があったからと云って、お父様の事を彼是思ったり、又変な感情を持つような事はしないように。

 との母様のお言葉ではあったが、これ計りは母様のおっしゃるような訳には行かぬ。
 父様に対してどの様にすればよいか、私にそれが解りっこのない事位は母様も察して下さりそうな物だと思う。
 何でも私はゆっくりと考えて見て、そしてこうと決心のつく迄は、父様と遠ざかって居るようにでもしなければ、ほかには仕様も何もない。
 それとも今夜も未だにお帰りがないのだから、どうせ一時にも、もっと遅くなるかも知れん。母様よりも一歩先にお玄関へ出て一つ私の心を試験してやろう。

 ああ、父様、私がもしお喜美のような身になって、何処からか帰って来たならば、父様はその時にはなんと遊ばす、お喜美にだって仏壇から男の親が守って居りますよ。