郊外の住宅地を外れると、そこはたちまち野趣に富んだ風景となる。昨日にはお気に入りだった。今はただ寒々と腹立たしいばかりだ。午後三時の空は――押し寄せる鉛色の雲に覆われてすでに暗く、寒風はみぞれ混じりの塊となって枯れ山を下り畑地を駆け抜け、そのまま私の顔へと容赦なく打ちつけてはマフラーの隙から肌を凍えさせた。
私――アレシアは肩をすぼめ、顔面を歪ませながら、レジ袋を提げ家へ向かって県道沿いを歩く。「災害級の」寒気団が列島を覆い、北部はすでに吹雪という。何が寒気団だ。この赤道小町、颱風圏の女、アレシアがそんなに憎いのか?
人は冷たいと腹が立つ生き物なのだ。レジ袋がばりばりと風に鳴る。私は片手はポケットに突っ込んだままだったが、もう片方は袋を提げねばならなかった!
1【黒白のセキレイ】長い尾をもつ小さな野鳥。水辺や水辺と関係ない路上をよく走っている馬鹿な鳥
ここに羽を膨らませた黒白のセキレイが、目の前をすっとこ走って県道を横断して行くのだった。飛べよ馬鹿、と私は思う。ずぼら者。その姿はまるでダウンのポケットに手を突っ込んだまま、小走りに道路を渡りきろうとする小生意気な小学生のようだった。お前はそれでも鳥なのか。そんなに羽を開きたくないか。お前に鳥の沽券は無いのか。
(だったら、死にやがれィ)
願ったことは、実現する。私にはそういう力があるのだから。ただ、その多くは予想外に発動する。
ほら、ほら……すぐに車がやって来る。速い。車という奴は、なぜか寒ければ寒いほど速度を上げてくる辺りに悪意を感じる。奴は殺しにかかっているのだ。私は強張った唇を舐める。ここまできてセキレイは、なお走って渡り切ろうと足を急がせる。あいつ死ぬかな。可哀想に。でも何もしない。冷たく白く薄汚れた商用車は、躊躇なくその速力のままに間を詰めて。
刹那、鳥は目前から消え、私は微かな胸の痛みとともに不徳の声を漏らしていた。ほら……やっぱり巻き込んだ。アディュー、小鳥は声もないまま舗装の上に、パートカラーのスチルと化したのだ。哀れな奴。と思いきや、鳥は道路の向こうへと白黒しながら飛んでいるのだった。飛べば飛べるのだ。
黒白のセキレイは道路の向かいに止まると、いま気づいたかのように振り返り、尾を回しながら私の顔をちらりと見た。ここで私が目から怪光線でも発射してやれば一瞬に黒焼きと化したのだろうが、出ないということはつまり二度目の命拾いだ。ああ、今日はお前の勝ちとするわ、明日も賽を投げやがれ。
2【黒白茶色の細かな斑模様の鳥】素性不明、小汚い野鳥
その頃、名も知らぬ小汚い鳥が、整骨院の玄関前の、冷え切ったタイル張りのポーチの上で、天を仰いで落ちていた。県道沿いの整骨院は休診日で、ガラス張りの入口の戸は施錠されカーテンが閉められていた。そのすぐ前で鳥は黒白茶色の細かな斑模様を、吹き溜まった枯れ葉や枯れ枝の色へと生前同様にすっかり馴染ませ、ごみとしては何の違和感もなく転がっていた。整骨院の二階はなぜか学習塾で、この強風に倒れもせずに並んだ小奇麗な自転車が通行の邪魔で、しかしもっと邪魔なのはその持ち主たちだった。
ダウンのポケットに手を突っ込んだ小学生らは、スズメよりは相当大きいこの鳥の骸を遠巻きにして、無責任極まりないコメントを呟いているところだった。
「やべ死んでる」
「インフルじゃね」
「嫌がらせとか?」
無論、私にも責任など無い。私のせいじゃ無いよね。無いのだろうが、通りすがりといえこういうのを放置して帰ると後で色々気になるのだ。私は無言で小学生らを押し分け、鳥の前にしゃがんで検視に入る。鳥は固く羽を閉じ、足を縮め、腹を上に、首をぴんと伸ばして転がっていた。傷は見当たらない。寒気のショックに打たれたか、それとも戸に衝突したのだろうか。もしもまだ運良く息が残っていれば、持って帰って温めてみるべきだろうか。
私は指を伸ばし、そっと鳥の腹を突いて押す。温もりはない。それはまったく乾いた落ち葉の感触で、昔、理科室にあった古い剥製を思わせた。脇から押してみると、まさに空っぽであるかのように鳥の身体は軽くごろりと横に転がり、黒い瞳が真っ直ぐこちらを向いた。開いたままの左眼が潤んで落ち窪んでいるのを見た時、私は何か濁った気配がすうっと入るように感じ、思わず息を殺していた。
ああ、これはダメだわ。私は立ち上がり、斑模様の鳥を足で脇へと軽く押しやった。再び山から吹き降りた風が音を立てて枯葉を巻き上げたが、鳥はその中心で微かに左右に揺れても、もう舞い上がることはない。今までお前がどんな勝負を重ねてきたかは知らないが、それも今日で終わったのだ。
顔を上げると、一人だった。小学生らはいつの間にか私を置いて場を離れ、恐らくは浮薄なテーマへと話題を移しながら立ち漕ぎの自転車で県道を渡るところだった。
「あれって、あのおばさんの鳥か?」
(死にやがれィ……)
私は強く念じかけて止め、息を吸い込み、吐き出した。またつまらぬ命を救ってしまった。
3【文鳥】またの名をジャワすずめとかいう南方の鳥
玄関のドアを閉め、空気の温もりにようやく落ち着きを取り戻す。静かな部屋へ戻ると、鳥かごの中で白い文鳥はいつものようにばたばた暴れて迎えるのだった。
(これは私の帰宅を喜んでいるのか、抗議なのか)
きっと前者だなあ。私は黙ってレジ袋を置き、手を洗った。
この白文鳥のことを、私は「鳥ちゃん」と呼んでいた。鳥なのだから鳥なのだ。だから私は彼のことを鳥と呼ぶ。その当たり前な行為が彼には気に食わなかったのか、小さな雛の頃から飼っているにもかかわらず、鳥ちゃんと私との関係には――いわゆる世間一般の――私がそう信じてるだけかも知れないが――あの手乗り文鳥と飼い主との交歓に見られるような――無条件な親密さは皆無だった。
撒き散らされた餌のかけらと水跳ねによって、鳥かごの周囲は悲惨な有様となっていた。私は静かにそれを掃除し、さらに新しい餌を補充してやる。餌は小動物医から購入する低脂肪高栄養なペレットで、これをコーヒーミルで荒く砕き、北米産オーガニックのカナリーシードとともに殻付き餌に混ぜたものだ。そして肝機能向上のお薬も。鳥ちゃんはもう中高年の身なのだから。飲み水はVOSSのウォーターに同じく医者に処方されたホルモン製剤とヨード剤を数滴加え、これは甲状腺の腫れを緩和し、肥満体の呼吸を楽にする効能があるという。
空調の温度を上げ、鳥かごの前に座ってさっそく野鳥図鑑を開いてみる。さてどうやら先刻の哀れな鳥はつぐみというらしい。まるで人間の子供のような名前だった。そう思うと私は無意味に楽しくなり、得意げに鳥かごへと這い寄ると、ペレットを撒き散らす白文鳥の前で、指をくるくる回しながら語り掛け始めるのだった。白文鳥は苛立たしげに私の指先を追って白い首を回した。
「鳥ちゃん、鳥ちゃん、あの子はねえ……つぐみちゃんって言うんだよ。学習塾のすぐ下の、冷たい石畳の上に。横たわっていたんだよ」
白文鳥はぷいと横を向く。邪気の左眼がこちらを見る。この王様ときたら、生まれてただの一度だって、自分で賽を振ったことなどあるまい。
「鳥ちゃん、鳥ちゃん、つぐみちゃんはねえ」
王様はカルッと唸って振り返り、鉄格子の隙から紅潮した嘴で私の指を一穿した。