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3000字小説バトル

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3000字小説バトルstage3
第11回バトル 作品

参加作品一覧

(2016年 6月)
文字数
1
サヌキマオ
3000
2
アレシア・モード
3000
3
坂口安吾
2823

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俵村曲が二度来ちゃう
サヌキマオ

 俵村曲はまた今日も着替えの入ったリュックを背負ってきた。昼間に「じゃあ、今日行くから」とメールがあって、夕方にはマンションの入口に立っている。父親は台湾に出張中だし、母親は「いいじゃない、あなたの数少ない友達なんだし」と一向に私の意を介さず曲を家に入れる。手土産に買ってくるのは曲の家のある駅前のパン屋のハニーラスクだ。母はこのラスクに目がない。父も曲の話を聞きたがる。着々と墨家家自体が曲に買収され籠絡されつつある。
「で、どうしよう、引酉さん」
 曲はジーンズにタートルネックの出で立ちで豪快にあぐらをかき、母の出してきたタルトを食べている。タルトといってもカステラをに餡で巻いた、柚子の風味の愛媛の郷土料理である。
「どうしようったって、前も言ったけどさ、それって我々にはどうしようもないことじゃない?」
 曲が口いっぱいにタルトを頬張るのでしばらく間が空く。放っておくと父の実家から送られてきたタルトはこいつに食いつくされてしまうかもしれない。
 母を止めなければ。
「どうしようもないかもしれないけど、話を聞くくらいのことは出来たかもしれないじゃない」
「だから、いくらおんなじ演劇部だって言っても、よく知らない中学三年生のことなんか、わからないもん」
「そりゃあ解らないだろうさ。でも、えーと、なんだっけ」
 話が今ひとつ噛み合っていないのに気づいたのか、曲は両手をにわかに開いてこちらに見せる。何かを思い出す素振りを見せて、
「えー」
 と、口を開いた。
「えー、ふたりで頭をつき合わせて、首をあっちぇ遣ったりこっちェ遣ったりするのが『相談』てんだ」
「なによ、それ」
「今日、ヒメワカがやってたんだ」姫若というのはひとつ下の演劇部員だ。姫若亜弓、役者に向いているとは思わないが、とても器用なので藝人になるべきだと思っている。「なんか落語。そういう落語をする落語家がいて、その真似らしい。姫若ちゃんがやると、もっとリズミカルで小気味がいいんだけどな」
「で、それが、今の『話を聞く』に対する答えってわけ?」
「そうそうそうそう、だからさ、相手のことなんか知らなくていいんだよ。ただたんに話をしてくうちに、喋ってる内にそれぞれで納得したりするんだよ」
 曲は喋り終わるとマグカップの紅茶に口をつけ、左手の人差指と親指で次のタルトをつまむと最短距離で口に運んだ。
「私を助けると思ってさ、引酉さんのことを助けてやれないかな」
 私は返事する代わりに、タルトの最後のひとつを口に押し込んだ。

 中高六年間の演劇部。傍から見るとみんな同じような付き合いに見えるのかもしれないが、内部では一学年ごとにそこそこの壁がある。いわんや高校二年と中学三年をや。最近ではネット繋がりでだけ交流のある人もいるらしいが、私には出来ない芸当だ。そこまで他人に興味を持つ必要性を感じていない。
 引酉優子とは、それこそ舞台上だけでの付き合いがある。私は車に撥ねられたネコのとり憑いたOLで、彼女は戦時中の動物園で毒入りじゃがいもをうっかり噛んで死んじゃったゾウの霊のとり憑いた中学生の役だ。おっとりとした彼女を踏み台に舞台天井まで飛び上がるアクションがある。
 その引酉優子のことを手土産にやってきたのが俵村曲だ。こいつが後輩でも先輩でもなくて本当に良かったと思わせる、数少ない面倒な女の一人だ。
「引酉さんがね、あやしいお店に入っていくんだよ」
 昼休み、弁当を食べていると教室に曲がホイホイ入ってきて、私の机の上に顎を乗せて開口一番、こう切り出した。
「怪しいって?」
「最寄りの駅が一緒なんだけどね、ほら、駅前って色々な飲み屋さんが一緒くたになってるようなビル、あるじゃん。あれに入ってった」
「そこがお家なんじゃなくて?」
「あんな飲み屋ばっかりの建物に人が住むところなんてあるはずが無いよう。現物を見てもらえば一発だけど」
「だったらご実家の稼業がその飲み屋さんなんじゃない?」
「え、そんなこと、あるの?」
「あるに決まってるでしょ。引酉さんのお母さんだかお父さんだかがそこのお店で働いてて、娘が帰ってきて、もしくは仕事が終わった後、一緒に帰る」
「制服で?」
「うん」
「深夜に?」
「う」
 随分旗色が悪くなってきた。曲は私の顔色をちらとみたが、表情を変えずに続ける。
「な、考えれば考えるほど腑に落ちないんだよ」
「そっか」
「で、なんだと思う?」
 始業のチャイムが鳴る。ま、考えておいてよ、と曲が立ち上がる。
 弁当は半分も食べられなかった。

 話はまた現在に戻る。
「だからさ、なんか事情があるんだよ」
「ちょっと待ってあんたね、引酉さんがたまたま夜の店に入っていっただけで、彼女が現在進行形で危険な目にあっているに違いない、とでもいうわけ?」
「いうわけ」
 曲は大きくうなずきやがった。
「莫迦ね、余計なお世話よ」
「そうかな」
「そうだよ。別に確たる証拠もないのに」
「じゃあ、確たる証拠があったら、引酉さんを助けるのに青子は力を貸してくれるんだ?」
 頷いたのかもしれない。次の瞬間、曲は急に立ち上がると伸びをした。
「よし、じゃあ帰る」
「えっ」
 壁に掛けてあったコートをさっさと着こむと、曲は戸を開けて出ていこうとする。
「今日、泊まるんじゃなかったの?」
「まぁ、そのつもりだったかもしれないけど、そうとは言ってないでしょ」
 両手にスーパーの袋を持った母とすれ違いながら、曲はふい、と外に出て行ってしまった。今日は曲ちゃん、泊まっていかないんだ、と残念そうな母である。

 それで、事実はどうだったのかというと、よくわからなかった。
 真実はどうだったのかというと、なんでもなかったのだ。真実なんて、自分が真だと思ったものをそれと認めてしまえばいいだけの話だ。
「いやあ、手助けには及ばなかった」
 そう云って週明け、始業前に曲はやってきた。手に持っていたペラ紙を顔に押し付けてくるのを奪い取る。
「電話帳?」
「あそこのビルに入ってるお店を調べてみたんだ。そしたらわかった」
 コピー紙にはピンクと黄色のマーカーで幾つも線が引かれていて、どうしてもひとつだけ、二重丸が付いているところに目が行く。
「ボイストレーニング教室?」
「もともとカラオケスナックだったところを、居抜きっていうの? 元のお店のまんまで使ってるんだって兄ちゃんが言ってた」
「じゃあ、何でもなかったじゃない」
「うん、なんでもなかった」
「用がすんだなら帰れ」
「うん」曲は私が差し戻したコピー紙の扱いに一瞬戸惑ったようだったが、おとなしく手元で四つに折った。
「じゃあ、また放課後ね」
 事実として判ったのは、あの建物にボイストレーニング教室があるということだけだ。が、俵村曲にとってはそれで満足だったらしく、ここ最近ではそこそこ陽気な感じで教室を出て行った。やれやれである。あいつを見ていると、人間、実際に起こっていることよりも、いかに自分が安心できるかのほうが大事だというのがよくわかる。
「――だからってわざわざ、月曜の夜に来なくてもいいと思うんだけど?」
「いやぁ、月に一回は青子のうちのごはんを食べないと寝付きが悪いんだよ」
「どうせまたすぐ来るわよ」という母の予言がここまで真に当たると思わなかった。週末に買ってあったすき焼き用の牛肉は無事冷凍庫から救出される。
「いやぁ、肉はいいねぇ」
 そういってこの女はニコニコと卵を溶くのである。
俵村曲が二度来ちゃう サヌキマオ

フレンズ
アレシア・モード

 その魚の姿は、まるで人魂だった。
 水槽の厚い硝子の向こう側、黒い宙空に桃色の人魂たちが、一つ、二つと漂っている。深い海底から汲み上げられた暗く冷たい水の中を、三つ、四つと。ねじれ合うように、五つ、六つと。
 水族館の通路、水槽の前に君は立ちつくす。深海を模したように造られた展示室の通路は、照明が落とされて肌寒い。青く暗い部屋の中は、右も左も、桃色の、あの人魂を放ったような魚たちが、尾をくねらせて、ゆらりゆらりと泳いでいた。
 君にはその姿に覚えがある。
 微かな足音とともに君は硝子に頬を寄せ、その奥へとそっと呼びかけていた。呼びかけたと思うが、何も言葉はない。何も浮かばなかった。名前も何も、浮かばない。
 ただ心の中で、何かを呼びかけた。
(暗い水の奥から、誰かが見つめ返す)
 そんな期待があったのかもしれない。
 しかし目の前を揺らめく魚たちは、やはりそれらは何者でもなく、ただそこにある無意識たちの、ただの一つ一つに過ぎない。何かがすっぽり抜け落ちているようだった。そして、その奥の暗闇にも、また何者の影もない。
 分かりきった事だった。
 君の頬の冷たさだけが、硝子越しの水圧を思わせる。

 深海展示館の外は、透明な五月の陽射しに満ちている。ツツジの葉緑が濃い。君は目を細める。少し陽の傾き始めた時刻だが、晴れた空は青白くも見える。甲高い子どもの声が飛び交う、日曜日、岬の水族館は親子連れが多かった。他に目につくのは若いカップル。そして目の前を横切る、なぜか制服姿で手を繋ぐ女子高校生のグループ。降り注ぐ陽光の下には、いずれも似つかわしく思える。
(目眩がする)
 目を細めたまま、陽射しを憎むように、軽く二、三度、頭を振る。今ここでこんな顔をしているのは、きっと君だけだろう。
 場内のスピーカーがアシカショーの開演時間を告げ、きっと楽しいこの動物ショーをまだ観ていない人達の、三々五々、ステージへ向かうその合間を、君は俯き加減に歩いていく。人の集まるペンギンのプールの脇を抜け、目玉を剥いた大アザラシの看板をくぐり、水族館の出口ゲートへと進む。そこには関門のように売店があって、お土産の菓子、記念メダル、おもちゃ、そしてそれらを持つ人達で満ちていた。君は俯いたまま、何か溢してはいけないものでも持つように、慎重に、然して焦るように歩みを進める。買ってもらった大きなイルカのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる女の子の表情が一瞬君の目に留まり、そしてすぐに忘れ去られる。水族館を抜け、ゲート前の駐車場の横をゆっくり歩き、君は海に面する小径へとたどり着く。小径は海岸にそって岬を巡り、小一時間で戻ってくる遊歩道となる。元々はここを訪れるつもりで来たのに、君はいったん休むほかなかった。
 遊歩道には人影は少ない。左手は松林の斜面で、足元に葉を散らし、処々に松ぼっくりの殻を転がしている。続く右手の眼下には緩やかな海が広がり、風が樹と潮の香りを運んでいた。しばらく水平線を見るうちに、君はようやく誰かに呼ばれたかのように歩きだす。高い灯台をぐるりと巡る赤土の小径を歩く途中には、海岸へ降りられる細い下り道がある。やや急な石畳の階段が、ささやかな入江へと続いているのだった。
(私がここに来るのは何度目のことだろう)
 君は一段一段、下って行く。足元の石畳は途中から砂混じりとなり、最後には半ば埋もれていた。荒い砂をしゃく、しゃくと踏み、流木と乾いた海藻の屑を避けながら、君は波打ち際へと歩んでいく。白い鳥が翼を開いて舞い上がる。砂を踏む音は次第に湿っていき、やがてちゃぷちゃぷと鳴る波音近くにまで歩んでいく。
 そこには何もない。ただ緩やかな波が寄せて返すばかりだった。君は思い巡らしていく。去年、あの人魂じみた魚を見たのはここだった。
 それは死んでいた。波に洗われ、泡の中をころころ、ころころと転がるただの亡骸である。なぜか君は、その姿を強く印象に残していたが、しかしそれはただの亡骸に過ぎない。
 それは今日、深海展示館で見た、あの水槽の向こうに揺らめくものたちと何も変わらない、まったく何者でもない、ただの魚に過ぎないのだ。ねえ、アレシア――君はいったい、あの人魂のような姿に何を意味づけようかと思っていた?
(そう、人魂なら、なお無意味なのにね)
 概して、人魂というのは、死んでいる。それは波打ち際はおろか、たとえ宙を滑っている時でさえ、生の鼓動は感じとれないのだ。この世の生の一雫さえも無いのだ。それは知っているはずだ。
 人魂、そう、それは五年前、この岬の先端近くで見たものも、やはり決して例外ではなかった。それは沈みかかった夕日の欠片が、海面に色を流す頃だった。
(彼女は……)
 黒い陰影と化した松林の中を縫い、揺らぐ光となって宙を滑り、音も無く尾を曳いて目の前に踊り出てきたのだ。私は息を呑み、その動きを見つめていた。私は、
(呼んだから、来たと思った。私が呼んだから)
 だから姿を現したのだ。
(彼女は)
 なのにそんな奇跡の瞬間でさえ、
(私などには気づきもせず)
 ただの一つの顕れとして、ゆらりと赤い空を舞い、そのまま静かに岬を離れ、海へと流れ、形を消していった。
(彼女は)
 私は後を追い、走った。
(死んでいる)
 分かりきった事だった。

 ブザーが鳴り、バスの扉が閉じる。
 バスはゆるゆると岬の水族館を後にする。録音された女性の声が明るく行き先を告げた。車内はやはり親子連れが多かったが、もうすっかり疲れたのかあまり騒ぐ子はいない。はい、みなさん良い子です。常にそうあっていただきたい。すでに閉館後のせいか、バスはさほど混んでもいなかった。
 私――アレシアは、窓際の席に座り、熟したような夕焼け空を茫と眺めている。黄金の時、蕩ける水平線、流れる薄墨色の雲、その突き放されるようなコントラストの印象は、しかし常に私の胸の中に、幾つかの文字からなるワード、かつて私が思いついた――本当はそれなりに一所懸命考えてあげた――ある呼び名を想起させるのだった。
(まあ、こうなっちまうとは思わなかったよね。想定外)
 何もかも想定外だ。そして彼女は私の知っていた名前はもう持たない。持つのは時々忘れるような小難しい戒名だけだ。
 戒名とは死者のための名前ではなく、それは残った者への救済だと思う。彼女との断絶の証なのだと思う。そうなのだろう、と今は思える。次元の一つ二つ外れた狭間から、時に彼女が姿を見せることもあっても、そこに呼びかけるべき名前は無く、もう私の声も届かないのだ。そういう仕組なのだろう、きっとあの世は、そうでなければならない事情があるのだろう。今は、そう思える。
(嘘つき)
「黙れ……」
 声に出してから、そっと周囲を見回す。幸い、私の呪詛じみた低い呟きを、聞き留めた者は居ないようだ。窓に視線を戻せば暗くなった海を背景に、硝子に薄っすら映る私の顔は半ば透き通った灰色で、こちらを見つめ返すその左眼はただの陰影のように見えた。ああ、亡霊は、ここにある。
 私は唇を堅く閉じ、首を傾け側頭を冷たい窓硝子へと押し当てた。低い振動に視界の海が揺らぐ。やがてバスは海岸を離れ、日曜日の夕空の下を行く。シルエットの町へと、点り始めた家々の灯りへと。様々な色を散りばめた、人の灯りの海の中へと。暗く粘った人の海へと、深く深くと潜っていく。
フレンズ アレシア・モード

集団見合
今月のゲスト:坂口安吾

 あの日は何月何日だったか、その前夜、雑誌の用で、たしか岩田専太郎先生の小説を持ってきて、私にサシエをかけ、という難題をフッかけにきたサロンのチンピラ記者、高木青年が、ちょッと顔をあからめなどして、ボク、アスは社用によって見合いでして、朝十時、早いです、これからウチへかえってズボンをネドコの下へしいてネオシをして、エヘエヘとロレツのまわらないようなことを言いだした。
 ちょうどその時、私のウチへ遊びにきて一しょに晩メシを食っていたのが、これは去年の暮まではさる料理屋の亭主の奥さんで、今年の春はこれもどこかのチンピラ記者の奥さんに早変りをとげているという脳味噌が定量とかけはなれている女性が居合わして、
「アラ、高木さん、いゝわねえ、女を口説くのゥ。なんと云って口説くのゥ。モシモシッと云うのゥ。それから何て云うのゥ。遊びましょうよッて云うのゥ。アラ、はずかしい。キャーッ。私も行ってみたいわア。口説かれてみるのも、悪くないなア。あらア。キャーッ」
 女の人は、白札がヨメに行きたし、赤札がムコもらいたし。男は、白札がヨメもらいたし、赤札がムコに行きたし、だそうだから、じゃア、赤札をつけなさい、と私が入れ智恵したら、ボク、両方ぶらさげて行きます、エヘエヘと高木青年は答えた。
 サロンには入江といって、これも脳味噌がよほど定量とかけはなれた人物がいて、これに集団見合出場の企画が知れると、志願のあげく、亢奮、風雲をまき起す憂(うれい)があって、企画をヒミツにしてあるそうだ。高木青年は編輯長のお見立てに気をよくして、なんとなく顔をあからめたり、モジモジしたり、エヘエヘと笑ったり、妖しい気分になっている様子であった。
 集団見合の行われる多摩河原は私の家からちょうど散歩に手頃の距離だ。私は医者に散歩をすゝめられて、毎日そのへんまで散歩に行く習慣であった。
 散歩と医者の件も、サロンに関係がある。ある日、升金局長が女の子に手紙を持たしてよこした。「アス御来社下さい。九州より上京の胃カイヨーの名医が、お風呂に入浴中シンサツします」気違いをお風呂に入れるということはきいてるけれど、入浴中、胃カイヨーのシンサツするというのは初耳で、それに私は銀座出版社の電気風呂は、電気死刑執行所みたいな気がして怖れをなしているのである。入浴の方はカンベン願って、サロンの編輯室で九州の名医のシンサツをうけた。お酒をのんでもよろしいという判決であった。さっそく、お医者様と泥酔した。
 そのころゼイムショからハガキをもらって精神分裂症にかゝっていたから、私は朝の散歩をヒルにのばして、集団見合見学にでかけた。
 門をでると、うちの女中が蒼ざめて駈けこんできた。用たしに駅の方へ行ったら、駅前のカストリ屋のオヤジが、
「オーイ、シイちゃん、シイちゃん(女中の名)さては、多摩川へ見合いに行くんだろう、ヤーイ、ヤーイ」
 用たしに行けなくなって、逃げて帰って来たのである。集団見合は、いたるところセン風をまき起している様子であった。
 いる、いる。ドテの上は新聞社、ニュース映画社、放送局、自動車だらけだ。アメリカのカメラマンまで出張している。
 たしかに一万をこす群集である。このなかに三千何人かの花ムコ花ヨメ志願者がいるのであるが、見合いという目的の仕事に従事しているのは殆どいない。もっぱら活躍しているのは、新聞社、映画社のカメラマンと、放送局のマイクロフォンである。あっち、こっちから、美女と美男をひっぱりだしてきて、あゝしろ、こうしろ、ひねくり廻して撮影する。
 それがすむと、ほかの社のカメラが、同じ美女をつれ去って、外の男と並べて、あゝしろ、こうしろ、撮影する。みんなそれをポカンと見物している。
 それがすむと、又、別の社のカメラマンが同じ美女をつれ去って、男と並べて――要するに、ほかに美女がいないのである。
 カメラマンの大活躍の陰の方に、ともかく見合いの仕事に従事して、東奔西走、なんとなくやっているのは、百名か二百名ぐらいのもの、その大多数は新聞社雑誌社の記者連中のニセモノどもである。ニセモノの花ヨメにも全然美女がいない。
 高木青年が手をふって呼びかけた。漫画の富田英三氏と一しょである。高木青年は私の入智恵に従い赤札をつけていたが、
「ダメですよ。男も女も赤札が全然ないですよ。タマにいれば六十の婆さんですよ」
 とウラミをのべた。
 彼は出場券づきの雑誌を改めて買ってきて、白札をつけて、やたらに十人並の女の子に狙いをつけて東奔西走しはじめたが、それとは知らずニセモノ同志がハチ合せをしているにすぎないのである。
 彼が女の子をつかまえて頻りに活躍しているところへ私がニヤニヤ近づいて行くと、急に、あなたなんか知りません、とばかりソッポを向いて、私はマジメな銀行員です、ヒヤカシじゃありません、というようにやる。オバカサンだ。相手の女が雑誌記者じゃないか。私はちゃんと知っているのだ。
 私のところへ一服休憩にきて、
「あ、あの子は、ちょッと、シャンだ。あれをやろう」
「よせよ。あれもヒヤカシだよ」
「ウソですよ。素人娘ですよ」
 と走って行って、ワタリをつけている。三十分ほどして戻ってきたから、
「オイ、あの女は、横浜で焼けだされて、厚木の近所の農村へ疎開してると云ったろう」
「アレ、僕たちの話、立聞きしましたね」
「別の男とやってるのを聞いてたんだよ。いゝかい、あの女と、あの女と、あの女と、あの女、四人のちょッとした女はみんな一味だよ。あそこにいるオバサンを軍師にして、ヒヤカシに来ているのだ」
 見合いに忙しい御当人には分らないが、私のような見物人には、化けの皮が分るのである。
 要するに見合いに立ち騒いでいる大部分はニセモノばかりで、二千余人のホンモノはボンヤリ立ってニセモノの大活躍を見ているばかり、自分の力で言い寄る勇気がない。恐らく主催者がなんとかしてくれるものだろうと思って出てきた人で、多くはわざわざ田舎から来た真剣な人たちのようであった。そして五六時間ボンヤリ河原に突っ立っていただけで、一言も誰と言葉を交わすでもなく、むなしく帰って行ったのだ。
 同じ村から一しょに出てきた二人の娘が、向い合って河原に尻もちついて、さっきから、もう二時間も懐中鏡で鼻の頭をてらしながら、同じところへパフばかりたゝいている。男の顔を見るはおろか、全然顔をあげることができないのだ。誰かゞ自分を見ていて、今に誰かゞ話しかけてくれるものと羞恥と不安でイッパイなのだ。然し、誰も見やしない。言いよる者のある筈のない醜い娘たちであった。
 集団見合も、このまゝでは、残酷すぎる。いたましすぎる。
 川にはボートがうかんでいる。パンパンのボートがスーと男のボートに近づいて交渉をはじめた。二つのボートはスーと陸へ並んで行った。そっちの方がてっとり早く見合いを完了したのである。バカバカしい。