(昭和二十年八月九日、長崎に新型爆弾が投下された。長崎医科大学の教官である「私」をはじめ、医師・看護婦・医学生らが負傷者の救護にあたるなか、大学は火災の中に崩壊した)
私たち教室員はうち揃って学長の寝ておられる畑へ行った。芋畑の隅に外套をかぶり、丸くなって雨にぬれておられるのを見て、つい涙が出た。調教授を中心とする医員学生の一団が駆け回って手当てに忙しい。私は学長に報告を終わり、二十歩ばかり行くと眩暈を感じ、脚のよろめくのを覚えた。ちょうどそこに長老から介抱されながら梅津君が寝ていた。これも雨にぬれている。私はその脈を握ってみたが、案外強かったので安心をした。上衣をぬいで梅津君にかけてやり、五、六歩行き、畑を一段降りると同時にくらりとして、私は卒倒した。
「頸動脈を押さえろ」施先生が叫んでいる。頸筋をぐっと押さえられた。眼を開けて仰ぐと、赤い雲の下に施先生と婦長さんと豆ちゃんと、どうしたかと心配していた金子技手の顔がのぞいていた。「
結紮糸、コッヘル、ガーゼ、ガーゼ」あわただしく先生が怒鳴って、私の耳の辺りの傷の中へ何か痛い物を突っ込む。冷たい金属の触れあう音がして、時々どっとあったかい血が頬へあふれる。「押さえて、拭いて、ガーゼ」先生がしきりに怒鳴る。時々コッヘルの先で神経繊維をはさむものとみえ、全身の痛覚が一挙に目ざめて、足の爪先がぴんと突っ張る。私は思わず手に触れた草を握りしめた。
調教授が駆けつけてくださった。施先生が何かぼそぼそいっている。脈が握られた。私は観念の眼をとじた。「動脈の断端が骨の陰に引っ込んでるんだね」と教授はいわれた。またも何回か私の足先はぴんと突っ張り、手は草の根を握りしめなければならなかった。けれども手術は手際よく成功した。「永井君、大丈夫だ。血は止まったよ」そういって教授は立ち上がられた。私はお礼を申し上げた。そして全身が急にだるくなり、気が遠くなっていった。
日は落ちた。地上は炎々と未だ燃えさかり、空一面にひろがった魔雲は赤くあやしく輝いている。西のほう稲佐山の上のみがわずかに空をすかせて、三日月が細く鋭く覗いている。高南病棟の上の谷間に男組は板を拾い藁を集めて仮小屋を造り、女組は鉄兜で南瓜を煮て夕餉の支度をととのえた。長井君と田島君とが県庁まで非常食糧を貰いに出かけていった。畑の中に南瓜の煮える火を囲んで、私たちは小さな輪をつくっていた。わずかに生き残った者のこの小さな輪よ。お互いに顔を見合わせて、この輪をつくるこのわずかな人間同士こそ底知れぬ因縁の絆に結ばれていたにちがいないという気がした。私たちはお互いに手をとって固く握り合ってじっとしていた。もう暗くなった上の森から「担架来てください」「誰か注射に来てください」と哀れに叫んでいる。友の名を呼ぶ声、親を求める声、聞き覚えのある声、大勢声を合わせての叫び。しかし私たちはもう七人の仲間を死んだものと諦めていた。皮膚科の崎田君は大腿骨折で身動きもかなわず、今
壕の中に寝せてあるという。藤本君は講堂の床下から九死に一生を得て、杖をつきつき、さっきここを過ぎたので自宅へ帰らせた。あとは辻田君と片岡の蛸ちゃんと山下君ら五人の看護婦である。彼らは生命さえ残っておれば、どんなにしてでも教室へ帰ってくる人々であった。たとい霊魂がまさに肉体を離れんとしてただ髪の毛の先でつながっているほどの瀕死の重傷でも、必ず私たちのところまではって来て、それから死ぬはずの仲間であり、それほど堅い私たちの団結だった。もう八時間も経過して、姿を見せぬが故に、あの人々は即死したにちがいないのである。私たちはじっと黙祷をささげていた。
のっそりと裸の大男があらわれた。
「おっ、永井先生。見つけたぞ」
「あら、清水先生。生きていましたか」
「わし一人じゃ」どたりと尻餅をついた。手についてきた焼け残りの角材がからから音を立てて倒れた。ふうふう肩で息をしている像は、まさに傷つける闘牛か。
「すぐ来てください。学生たちが死にかけとる。もう半分以上は死んじもうた。注射しに来てくださいよ。見殺しじゃけん。薬専の壕じゃ」
「すぐ行きます。さあ、まあ南瓜でもお上がりなさいよ」
「いや、南瓜どころじゃなか。南瓜を何百食ったって学生は助からん。すぐ行きましょうや」
施先生、婦長、橋本君、小笹君が医療袋をもって立ち上がった。清木先生は史郎から手をひいてもらって、やっと立ち上がることができた。
「大学はなくなってしもうた。とにかく、えらいこっちゃ。みんな死んでしもうた。途中はひどいんだぜ。たった三百メートルしかないのに一時間かかった。それじゃ、また来ます。ああ、よかった。学生が助かります」
先生は婦長さんの肩につかまり、よろよろしながら再び燃える大学の中へ入って行った。この一隊はこの夜を基礎医学教室の裏丘を中心に、残りの大倉先生、山田君らの一隊はここの仮小屋を中心に夜間の救護をつづけるのである。私と梅津君とは仮小屋の藁の中に寝せられた。虫も死に絶えたものとみえて、あたりは寂莫としている。
地に満ち空を焦がす大火の反映の明かりを頼りに呻き声にひかれて傷者に近づき、傷を巻き注射をし、これを抱いて引きあげてくる。路は思いがけなく炎の屏風にさえぎられ、転ずれば倒木縦横に交じりて越すに由なし。ある時は吹き崩された石垣をよじ登り、ある時は板橋の吹き飛ばされたのも知らず患者もろとも溝にはまる。
足蹠はすでに幾度か釘踏み抜いて一歩毎に痛みをおぼえ、膝頭はガラスに擦り切られてもんぺとくっついている。救護隊は医学専門部の高木部長を発見して収容する。石崎助教授、松尾教授を相次いで担ぎ込む。仮小屋もようやく呻き声に満ちてきた。谷薬局長の令嬢も重態だ。通りかかった保険の集金人がころがりこむ。二人の囚人も宿を求めた。
敵機は二回来た。ビラ弾のはじけるにぶい音がした。
夜半火勢はようやく衰えはじめた。死に果てたのか、諦めたのか、疲れて眠ったのか、叫びはまったく絶えて、天地
寂として声なく、まことに厳粛なひとときである。げにさもありぬべし、まさにこの時刻東京大本営において天皇陛下は終戦の聖断を下したもうたのであった。地球の陸と海とを余す所なく舞台として展開された第二次世界大戦は、次第に高潮し、さらにいかなる波乱を巻き起こすやと気遣われていたが、突如原子爆弾の登場によってクライマックスに達し、ここににわかに終幕となったのである。たしかに厳粛な一瞬である。私は放射能雲のあやしく輝いて低迷する空を胸のつまる思いで眺めていた。この放射能原子雲の流れゆく果てはどこか。前途は凶か吉か? 正か、はたまた邪か? この一瞬、この空から新しい原子時代は開幕せられるのである。