村方祐治
私は幼いころ砂場によく行った。そのときは泥団子を作った。単純な作業であるために、むしろはまっていってしまう。大人ならまだしも、子供はもう泥団子に恭順するしかない。
しかし、同じくらいの年なのにその魅力を知らない子がいて、その子は私の作った泥団子を潰したがっていた。私はその子が潰すための泥団子をつくっているんじゃあないか。そう思うと、泥団子がかわいそうで仕方がない。
だから私は、泥団子を作ることをやめた。泥団子を潰したがっていた子は、私が泥団子を作らないせいか、とてもつまらなさそうだ。ぶらぶらしていたが、やがて砂場から去って行った。それから私は、砂山を作るようになった。これも私に泥団子と同様の効果をもたらしたとみえて、すっかり私は虜だった。
いつも、ひとりぼっちでつくるのだ。母は心配だったろう。咎められた記憶はないけれど。しかし、公園の広いほうで子供たちが興じる「だるまさんがころんだ」を横目に見遣っては、嘆息していた……気がする。
そうしてひとりで砂山作りに没頭していたとき、またあの泥団子を潰したがっていた子が私のほうへやってきた。私はただこわかった。かつてその子が私の泥団子を潰したがっていたように、私の砂山を崩したがっているんじゃないかという考えが、私の全身を満たした。
その子は私の顔を覗き込んだ。私は、きっと今にも泣き出しそうな顔をしていた。その子は確か少し怒ったような顔をしていた。しかし、その子の瞳は不思議な光を宿し、きらきらしていた。私の涙のせいではないはずだ。
その子は私の隣にどんと座って、その手で砂山を固め、大きくし始めた。私がやっていたのと同じように。私はびっくりして、でもすぐに砂山作りを再開した。はっきりとは見なかったけれど、母は目を細めていたように思う。少なくとも、嘆息は聞こえなかった。
結局最後まで無言のまま、私とその子は砂山を作り続けた。時がたって、私は帰らなければならなかった。母が「ようちゃん、帰ろうか」と私の手をとって、「遊んでくれてありがとねぇ」とその子に言った。
その子は首を少しだけ縦に振ったけれども、怒ったような顔ときらきらした瞳は変わらなかった。
その子は私から遠ざかる方向に駆け出して、それ以来、私はその子とは会っていない。
いま、私は娘と砂場にいる。娘は同じくらいの女の子と泥団子でままごとをしている。
そして女の子の瞳は、どこか懐かしくきらきらしている。