≪表紙へ

3000字小説バトル

≪3000字小説バトル表紙へ

3000字小説バトルstage3
第14回バトル 作品

参加作品一覧

(2016年 9月)
文字数
1
サヌキマオ
3000
2
蛮人S
3000
3
古川緑波
2048

結果発表

投票結果の発表中です。

※投票の受付は終了しました。

  • QBOOKSでは原則的に作品に校正を加えません。明らかな誤字などが見つかりましても、そのまま掲載しています。ご了承ください。
  • 修正、公開停止依頼など

    QBOOKSインフォデスクのページよりご連絡ください。

ポン子出し
サヌキマオ

「ポン子でーす!」
「ミミミですぅー!」
「ねえちょっと待ってちょっと」
 そう云うとクロシェはあたしの頭を小脇に抱えて通路をトイレの方に歩いて行った。午後八時のファミレスである。
「女じゃん!」
「そうだけど?」
「ハナマルくんって云ったじゃん!」
「そだよ、花丸祐佳」
 流石に失礼でしょ、とクロシェを席に押し戻すと、黒縁眼鏡の奥の表情の判らない細い目が我々二人を凝視し続けていた。
「ずいぶん短い作戦会議ですな」
「テレパシーとかあんのよ。そういう顔してるでしょ」
「そういう顔ってどういう顔だ!」
 裕佳は主にクロシェの顔をじっと見つめると「ハナマルですー」と挨拶をした。
「クサカですー。ナマステー」
「クサカさんナマステー」
 合掌なんかしあったりして。
「それでポン子」
「ポン子!?」
 クロシェが腑に落ちない顔をする。
「ハナマルさん、イコールポン子さんでいいの?」
「そだよ、自然な流れで」
「どう自然なのよ?」
「小学校のときはユカポンだったんだけど、ほら、こういうのってユカ部分が省略されるじゃない」
「ユカ部分はシロアリに食われまして」
 ポン子の発言にクロシェが珍しく険しい顔をしている。
「ね、今の、シャレ? ギャグ?」
「シャレでもギャグでもなくて、自己紹介だよ」
「そう? そうなのか……じゃあ、クロシェです。日下デボゲラアクロシェンモ・ヤマダ」
「デボゲ……何て?」
「デボゲラアクロシェンモ・ヤマダだよ」
「『ヤマダ』て。ヤマダてアンタ」
 昔からポン子の笑いの沸点は低い。パ・ラ・ジクロロベンゼン並に低い。そういうのを溶かす実験、中学校の理科の実験でやったはずです。読者のあんたもそうでしょう?
「あ? 悪ぃか」
 肩を震わせて笑いをこらえるポン子をクロシェが敵と認識し始めた。
「で、ポン子は小学校の時からの友達でね」
 あたしは必死に話題を変えようとする。ちょうど店員が注文を取りに来る。外で自動車がどこかに衝突する音がする。
「すげぇ事故だ事故! ちょっと見に行ってくるね!」
「あ、私も私も――いっけね、ケータイどっかに置いてきたかも!」
 いがみ合いかけた二名は並んで入口に駆け出していく。すんません、注文、もうちょっと待っていてもらっていいですか、とあたしは店員さんに謝る。

「いやーすごかった。車から出てきたジイちゃんがすごかった」
「すごかった。出てくるやいなや『なんじゃこりゃぁぁ!』って」
 二人はゲラゲラ笑いながら生ビールとパフェを並べて交互に食べている。クロシェはいちご、ポン子はマロン。うえっ。
 意気投合したようでなによりなんだけど。
「あ、で、今回集まってもらった本題を」
「ミミミん、そういうのどうでもいいからこれからカラオケいかない? オールで」
「あのなぁ」あたしは流石に腹が立って、クロシェのパフェにポテトフライのケチャップのついたフォークをぶっすり突き立てる。
「あんたがバンドをやりたいというからッ! こうして人を集めてきたんじゃないのッ!?」
 さすがにあたしの剣幕に圧されたのか、クロシェは両手のひらをこちらに向けてきた。
「あー、そうだったそうでした。じゃあバンドだ、それ、やろう」
「ぼかぁカラオケにいって数曲歌ってからじっくりお話したほうがいいような気がするにゃーん」
「にゃーんじゃねえだろポン子もアンタ! アンタも勉強会だって云って友達のうちに集まったら絶対勉強しないタイプだろ!」
 こういうときにクロシェとポン子、それぞれの性質を知り尽くしているつもりだったが、並べてみるとハッとする。
 意識していなかったけど、あたしの友達というのはだいたいおんなじようなタイプなんだろうか。
「で、聞いてなかったけど、バンドってったってみんな楽器、出来るの?」
「アタシは知ってるでしょ、そのために呼ばれたんだもんね」
 ポン子はギターを弾く。高校時代にはフォークソング研究部という名の軽音楽部に三年間ずっといたのだった。
「で、クロシェ、アンタは?」
「あたしは……小さい時にママにクラリネット教室に行くように云われてて、それくらい」
「行くように云われただけ?」
「いや、そういうのはいいから」
「ミミミんは?」
「あたし? その」
 言おうか言うまいか迷うくらいならば、こんな企画に乗らなければよかったのに。
「へえ、オカリナ? そんなんミミミんの口から聞いたことないや」
「ギターにクラリネットにオカリナかぁ……そうとう出来る曲を選ぶよねぇ、やっぱり」
「ああ、あとね。アタシアレが出来る。グロンコ」
「グロンコって何? グロい民族楽器?」
「そうそうそうそう、いや、グロくはないけど。お母さんの実家の方の楽器でね、木の切り株に穴を開けて、中に木の実だのガラス片だの入れて、木の棒でかき回して音を出すやつ」
「……それもまた使い所に困る楽器だなぁ」
「切り株は持ち運びにくいしねぇ」
「クラリネットとオカリナかぁ。インストバンドならなんとかなるかも。で、ミミミのオカリナはどんなもん?」
「あのね、ほら、駅前でオカリナを売ってるおじさんっていたじゃん」
「あー、昔、三坂駅のロータリーにいたね。うんこ座りで自分の作ったらしいオカリナを吹いているおっさん」
 流石に地元が一緒だと話が早いな、ポン子は。
「そう、で、あたし、お母さんにアレ欲しい、って云ったらしいんだけど。そしたらちゃんとしたのを楽器屋さんで買ってくれて。それ」
「じゃ、ちゃんとしたやつだ」
「今になるとお母さんの気持もわかるんだけどさ、あのおっさんが作ってるってことは、試し吹きもしてるってことじゃん。でも違うんだよね。楽器屋さんで売ってるような立派なやつじゃなくて、ちょっと小ぶりの」
「あ、わかるゲゲゲの鬼太郎が妖怪を呼ぶときに使ってるみたいな」
「そうそうそうそう! 吹き口がシュッて伸びて剣になるみたいな」
「で、吹けるんだ?」
「ううん、飽きた。鬼太郎のじゃないから、二日で飽きた」

 毎度毎度のことで恐縮なのだが、われわれ三人はその後駅前のカラオケに行き、金の力で伴奏を奏でる機械を借りて心ゆくまで歌ったのだった。パフュームとかを。
 翌日仕事のポン子と別れて、夜道をクロシェの家まで一緒に歩く。
「でも、私達も莫迦だねえ」
「なにが?」
「あそこでみんなそれぞれ、新しく楽器を覚えようという方向に行かないのが莫迦らしいといえるんでないか」
「そういえばそうよねぇ。漫画とかだとここからギター覚えて猛特訓したりするもんねぇ」
「そこはもう、我々も若くないということだ」
「で、アンタ、バンドはもういいの?」
 夜風で聞こえなかったのか、数歩先を行っていたクロシェは返事をしなかった。

 三日ほど経ってバイトから上がって携帯を見ると、クロシェから「すぐに来るように」とメールがある。
 偉そうに、などと思いつつクロシェの家の玄関のチャイムを押すと、中から出迎えてくれたのはポン子だった。あんたらいつの間にそんなに仲良くなったの。
「じゃじゃーん」
 三人でクロシェの部屋で(半ば強制的に)待たされていると、前の廊下をゆっくりとプラスチック製の寿司桶が移動してきた。寿司桶を運んでいるのはいわゆるルンバとか呼ばれているロボット掃除機で、寿司桶を取りあげると楽になったのか、速度を早めて廊下を過ぎていった。
「いいよルンバ。ホント生き物っぽくて」
 結局醤油が足りなくなって台所に歩いて取りにいったのだが、それはまた別の話。
ポン子出し サヌキマオ

劉に知らしむべからず
蛮人S

 清朝は乾隆帝の時代。
 蒙陰県の劉某なる人物が、所用のあって従弟の家に泊まる事となりました。二人で色々話し込むうち、この家の書斎の辺りに現れるという化物に話が及びます。どこに潜んでいるのか判らず、暗闇で出遭えば人を嘲けて突き倒すのだと。その身の堅き事、鉄石の如しと。
 この劉という人物、狩猟を好み、そのために鉄砲を常に持ち歩く程でありました。話を聞くと笑ってこう言います。
「結構。さような化物は、この鉄砲で私が討ち取ってやりましょう。お任せあれ」
 劉の従弟と家人らは、化物退治などとんでもない、もし家中で貴方の身に恐ろしい事があっては面目立たぬと揃ってこれを止めたのですが、劉が「任せよと申すに分からぬか」などと次第に語気を荒らげると、断る事も叶いません。何しろ劉は狩猟を好み、常に鉄砲を持ち歩いているような人物でありましたので。

 さてその夜。わざわざ件の書斎に泊まる事にした劉が、家人に案内され鉄砲を背負ってやって来ます。書斎は東西、三つの間に分かれており、劉は東の部屋に入りました。
 部屋の床に座り込みますと、さっそく劉は持ち込んだ五丁の鳥銃を並べ、弾薬を装填します。さらに荷物から取り出した予備の薬莢、これは弾と火薬を一発ごと紙に包んで筒状にしたものですが、これを何十発と周囲に並べます。鉄砲は左右に二丁ずつ、手前に一丁を置きました。この手前の鉄砲、他と比べて異様に銃身が長く、口径も通常の三倍はあろう見るからに物騒な代物、劉自身が特別の細工を加えた火縄式です。専用の大きな弾を込めます。何か、ごとん、という音がしましたが大丈夫でしょうか。残りの四丁は火打ち石を使った、いわゆる燧発の鉄砲ですが、これまた劉による珍奇な工夫が凝らされているとの噂です。
 さあ、いよいよ夜も更け、十日の月も山の際へと傾く時分、灯りの前で独り坐って待っています劉、いま、果たせるかな、西の間に、何者かの影の現われて立つのが見えました。劉は灯りを静かに背後へ回すと、西の間に向かって目を凝らします。
「……何だあ、あいつは」
 劉も思わず声に洩らす、化物の、立ち上がったその姿、何か可笑しい。五体は人の如きですが、何だか顔が可笑しい。その珍妙さ、素っ頓狂な眼と垂れた眉の間が、二寸ばかりも離れていますが、鼻と口とはほぼ一つで、曲がって妙な向きに尖らせております。不思議とか怪奇と申すより、どうにも滑稽きわまりない、そんな顔としか申せません。
 されど、何であれ化物であります。油断はなりません、劉。思い直したように鉄砲を取り、坐ったまま西の間に向けて構えております。しかし化物、室内へ退きました、そして扉の間から、あのふざけた顔を僅かに見せて、劉の方を窺うようです。
 劉が鉄砲を下ろすと顔を出し、鉄砲を向けると再び隠れる化物。再び下ろすと、また顔を出す。ああ、劉の表情が次第に険しくなってきました。劉、苛立っているようです。ここで化物、再び顔を見せますが、ぺろりと舌を出しています。頭の上で手を振り始めました。これはいけません、化物。侮辱とも受け取られかねない行為、とうとう劉が怒りました。劉が怒った。遂に一発を射撃しました。大きな炸音、しかし弾は扉に当たって跳ねた。化物は扉の裏に隠れましたが、今度は足を見せ、劉に向かって蹴りつけるような仕草を見せています。重ね重ねの挑発行為に、劉が叫んでいます。
「おのれ、許さん」
 劉の顔が赤い。劉、怒りの形相も露わに、次の鉄砲を構えます。そのまま二射目を放ちました。ああ、しかし、これも外れました。何という事でしょう、劉、先制攻撃も連続して外してしまいました。どうやら化物の挑発作戦に乗せられた形であります。無駄撃ちをさせて、弾を込めた手元の鉄砲、これを撃ち尽くした隙に襲いかかろうという目論見でしょう。
 さあ劉、三射目を構えて、撃ちました。撃った、扉の縁が砕けて割れる、劉、三射目も外してしまった。化物、隠れたまま一歩も動かず。射撃王の劉、今夜は不調のようです。ああ、ここで母屋から、いま劉の従弟が出て来ました。ここまでと判断されたのでしょうか。強張った表情で家人らを安全そうな方へ移しています、そしてこの騒ぎに駆けつけた近隣の方々ですか、従弟が何か伝えている模様です、さて何と言ってますか。
「――戦争じゃねえ――いや、マジ大丈夫だから来ないで」
 どうやら続行です。近隣の方々が書斎に近づかないよう押し止めています。勝負は劉に託されました。しかしすでに追い込まれている劉、第四射、構えます。勝負をかけるか劉。劉、撃ちました――外した! 劉、痛恨のミスショット、これで手元の鉄砲すべてを外してしまった! 真っ赤な顔、坐ったまま足をじたばた動かす劉、さすがに焦っている。残されたのはあの大きな鉄砲ですが、弾は入っているものの火縄の準備ができていません。絶体絶命の劉、危うし劉!
 ああ、劉が鉄砲を構えた! しかしそれは一射目に用いた鉄砲です。弾は入ってないぞ、どうしたのか劉、いま大きな叫び声を上げ、撃った! なんと撃ちました劉、まさかまさかの五発目の射撃、信じられない事が起きました。劉、いつの間に弾を装填したのか。いや、そんな素振りはありません。ここで劉、さらに隣の鉄砲を構えます。撃った、六射目! これは奇蹟でしょうか。いや違います、あれは――足だ、足です、劉、足で薬莢を掴んでいる。鉄砲で化物を狙っている間に、足の指で器用に薬莢を掴んでいる。いま、七射目、そして同時に足で包みを破り、そのまま次の鉄砲へ装填しています。何という特技、恐るべし劉、人間技とも思えないぞ、しかもだんだん早くなる、いま劉の四本の手足、四丁の銃が、複雑に同期して射撃する! まるで生きた機械のようだ! さらに、銃火の隙を埋めるように、劉の口から飛び出すのは、化物への罵詈雑言、これは厳しい攻撃だ! 化物を心身ともに追い詰める、化物ピンチ、化物大誤算、扉の裏に隠れたままです、その扉も壁も、銃弾の当たるたび削られ砕かれていく、化物、隠れる場所がなくなってきたぞ、チャンスだ劉、劉がんばれ、劉がんばれ、ついに残すは太い柱と周囲の壁、さあここで切り札、あの巨大なる鉄砲の投入です。伝家の宝刀、三十七ミリ榴弾砲が、満を持しての登場であります。いま燭台から、火縄へと徐ろに火を移し、引き金に指をかけました劉、慎重に、化物の方へと狙いをつける、劉の勝利か! 吹き飛ぶのか化物! 緊張の一瞬、さあカウントダウン、五、四、三、二、一、発射………


 化物の倒れる時、家根瓦の落ちて砕けるような響きを発したといいます。近寄ってみますと、それは割れた壷の破片でした。この家にある古い壷で、それが妙な顔をしていたのは、子供がいたずら書きをしたのです。落書きとは言え、人の顔を具えたために怪を成したのだ、と劉は悟りました。
 翌朝、劉は揚々として従弟の家を発ちました。
「久しき物、憑り所を得て妖を成すと云うが――これにて一件落着、また何かあれば呼ぶが良い」
 劉の姿が見えなくなると、従弟は力なく膝をつき、そのまま暫く動く事はありませんでした。
 さてその日から、家中の怪事もすっかりと鳴りを顰め、と思いきや、劉の従弟は相変わらず書斎のあった辺りで何者かに突っ転がされていたのですが、劉にだけは知られてはならぬと固く家人に命じたとの事です。
劉に知らしむべからず 蛮人S

下司味礼賛
今月のゲスト:古川緑波

 宇野浩二著『芥川龍之介』の中に、芥川龍之介氏が、著者に向って言った言葉、
 ……君われわれ都会人は、ふだん一流の料理屋なんかに行かないよ、菊池や久米なんどは一流の料理屋にあがるのが、通だと思ってるんだからね。……
 というのが抄いてある。
 そうなんです、全く。一流の料理屋というのは、つまり、上品で高い料理屋のことでしょう! そういう一流店でばっかり食べることが通だと思われちゃあ、敵わないと僕も思うのである、そりゃあ、そういう上品な、高い料理を、まるっきり食わないというのも、可笑しいかも知れない。たまにゃ、一流もよろしい。が、然し、うまい!って味は、意外にも、下司な味に多いのである。だから、通は、下司な、下品な味を追うのが、正当だと思うな。
 例えば、だ。天ぷらを例にとって話そう。いわゆるお座敷天ぷら。鍋前に陣取って揚げ立てを食う。天つゆで召し上るもよし、食塩と味の素を混ぜたやつを附けてもよし、近頃では、カレー粉を附けて食わせるところもある。そういう、いわゆる一流の天ぷら。その、揚げ立ての、上等の天ぷらを食って、しまいに、かき揚げか何かを貰って、飯を食う。或いは、これがオツだと仰有って、天ぷらを載っけたお茶漬、天茶という奴を食べる。そりゃあ、結構なもんに違いないさ。
 然し、そういう、一流の上品な味よりも、天ぷらを食うなら、天丼が一番美味い。と言ったら、驚かれるだろうか。抑々、天ぷらって奴は、昔っから、胡麻の油で揚げてたものなんです。だから、色が一寸ドス黒い位に揚がっていた。それを、見た目が下品だとでも言うのか、胡麻の油をやめて、サラダ油、マゾラを用いるようになったのは、近年のことである。これは、関西から流行ったんだと思う。そして、近頃では東京でも、何処の天ぷら屋へ行っても、胡麻の油は用いない(或いは、ほんの少し混ぜて)で、マゾラ、サラダ油が多い。だから、見た目はいいし、味も、サラッとしていて、僕なんか、いくらでも食える。
 然しだ、サラッと揚がってる天ぷら、なんてものは、江戸っ子に言わせりゃあ、場違いなんだね。食った後、油っくさいおくびが、出るようでなくっちゃあ、いいえ、胸がやけるようでなくっちゃあ、本場もんじゃねえんだね。ってことになると、こりゃあ、純粋の胡麻の油でなくっちゃあ、そうは行かない。だから、先っき言った天丼にしたって、胡麻でやったんでなくっちゃあ――此の頃は、天丼も、上品な、サラッとした天ぷらが載ってるのが多いが、それじゃあ駄目。
 丼の蓋を除ると、茶褐色に近い、それも、うんと皮(即ちコロモ、即ちウドン粉)の幅を利かした奴が、のさばり返っているようなんでなくっちゃあ、話にならない。その熱い奴を、フーフー言いながら食う、飯にも、汁が浸みていて、(ああ、こう書いていると、食いたくなったよ!)アチアチ、フーフー言わなきゃあ食えないという、そういう天丼のことを言ってるんです。
 その絶対に上品でないところの、絶対に下品であり、下司であるところの、味というものは、決して一流料理屋に於ては、味わい得ないところのものに違いあるまい。
 と、こうお話したら、大抵分って戴けるであろう、下司の味のよさを。天ぷらばっかりじゃない。下司味の、はるかに一流料理を、引き離して美味いものは、数々ある。おでんを見よ。
 おでんは、一流店では出さない。何となれば、ヤス過ぎるからであり、従って下品だからである。然し、おでんには、ちゃんと店を構えて、小料理なんぞも出来ますというようなところで食うよりも、おでんの他には、カン酒と、茶めし以外は、ござんせんという、屋台店の方が、本格的な味であろう。何うも近頃は、と年寄りじみたことを言うようだが、おでんのネタが、変ったね。バクダンと称する、ウデ卵を、サツマ揚げで包んだ奴、ゴボウ巻き、海老巻き、そんなものは、昔は無かったよ。おれっちの若い頃にゃあね、「ええ何に致しますかね? ちくわに、はんぺん、ヤツにガンモ」なんてんで、(ヤツは八つ頭。ガンモはガンもどきなり)「ええと、そいじゃあ、ガンモに、ニャクと願おうか」ってな具合だったね。
 一々めんどくさいが、ニャクとはコンニャクのことですよ。「へい、ちイっと、ニャクが未だ若いんですが――」なんてな、若いてえのは、まだよく煮えていねえってことなんでがす。おでん屋の、カン酒で、ちと酔った。
 酔って言うんじゃあ、ございませんが、おでんなんてものこそ、一流の店じゃあ、金輪際食えねえ、下司の味だと思いやすがね、何うですい?
 おでんの他にも、まだまだあるよ。むかし浅草に盛なりし、牛ドンの味。カメチャブと称し、一杯五銭なりしもの。大きな丼は、オードンと称したり。
 あの、牛(ギュウ)には違いないが、牛肉では絶対にないところの、牛のモツや、皮や(角は流石に用いなかった)その他を、メッチャクチャに、辛くコッテリ煮詰めた奴を、飯の上へ、ドロッとブッかけた、あの下司の味を、我は忘れず。
 ああ下司の味!