Entry1
迷探偵登場
夏川龍治
一人の男がその部屋のドアをノックした。
「よくいらっしゃいましたね」
男がドアを開けると、やさぐれた印象の老人が皮肉めいた微笑とともに言った。
「ホームズさんですよね」
「ええ、そうですが」
にこりともせずに、ホームズはこたえた。
「最近、妻の様子がおかしいのです」
「どんなふうにおかしいのですかい」
「妻は昔は薄味の料理が好きだったはずなのに、近頃は味の濃い料理ばかりを出すようになりました。そのくせ、自分はこれまでと変わらず薄味の料理を食べているのです」
「奥さんの異変というのはそれだけですか」
「他にもまだあります。妻が休日に出かける回数が増えたり、私に対する態度もどこかよそよそしくなったり……。それに昨日などは、真夜中にたった一人で包丁を研いでいたんですよ。その不気味さと言ったら! ねえ、ホームズさん。あなたのその天才的な頭脳を使って、妻の異変の原因をつきとめていただけませんか」
「わかりました。あなたのご期待に添うべく、精一杯の努力をいたしましょう。それで、早速報酬の話ですが……」
(報酬)という言葉を口にした途端、それまで沈みきっていたホームズの眼がにわかに鈍い光を帯びはじめた。
「今回は多少複雑なご依頼ですから、このぐらいはいただきましょうか」
提示された金額の膨大さに、男はにわかに青ざめ、そして次の瞬間には頬を深紅に染めた。
「一度に払えないなら、一定の金額を毎月お支払いいただくという手もありますよ」
「分割払いということですか」
「まあ、そういうことですね。私も人の子です。そのくらいの寛大さは持っていますよ。ただし、一度でも返済が滞ったり、全額返し終える見込みが絶たれたりした場合には、あなたの胸の肉をきっかり一斤ちょうだいいたしますが、それでもよろしいかな」
平然と発せられた冷徹な一言に、男は驚愕した。
「それじゃあまるで、悪徳商人だ!」
男がやっとの思いで発した言葉は、ホームズの残忍な含み笑いの前にあっけなくかき消された。
「あなたは誰もが尊敬する天下の名探偵、シャーロック・ホームズではないのですか!」
「シャーロック・ホームズ? 誰です、それ」
「じゃあ、あなたは誰なのです」
ホームズは待ちかねたとばかりに立ちあがり、大げさなほどに陰険な表情を浮かべて、叫んだ。
「俺は、泣く子も黙る天才探偵、シャイロック・ホームズ様だ!」