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3000字小説バトル

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3000字小説バトルstage3
第15回バトル 作品

参加作品一覧

(2016年 10月)
文字数
1
サヌキマオ
3000
2
石川順一
3000
3
蛮人S
3000
4
梶井基次郎
2014

結果発表

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銀紙草
サヌキマオ

 この暑い中大変申し訳ないが、話は私の店先での嘔吐シーンから始めることにする。
「ヴぉえっ」
 青いような揮発するような鼻の奥に刺さるような臭いが店内に充満して、嗅覚を握りつぶされたようになってえづき続ける。
「すごいでしょう。私だって荷を積んでいる時に気が遠くなったんだから、麻衣ちゃんなんかとてもたまるまい」
 昨日、丁字原さんが店に荷物を持ってくると店長から言われていた。丁字原さんというのは店長の幼なじみの背の高い女の人で、たまにこの店にもハーブや生薬のたぐいを仕入れに来る。
「こ、これ、一体なんなんすか!?」
「これ? 銀紙草」
「ぎんがみそう」
 細い路地に引っ越しに使うような大型のトラックを無理矢理押し込んで、店の中には一抱えもある乾燥した草束がどんどんと積み上げられていく。葉の一枚一枚は角ばって丸まっていて、チューイングガムの銀紙を思わせなくもない。
 じゃあ、眞ちゃんによろしくね、と丁字原さんはトラックに乗って帰っていく。で、私はこれからこの店の中に取り残されるのだということに気がつく。あらゆる空気が臭い。店の中に野の中の草いきれ、充満する湿布臭。いや、湿布臭どころではない、ニラ臭にタバコ臭に爛れた口臭、動物の本能が「ここにいては気が狂う」と訴えてくる。かといって店を一歩出ると雲ひとつ無い、酷い天気である。人間の心が「ここにいては暑さで死ぬ」と訴えてくる。
「うちだって儲けられるときは儲けんとさ。金が儲かるというときには、それなりのリスクを背負うものよ」
 店長、リスク負ってねえじゃん!
 この銀紙草とやら、客は二時頃に引き取りにくると聞いた。あと二時間半ほどある。私は出来るだけ息を止めながら店の入口に近いところに草の束を積み直し、部屋の奥の換気扇を回してその真下に座ると幾分か楽になった。それでもこの中で昼ごはんは取りたくない。汗も鼻水もだらだらと垂れて、ああ化粧直さなきゃ、と思うがそれも面倒になってきた。
 ぐったりとする。今日はこのまま誰も客が来なければいい。
 入れるものならば入ってみろ。私は今、とても酷い顔をしているぞ。

 窓の外に客が見える。
 メンソレータムが見える。
 いや、違う。ナイチンゲールが見える。
 メンソレータムの箱に書いてあるナイチンゲールのようなものが店の中を覗いている。
(いや、アレ、ナイチンゲールじゃないらしいよ?)
「あ、そうなんすか?」
(ちょっとウィキペディア見たら『シャーリー・テンプルじゃねえの』って書いてある)
「『シャーリー・テンプル』って誰?」
 ググってみたら、なんか普通の白人の女優さんが出てきた。あまり興味を惹かれない。
 話を元に戻すが、そのナイチンゲールのような格好の女の子は入口の戸をガラガラと開けるやいなや、それまでの端正な顔立ちを引き攣らせてすごい顔をした。
 鼻の穴が三倍に広がったかと思うと、両の手でさっと押さえた。
 わかるわかる。
 とんでもねー臭いだもんな。
 遠目に見ても明らかに小さいなぁと思っていたが、加えて顔立ちはどう観ても小学生だ。
 顔をひきつらせながらやってきて、それでもニッコリと微笑もうとしていた。
「あの、椎橋の、阿知羅医院の方からやってまいりましうぇぉほぅ」
(おまえのようなナースがいるか!)
 内心ツッコんでしまう。ナースは(こう名乗られたらナースと呼んで差し支えないだろう)口上を述べ終わる前に咳き込むと、ひっ、ひっ、と息を漏らした。すると部屋の下半分の方は幾分か呼吸が楽であることに気がついたらしく、前かがみになって喋り始める。
「あの、院長に言われましてっ、ハヒリドホロをっ、いただきにあがひましてっ」
 ハシリドコロ?
「店長、いないんだけどさ、それってなんかご予約があったりします?」
「あっ、はひっ、へんちょーはんと院ひょーはんはおともらひれひへっ、しゅきならけ持っへいっへもよろひいとおっひゃったそうれ」
 一度口上を切ると、ナースのシミひとつない磁気のようなほっぺたに玉のような汗が浮かんでいる。
 なんだか楽しくなってきた。
「ああ、じゃ、そうね。ちょっと今手が離せないからさ、お嬢さん、そこの棚にあるのを好きなだけ持ってっていいっすよ」
「え、そこ、と申しますと」
「そこ。そこの草の束の裏にある棚のぉ、一番上なんだけど」
「ふえっ」
 ナースは私に言われるがままに天井を仰いで、「うぉぶぇっ」と一声唸ったかと思うと入口のドアに向かってかけ出した。そのまま戸の隙間から外に転がり出る――かと思ったが、思いのほか戸の隙間が狭かったらしく、ひっつめた頭をしたたかに柱に打ち付けるとごろりと伸びてしまった。古い看護服はみるみる色あせて、代わりに全身がモジャモジャとした硬そうな毛で覆われてきた。
「うわぁ、狸だ」
 その辺にあった六尺棒でつつくと反応がある。
「へぇ、悪さはしないので勘弁しつください」
「人の店からなんか盗ってこうってアレじゃなかったの?」
「ち、ちゃんとお金は払うに決まってるじゃないですか、いやだなぁ」
 そう云いつつ、狸は持っていた手提げを器用に鼻先で開けると柿の葉を数枚引っ張り出す。
「やっぱり葉っぱじゃねえか!」
「あ、違うんです、え、いや、あれェ?」
 店にかけられた化け封じの結界の力だ。狸はこれ以上ないくらいうろたえて、咥えた葉っぱを胸元にしまい込む。どういう作りになっているんだろう。
「ないじゃんか」
「すみません嘘をつきました」
「帰ってもらえるかな」
「すぐに帰ります。失礼ひはひはっは」
 そういうと狸はトボトボと戸口へ出ていく。口にサッと何か咥える。
「こら待て」
 外に出た途端の一目散、人間の足で追いつこうはずもない。やられた! と思った刹那キャンキャンと吠える声がする。視線を上げると、毛むくじゃらの首根っこをひっつかんでぶらさげた店長が立っている。
「臭えな」
 抵抗しようともがく狸の首をきゅっと締めて、店長は店の中を覗く。
「銀紙臭えしケダモノ臭え。丁字原の野郎、トラックごと貸してくれるんじゃなかったんか」
 あ、やっぱりそういうものなんだ。
「で、この狸はなんだ」
「一応お客さんだと名乗ってはいましたが、店のものを咥えて逃げていくところでした」
「畜生め」
 狸が吠える先からばらばらと地面に草の根が落ちる。これがハシリドコロだろうか。
「ヤケになってトリカブトの根を咥えやがったな。おまえ、もう間もなく死ぬぞ」
「ひえっ」
 狸は仰天したのか、首根っこを掴まれたままぐったりしてしまう。なんだか可哀想みたい、と遠巻きに眺めていると、店長は狸の首根っこをそのまま水を溜めてあった防火用水のバケツに突っ込んだ。たまらず狸は噎せて咳き込む。
「どうだ、全部吐いたか」
「ひいひいひい」
「毒で死なれちゃ狸だって食えねえからな」
「ひいひいひい」
「命を助けてやったんだからちゃんと恩返ししろよ」
「ひいっ」
 開放された狸は建物の壁と壁の間の狭い路地に無理やり体をねじ込むと、ゴリゴリ音を云わせながらとうとう見えなくなった。
 あっという間のことに目を白黒させていると背後に気配がして、天頂がすっかり禿げ上がった白惣髪の老人が立っている。
「例のもの、引取にまいったぞぃ」

 銀紙草は店長のワゴンで八往復もして、ようやく運び終わった。臭い抜きのために店を、車を、衣服をクリーニングすると結局ちっとも儲からない。
 狸も、恩返しに来ていない。
銀紙草 サヌキマオ

詩の修業
石川順一

 詩仙人が居た。過去の自作の詩を組み替えたりして実作に励み詩修行に勤しんで居た。とりあえず出来た詩を朗読して見る
リーダーがあちあち言って居る/うおっほうおっほと嬉しがるゴリラに辟易して/生意気は許さないと/リーダーはゴリラの面(つら)を張って/ただ広い海へと逃げる/ノアの大洪水がやって来そうなエピソードではないか/過小評価してはいけない/他郷にあっては米を収穫して居たリーダーは/うおっほうおっほと嬉しがるゴリラの面(つら)を張ったって何の充足度もない/ひたひたと波が打ち寄せる/うおっほうおっほは残響し続けるが/シンクロする太陽が立ち上がる/リーダーは自ら足るを持って充足し/生きろと言われ続けた頃と重なると思った/あちあちと言って居た頃は最近だが/リーダーの顔に石が飛んで来る/沢山土で出来た筆が落ちて居た大地で/バイプレイヤーを免れないリーダーは/紫衣(しえ)を纏って/紫衣(しえ)を着て散歩する園児も大量に目撃した/クレヨンの落書きと共に沢に落ちて行く感覚とはどんなものだろうとリーダーは推測しながら/テクノロジーで死んで行くのはどんなものだろうとも推測しながら/乗せられても乗らず/地理が不要な程に奥歯を鳴らし(どんな譬えだと詩仙人も思う)/ぷーんと匂って来るのをどうする事も出来ないリーダーなのであった

 自作の朗読を終えると詩仙人は歩き始める。仮眠の後の午前中を回想しているのだ。とりあえず林檎を食べて、麦茶で口を漱いで、皿を洗ったりして居た。その後は五個入りのバタークッキースティックを一個食べて一個しか食べられなかった悔恨に浸ってアーモンドチョコレートを食べてアイスコーヒーを飲んで再び麦茶で口を漱いだ。召使が12時も近くなって帰って来たので、昼餉と成る。卵御飯に韓国の味海苔に缶詰のサバ。タイで生産されたものを日本の貿易代理店が輸入して居る物だった。味噌汁は普通に豆腐に葱の入った味噌汁だった。二日前の茗荷汁はどうしたのだろう、もうないのだろうか、(上の麦茶で口を漱いでからだった)分からぬ。何にしても最近は唐辛子や霧や茗荷など秋の季語が囲まれて居たような気がする。
召使「明日は仕事が休みですねおどこぞへ行きましょうかね」
詩仙人「無限タワーがいいかもしれない行くならば」
召使「私は仙人と行くとは言って居ません」
詩仙人「何と仕事中にその発言」
召使「明日は仕事休みですからね。仕事は仕事、プライベートはプライベートと分けて居るのです」
詩仙人「何と確かに明日の事はプライベートだが今は仕事中。何と解釈したらよいかと。時間が錯綜して」

 詩仙人は詩にばかり凝っているのがいけないと思い。詩力を伸ばすために俳句作にも傾注しようと思った。非常に締まった表現が詩作にも参考に成るし、何と言っても俳句の発想の中には詩作に資するのも多いと聞くからな、と詩仙人は思い、詩作では無くて句作にふけった
 
 急激に暗く成りたる秋の空
 秋霖や降ったり止んだりする日々も
 長雨が長く続いて九月かな
 素直に「長雨」と詠んだが、長雨とは梅雨の事を言うらしい。これでは季重なりかも知れぬし、そもそも季重なりか季重なりじゃないかの問題では無くて、単に長雨の事を梅雨の事を言うと言う事だと知らないだけに成ってしまうので、自分の無知を曝すだけだと、詩仙人は思って句作が少し中断した。
25時11分23時46分再開。詩仙人は短歌も詠んで居る。
 O黒揚羽変幻自在な飛びぶりに静止画取れず動画で自足す
 Oコンクリの細道を行く鳥のやつ直ぐに飛び立ち電線へ行く
 O珍しき庭に来る鳥細道をちょっと歩けばさっと飛び立つ
 O曼珠沙華遠くにあれば望遠で線路の向こうの赤色を撮る
 O風に乗り激しい音が鳴るときに北を向きたり線路を見たり
 O日が差して来て直ぐにでも暗くなる雨は降らぬが不順な日々に
 2016年9月30日(金)15時45分再開。詩仙人は日記も書いて居た。2013年5月2日とある日記。11時30分ごろ出発、家を。結局パパ(教皇)も行く。過疎川ジュスコ(ウオン)へと向かう。その途中(ウオンへたどり着く前に)もう味さんげんに来て居る。(鉄板お好み焼き屋)。ここは去年(2012年)来たところでは無い。多分’08年ちょくちょく来たところ。でみぐらソースの煮込みハンバーグ(ランチの食べ放題)。肉、海老、烏賊ミックスお好み焼き。サフラン色(黄色)の海老ピラフ。カルボナーラスパゲッティ(濃い)。他に前に届いたものとして葱鮪(ねぎま)、ソース串カツ、シスター(尼僧も附いて来たのですね)は焼きそば(もう13時09分だ)。既にデザート頼み、水も頼み、お好み焼き食べた後、コーヒープリン?(デザート)。
 詩仙人は過去の日記を詳細に検討する事でも、詩作が可能だと思って居る。ところどころ女子が省略されて居たり、前後のつながりが分かり辛かった、時系列的に考えると、分かり辛いところがあるが、大体は分かる。むしろ詩的感興が湧いてくると詩仙人は思った。同じ日付の日記の記述で20時36分の記述を詩作するとこうなると詩仙人は思った。
 コニャックを飲んで居た
 毎日土日月火と来て水曜日で中断
 水曜日は居酒屋へ行く
 今日木曜日は過疎川ジュスコへ行く(靴を買う)(今も履いて居る)
 水曜日はシスター(尼僧)の隣でライチを飲む
 桜ユッケ(生馬肉)を食べる
 コニャックを毎日飲めば手元怪しきシスターと居て
 イヤホンがいまだにいたく刺激するシスターの劇中賛歌の様に
 コニャックを毎日飲めばシスターが隣に来たりライチ飲んだり・・
 まだまだ習作の段階だなと詩仙人は思う。恐らくコニャックはコンビニに買って来た安物のウィスキーだろうが、結構ばかにならない。値段はともかく酒精度が高いので、ビールやカンチュウハイと比較して、舌が少し焼けるような気がする。
 
 詩仙人は今日の総括もやる。今日は目覚めたときはやけに晴れて居たような気がする。なのに午後からは曇り出して、夜には雨が降って居た。三つの公園を経巡って来て印象的な景物を短歌や俳句にして詩の修業をしようと思った。
 コスモスは十月中旬ピークとぞ書かれし看板印象的なり
 大ボール子等は遊べり母も居り我らは寂しい三人しゅうか
 昼食は刺身なりけりウドン付ききつの御膳は売り切れなりき
 ススキの穂セより高くて写真撮る風に揺られて夢見心地か
 芝櫻ちょっと踏んだら罪悪の感じが襲う漫然と付き従うな
 自販機でアイスを買わぬ事にする誰かは帰り飲むアイスバニラ
 句作する佳作もすれば愁いありコスモス畑通過をしたり
 ボールペンインク量が気に成れば自動車走る速度は知らぬw
 タワー見て接続部分察知するこんなにでかいものを建てたか
 アイパワーいつも信じて生きて居る昼餉はドリンクバーが無料で
 完全に暑いと思う午前かな午後からくもり夜は雨降る
 一瞬のエンジン加速うなりけりトラックなどやバイクなどなど
 新鮮な子等と思えば大玉は赤くて我の知らぬ事かな
 くねくねの道をたどれば塔につく塔にフラワー沢山あって
 
 詩仙人は短歌を読んで詩に資することが大だと思った。これからも短歌を読んで行こうと思った。そうするには短歌の修業も大事なので、短歌も勉強しようと思った。短歌の勉強をするにはネットサーフィンを強化しなくてはいけないなと詩仙人は思うのだった。そしてそのためには時間確保するために配慮しなくて位はいけないと思う詩仙人なのであった
詩の修業 石川順一

鉄の悪夢の
蛮人S

 いま私の古い腕時計は、四歳の幼ない左腕に巻かれていた。孫のカズマである。彼が腕を振ると、その細い手首で時計は裏に廻ってしまい、カズマは『指令』を叫ぶたびに時計を上向きに戻す必要があった。
「マシンベース、応答せよ」
 どうやら彼にとって私の時計は、何とかいう流行りのヒーローの通信機なのらしかった。
 お昼前の公園は、晩夏の日差しに満たされている。住宅街の中のささやかな公園。蝉の声ばかりが辺りを包む。私は木陰のベンチに腰掛け、孫の遊ぶ姿を眺めていた。なるほど私も年を取った。
『――お義父さん、壊されたらどうするんです』
 たまたま見せてやった昔の時計を、孫が貸して欲しいと言った時、息子の嫁は事もあろうにそう言った。私は苦笑するほかなかった。
「壊れやしないよ、あれは」
 君は知らぬ。あの時計はいかに乱暴に扱っても断じて壊れない、その理由があるのだ。
(なぜなら、あの時計こそ本物の……)

 本物の、鉄神機ジャイアンツ・ロボの操縦機なのだから!
 語っても信ずるまい、私のジャイアンツ・ロボの話を。正義の砦、鉄の巨人の冒険を!
 腕の通信機に一声叫べば、ロボは直ちに飛んできた。私の命令でロボは自在に戦った。ロボ、不屈の鉄腕、悪の滅ぶまで退かぬ無敵の武神……共に戦う特殊機関アークの隊員は、強く優しい正義の使徒たち……そして憎むべき宿敵、X団!
(ロボはX団の首領もろとも火山に突入し、そして帰ってこなかった。私の命令に背いても、地球のために……)
 昭和三十八年の春だった。


 ――子供だった私の、その後の記憶は断片的だ。ただアークの隊長の、最後の指示はよく覚えている。私にとって隊長は、強く頼もしくも怖い印象の人だった。
「特殊機関アークは本日、解散する」
「この部屋を出た時から諸君は一般市民に戻り、もう互いに会う事もない。全ての装備は置いて行け」
「今後、アークはその存在を認められない。全ての記録は抹消される」
 本来が秘密組織である。それが徹底して存在を消せば、もう何も残らない。
「隊長……」
 私の兄貴的な存在だった隊員が静かに尋ねた。
「アークは我々の記憶の中には残るでしょう。構わないのですか」
 隊長は答えた。
「私は、諸君の持つ誠実さと強い意志を理解し、信じる。今までも、これからもだ。諸君はアーク隊員であったその誇りを以って、それ自体を記憶の底に沈め給え」
 隊長は灰色の封筒を順に配った。
「諸君の新しい生活に関する資料だ、以降はそれに従え」
 私の順番が回ってくる。
「正一郎君……」
 隊長は私の顔を見ながら言った。
「ロボの時計型通信機のみ、持ち出しを許可する」
「なぜです?」
 隊長はゆっくりと私の目線まで身を落とした。
「君は大人とは違う。年浅い君にとって、ここでの日々は心の中の殆どを占めていただろう。それを全て取りあげる事はできない。何より……」
「君がアークに加わったのは、偶然、君の声がロボの操縦機に登録されたからだ。何の支度もなくそのまま参加して貰うしかなかった」
「そこが私や、他のみんなとは違う……例えば私の〇〇という名前も、本当は……違うんだ」
 ここで隊長は確かに微笑んだ。
「君はその時計を持ちなさい。時計に記憶を固く封じて、今日までの証としなさい。そうすれば君はこれからも正義の少年、正一郎君でいられる」
 隊長は立ち上がり、背を向けた。
「命令は以上だ。今日までの諸君の働きに感謝する」
 そして私は大人になっていた。
「ありがとう……正一郎君……」


(そんな事が本当にあるのだろうか)
 すべて自分の空想だったのかもしれない。今はそう考える事もある。古い記憶はすり替わり、捏造されるものだ。とりわけ空想と現実の狭間に住む子供には、ありがちとも思えた。
 だが、時計はここに有る。
 硬く重厚な時計のボディはロボのように頑強で、リューズと文字盤を兼ねる蓋以外にネジも継ぎ目も見られない。鈍い光沢を放ち、何年経っても傷つかず、そしていつまでも動いていた。
 私は時計の蓋を開き、そっとロボを呼んだ事もある。もちろん応答は無い。今や時計のベルトは私の腕に巻くには小さくなり、通信機に内蔵された声紋判定も、きっと今の私の声は通さないだろう。時計は、幼い僕の言葉を封じたまま、ひたすら時を刻む本来の道具へと変わっていた。
(それで、良いのだ)
 私は孫の姿を眺めつつ、ひとり頷いていた。
「チェンジ、マシンマックス!」
 いま時計は孫の腕にあり……私の知らないロボに指令を送る。その勇ましい声は、或いはかつての私の声に似ているかもしれない。或いはいつか、あの声を聞いて本物のロボが帰ってくる、そんな空想すらも打ち消し難い透き通った声だった。
(だが今はロボはない。あってはならぬ)
 彼の美しい、純粋の声……ならばこそ、幼くも力強い声に導かれるべきは、あんな戦闘機械ではない、もっと洗練された、新しい、新しい力こそが望ましいはずなのだ!
(それで良いのだ)
 私は空を見上げる。孫よ、お前はその力をもって、もう私なんぞの理解を超えた、新しい未来を拓いて欲しい。
 まったく新しい理想を追求して……
「……カズマ」
 そろそろお昼の時間だった。私は孫の名前をもう一度呼ぶ。いつしか孫の声は聞こえなくなっていた。
「どこへ行った」
 私は辺りを見回す。孫の姿がない。公園は私ひとりだった。私は立ち上がり、孫の名前を呼びながら二、三歩進む。その足先が何かを蹴った。拾い上げると、それはロボの時計だった。ぞわりと悪寒が走る。
 蝉の声が止まった。
「カズマ君はここさ、正一郎君」
 私は振り返る。真昼の静寂、白い太陽、揺らぐ大気の中……長身痩躯の影がふわりと立った。熱く乾いた風が膨らみ、怪人のマントが音を立て翻る。その左腕に抱えられ、ぐったりと目を閉じる孫の姿……
「カズマ!」
「そう慌てる事もあるまい。私は子供に対しては常に紳士であったろう? なあ、正一郎君……」
 記憶の火花が音を立てて弾け、目の前が歪む。
「……X団の首領、悪魔博士、お前は滅びたはずだ……」
「覚えていて呉れて幸甚だ。そして、当にこれこそ君への回答だね。滅びやしないさ。私はね……何時だって君の側に居るのだよ、君の封じた記憶と共に。ただ、君にはね、あンまり妙な方に僕らの世界を揺り動かさないで欲しいのだよ。私はただ、君との安寧な日々を送りたいだけなんだ……」
 悪魔博士はカズマの身体を包むようにマントを閉じた。
「……我がアイデンティティーの内に」
 私は飛び掛かろうとしてよろめいた。その目の前で、悪魔博士はグウウンと天に伸び上がる、いや、足元の地面から何かがせり上がり、博士はその上に乗っているのだ。石と土くれを散らしながら地中から現れたのはロボット、巨大なロボット……
 何と古びた亡霊……亡霊!
「ワッハハハ、さて如何するかね、正一郎君。此れは悪夢か、幻覚かな? 君がそうだと思うなら、そのつもりで付き合って呉れても良かろうに、なあ? 正義の少年、正一郎君!」
 私は躊躇なく時計のリューズを押し込んでいた。コッと厚い文字盤が跳ね上がる。
「来いッ、ジャイアンツ・ロボ!」
 三つのランプは直ちに応答した。ロボ、やはりお前は生きていた!
「グラティアス……正一郎君……」
 静寂の中、悪魔博士は陶然と目を閉じて、微笑んだまま天を仰いだ。やがて青空に響き渡ろうパルスジェットの爆音を、耳を澄ませて待つように。
鉄の悪夢の 蛮人S

闇の書
今月のゲスト:梶井基次郎

+目次

   一
 私は村の街道を若い母と歩いていた。この弟達の母は紫色の衣服を着ているので私には種々のちがった女性に見えるのだった。第一に彼女は私の娘であるような気を起こさせた。それは昔彼女の父が不幸のなかでどんなに酷(ひど)く彼女を窘(いじ)めたか、母はよくその話をするのであるが、すると私は穉(おさな)い母の姿を空想しながら涙を流し、しまいには私がその昔の彼女の父であったかのような幻覚に陥ってしまうのが常だったから。母はまた私に兄のような、ときには弟のような気を起こさせることがあった。そして私は母が姉であり得るような空間や妹であり得るような時間を、空を見るときや海を見るときにいつも想い描くのだった。
 燕のいなくなった街道の家の軒には藁で編んだ唐がらしが下っていた。貼りかえられた白い障子に照っている日の弱さはもう冬だった。家並をはずれたところで私達はとまった。散歩する者の本能である眺望がそこに打ち展けていたのである。
 遠い山々からわけ出て来た二つの溪(たに)が私達の眼の下で落ち合っていた。溪にせまっている山々はもう傾いた陽の下で深い陰と日表にわかたれてしまっていた。日表にことさら明るんで見えるのは季節を染め出した雑木山枯茅山であった。山のおおかたを被っている杉林はむしろ日陰を誇張していた。蔭になった溪に死のような静寂を与えていた。
「まあ柿がずいぶん赤いのね」若い母が言った。
「あの遠くの柿の木を御覧なさい。まるで柿の色をした花が咲いているようでしょう」私が言った。
「そうね」
「僕はいつでもあれくらいの遠さにあるやつを花だと思って見るのです。その方がずっと美しく見えるでしょう。すると木蓮によく似た架空的な匂いまでわかるような気がするんです」
「あなたはいつでもそうね。わたしは柿はやっぱり柿の方がいいわ。食べられるんですもの」と言って母は媚(なまめ)かしく笑った。
「ところがあれやみんな渋柿だ。みな干柿にするんですよ」と私も笑った。
 柿の傍には青々とした柚(ゆず)の木がもう黄色い実をのぞかせていた。それは日に熟(う)んだ柿に比べて、眼覚めるような冷たさで私の眼を射るのだった。そのあたりはすこしばかりの平地で稲の刈り乾されてある山田。それに続いた桑畑が、晩秋蚕(ばんしゅうこ)もすんでしまったいま、もう霜に打たれるばかりの葉を残して日に照らされていた。雑木と枯茅でおおわれた大きな山腹がその桑畑へ傾斜して来ていた。山裾に沿って細い路がついていた。その路はしばらくすると暗い杉林のなかへは入ってゆくのだったが、打ち展けた平地と大らかに明るい傾斜に沿っているあいだ、それはいかにも空想の豊かな路に見えるのだった。
「ちょっとあすこをご覧なさい」私は若い母に指して見せた。背負い枠(わく)を背負った村の娘が杉林から出て来てその路にさしかかったのである。
「いまあの路へ人が出て来たでしょう。あれは誰だかわかりますか。昨夜湯へ来ていた娘ですよ」
 私は若い母が感興を動かすかどうかを見ようとした。しかしその美しい眼はなんの輝きもあらわさなかった。
「僕はここへ来るといつもあの路を眺めることにしているんです。あすこを人が通ってゆくのを見ているのです。僕はあの路を不思議な路だと思うんです」
「どんなふうに不思議なの」
 母はややたたみかけるような私の語調に困ったような眼をした。
「どんなふうにって、そうだな、たとえば遠くの人を望遠鏡で見るでしょう。すると遠くでわからなかったその人の身体つきや表情が見えて、その人がいまどんなことを考えているかどんな感情に支配されているかというようなことまでが眼鏡のなかへ入って来るでしょう。ちょうどそれと同じなんです。あの路を通っている人を見るとつい私はそんなことを考えるんです。あれは通る人の運命を暴露して見せる路だ」
 背負い枠の娘はもうその路をあるききって、葉の落ち尽した胡桃の枝のなかを歩いていた。
「ご覧なさい。人がいなくなるとあの路はどれくらいの大きさに見えて人が通っていたかもわからなくなるでしょう。あんなふうにしてあの路は人を待ってるんだ」
 私は不思議な情熱が私の胸を圧して来るのを感じながら、凝っとその路に見入っていた。父の妻、私の娘、美しい母、紫色の着物をきた人。苦しい種々の表象が私の心のなかを紛乱して通った。突然、私は母に向かって言った。
「あの路へ歩いてゆきましょう。あの路へ歩いて出ましょう。私達はどんなに見えるでしょう」
「ええ、歩いてゆきましょう」華(はな)やかに母は言った。「でも私達がどんなにちいさく見えるかというのは誰が見るの」
 腹立たしくなって私は声を荒らげた。
「ああ、そんなことはどうだっていいんです」
 そして私達は街道のそこから溪の方へおりる電光形の路へ歩を移したのであったが、なんという無様な! さきの路へゆこうとする意志は、私にはもうなくなってしまっていた。