青猫ロボットの増殖
サヌキマオ
ああ、親の金で食べるアイスはおいしい。しかもハゲダのバニラアイスだ。
「ハゲダのアイス工場は世界に三つしか無く、そのうちひとつは群馬県にある」だって。へーまずいじゃん群馬を敵に回しちゃ。未開だ疎開だこんにゃくだと言っているといずれしっぺ返しを喰うところだった。今度からちゃんと栃木県との区別をつけておこう。
「きみはじつに莫迦だな」という声が聞こえた気がするがそれは脳内ツッコミである。青猫ロボットは縄張りのパトロールにでも出かけているのだろうか、と思うやいなや帰ってきた。玄関の扉に、なにかどすん、ぶつかる音がしたかと思うとまもなくスマホが点滅した。「"名称未設定"が帰宅しました。入口の扉を開けてください」と通信がくる。戸を開けると外でカンカンに熱された青猫ロボットがのそのそ入ってきた。車のボンネットで目玉焼きが出来ようという気温である。狭い玄関が赤赤と暑い。いずれこの1LDKももれなく暑くなるだろう。駄目だ入ってくるな扇風機が効かなくなる。猫は気にせず奥の寝床に歩いていく。しかたない、素手で掴もうものならこちらがタダで済まない。水をかければ蒸気を噴いて湿度が五百パーセントとなる(やったことがある)。その割にはこいつのマニュアルには「精密機械保護のため極力冷やしてください」とある。昔のヴァージョンでは小型原子炉で動いていたらしいし、その辺の名残かもしれない。
あっ、やめてアイスが溶ける。青猫ロボットの放射する熱であっという間にハゲダのアイスは甘くへなげたいちごクリームとなっていく。くそう返せ戻せこの泥棒猫! と思いつつ紙カップを啜るのだが、そうした空気を察してかどうか、猫はネットカタログからおすすめ商品を壁に投影してくる。
「新世紀の技術奇跡の実用化!! 農産クローン製造機『バイんバイン』で食費の節約!」
人が鬱憤を晴らす方法というのはいくらもあるが、勢いで大金を一気に使うというのはかなりの上位に入ると思う。
青猫ロボットを通して通信した結果、翌日には郵便受けに小包が放り込まれていた。緩衝材のプチプチ付き封筒というのは再生紙に回していいのか燃えるゴミにするしかないのか毎回悩むところだ。もしかすると使いまわせるかもしれないし。
「バイんバイン」の取扱説明書には実例としてくりまんじゅうの写真が載っている。くりまんじゅうにバイんバイン液を一滴垂らすだけで栗まんじゅうが一分に一回、次々と分裂していく様子が写真で掲載されている。Yourtubeには動画もあります、とアドレスが書いてある。取扱説明書といってもA4版のPPC用紙二枚をホッチキス留めされたものであるが、それよりもなによりも、大枚をはたいたわりに送られてきたのが目薬の容器に入った透明な液体だから恐れいった。この目薬を五つも買ったら新しいクーラーが買えたかもしれない。そんなに使ったらさすがにしばかれるけど。パパの金だし。
でもアレだな「栗まんじゅうが分裂する」といったら、食べた後も、もしかして排泄の後もお腹の中で分裂を繰り返すということにはならないのかしらん。でもさすがに、その辺りは製品として売られている時点で考えられている(であろう)可能性で、胃の中に納まってしまえば、もしくは口の中で噛み砕いてしまった時点で大丈夫なのだろう、と考えた。噛み砕いてしまえば栗まんじゅうも「元・栗まんじゅう」なのかもしれない。「栗まんじゅうを噛み砕いたもの」と「栗まんじゅう」は名前が違う以上別物であり、加えて「元・栗まんじゅう」はこれ以上分裂するはずがない――昔こういうギャグがあったな、「莫迦だなぁ、象の毒が人間に効くわけがないじゃないか」。
何を以って栗まんじゅうか栗まんじゅうでないかの認識を分けるか。哲学だ。これは科学でなくて哲学の問題なのであろうか。
買ってしまった以上、ここは覚悟を決めて使ってみねばならない。この為に駅前のスーパーに行ってハゲダのバニラアイスを買ってきたのだ。歩いて三分のところにあるコンビニにはそもそも売ってなかった。コンビニへの道を取って返して駅前まで十分。夏の終わりのしぶとい暑さにねっとりとした川風がまとわりついて汗が吹き出してくる。家に帰るまでにアイスが溶けそうなので小走りだったのが、いつしか走っていた。ビーサンで来るのではなかった。アキレス腱のあたりがビキビキいっている。
やっぱり莫迦なんじゃないか。そうだよいいよもうどうせ莫迦だもの。急ぎアイスクリームをスーパーの袋ごと冷凍庫に投げ入れ、扇風機の前に滑りこむと強風で熱気を吹き飛ばす。猫は部屋の隅で横倒しになりながら、首だけ持ち上げてこちらの様子を窺って。
アイスの蓋を取り、中蓋を剥がし、バイんバインを一滴二滴と垂らす。透明な液体は若干のとろみを見せながらアイスに落下し、もしかして詐欺じゃないだろうな、と思う間もなく液体の触れたところから盛り上がってきた。うまい表現だとも思わないが、無くなったアイスが逆再生でその姿を取り戻すような動きをして、みるみるアイスクリームが二倍になった。ぐうの音も出ない薬の効果に目を見張っていると、アイスはまもなく三倍に、四倍に増え、テーブルの上からこぼれ落ちた。
せっかく二万五千円も払った(親の金で)のだから、という気持ちと、まさかそんな大それた効果が、と半信半疑だった気持ちとないまぜになっていたが、実際には目の前で起こったことが理解できない、ということなのだろう。部屋中にあふれたハゲダのアイスクリームは増殖を続け、あたしを飲み込んでさらに膨れ上がる。青猫はフギャーと一声遺して、逃げた。
白くて冷たい塊は部屋いっぱいになったところで一瞬動きが止まった(ように思えた)。しばらくなにか考え込んでいる様子を見せたが、やおら動き出すと開け放していた裏庭の掃出しの開いたところから流出し始める。塊は想像以上の夏の暑さに一瞬怯んだように見えたが、部屋の物をいくつか巻き込みながら、結構な勢いで飛び出していった。その場で呆然としたい気持ちを抑えつつ、サンダルをつっかけて表に出る。アイスクリームは増殖を続け、路地いっぱいになりながら上水の方へと進路をとった。きっとアイスクリームの性が水を求めたのだろう。横っ腹に急ブレーキの軽自動車をめり込ませつつ、重い体に一念発起、跳躍して上水になだれ込んだ。白濁の流れは一糸乱れず川下へと流れていく。
話はそれでおしまいである。惨状もカードの使い込みも両親に死ぬ程怒られるし、部屋中糖分でベタベタするし、せっかく買ったバイんバインもどこかに無くなってしまうし。通販こわい。もうしばらくアイスは食べない。そういう結論でいいと思います。その位の答で許してもらわないと理解が追いつかない。
部屋に入り込んでくる蟻の行列がようやく絶えようというころ、ネットニュースで「謎の白い物体が太平洋を北極方面に向かって北上中」という記事を見た。ニュースの扱いは日を追って大きくなり、プランクトンの集合体かという憶測がなされたりしたが、白濁は北極圏で動きを止めたとの報道が入る。報道のカメラを載せたヘリコプターが近づいていったところ、それはもりもりと増え続けるバニラのアイスクリームであった。
後にこの増殖し続ける「凍土」が北極の溶解を食い止める大きな要因となるのであるが、それはまた別の話だ。