陸橋
今月のゲスト:藤森秀夫
都会にも田舎にも、山にも川にも雪がふります。山の懸橋、河の船橋、鉄橋、欄干橋、都の停車場に懸っている虹より美しい橋、田舎の丸太橋。高きも低きも金持も貧乏も一様に暖かい綿衣でくるまれて、青や赤や緑や、彩という彩はその重みの下に薄暗く圧されて独特の美しさを保っています。
倉子は都のある停車場の上に懸った陸橋の傍の住居。冬の寒い日に炬燵に当って絵本を飜いておりました。その炬燵の上には仔猫の毬が、毬よりも丸くなって、鼻をお尻に突込んで眠っています。外では雪がふり、あたりは例の騒々しい物音もしない。仔猫の寝息がしているだけです。
さて、この家はお母さんが留針の工場に通い、お父さんは鉄道へ勤めて、今留守居とては倉子と仔猫だけなのでした。
『毬子や』と倉子は退屈そうに起きました。
『今お前にお話をして上げましょう』
それから倉子は毬の耳元でお話をして聞かせました。
『お母様は毎日工場へお通いで毎日留針を磨いて箱に入れて、それをまた大きな箱に詰めています。それを朝から晩までなさると、家へお帰りになってただいま倉子と仰せになります。そうしてお父さんは赤い旗と青い旗を巻いてプラットホウムに出ていらして、その青い旗を開いてお振りになると、止まっていた電車も汽車もうんうんうんと出て行きます。その赤い旗をお振りになるとどんな威勢のよい汽車や電車もその前でがたんと止まります。倉子は留針を製造なさるお母さんと、鉄道にお勤めのお父さんの子です』
いくら倉子が教えても鞠子は覚えません。
『毬子や、さあお針が出来ましたから、買いに来て下さい。一包十銭です』と倉子は毬を撫でますと、毬は優しく『にゃあ』と鳴きました。
『さあまたお話をしてあげます』そう言って倉子はお話を始めました。『陸橋の下には電車が通ります。陸橋の上にも電車が通ります。電車はお祭りの日には日の丸を立てて通ります。陸橋の下を通る電車は大きく四つくらい続いていますが上を通るのは一つまでです。そうして、花電車も通ることがあります。陸橋の上の停留場では每朝、朝刊!朝刊!と言って新聞を売っています。夕方は夕刊を売っています。その新聞を売っている子は両親のない廣雄さんです。廣雄さんは姉さんがお嫁に行ったので、そこから毎日通っています。お父さんは每朝廣雄さんの新聞をお買いになります。廣雄さんはお父さんもお母さんもない子で可愛そうでしょう』
時計は三時を五分過ぎました。倉子は炬燵の中から暖めた柿を出しました。そうして、甘い汁をちうちうとすすりました。毬が細い目を開いて『にゃあ』と鳴きました。この柿は田舎のお婆さんがお送りになりました。お婆さんの田舎は北の方の雪国の薄暗い町です。倉子はその町で初めて、しゃべり出したのです。そうしてその最初の言葉は『柿』でした。寒い時であったに相違ありません。倉子はその事をお母さんからお聞きして、自分が歯の二つ可愛く生え出した頃の事を可愛く思いました。だがそれは思い出せませんでした。
『倉子や』
と突然呼びます。倉子は驚いて見回しましたが、思い出すと、それは懐かしいお婆さんの声です。でもそこにはお婆さんはいません。お婆さんは遠い北の寒い町にいるのです。汽車でがたがたと夜昼行って着くのです。陸橋まで行ったら、その停車場で汽車に乗って行くのです。行きたいなあ!
『倉! 倉!』
また誰か呼びます。今度はお婆さんの声ではありません。部屋には仔猫のほか生き物はいません。絵本の中のお嬢さんが呼んだのでしょうか、薔薇の花でしょうか、リンゴでしょうか、象でしょうか、熊でしょうか、蛙でしょうか、いいえ、絵本の中の烏が口を明けました。
『倉! 倉!』
懐かしい烏の声、それは確か倉子がもっと小さい時お婆さんの家の裏の柿の木で聞いた声です。それからそれへと倉子が東京へ出た前の田舎の景色が浮かんで来るではありませんか。
学校の傍の谷川は深く深く流れて、その橋の真中からお友達と川底に見とれていると、いつか橋は浮いて走り出します。『汽車だ! 汽車だ! 東京行きだ!』と言って騒いだのもまだ遠い昔ではありません。それなのに倉子一人が懐しいお友達と分れて東京へ来てしまいました。倉子には田舎が懐かしいのです。あの懸橋の下の磧には柳が生えていて、それが優しい柔かい葉を裏返しにして戦いでいました。崖を下りて磧で油石を拾ったり、石を積んだりした事が昨日のように判然と浮かぶではありませんか。
その思い出を懐しんで倉子は陸橋に行ったのでした。すると汽車は煙を吐いて倉子の田舎の方へ行く、その汽車を見送るのが倉子の今の楽しみでした。『お友達が欲しい! お友達が欲しい! 田舎のような懐かしいお友達と遊びたい!』
田舎の家には幻燈があって、方方から子供が集まって来ました。あの幻燈の画の美しかった事! お婆さんは豆煎をして下すった。写す最中に倉子の頭が大きく写った事もありました。悪戯ものの本二さんは狐の形を指で拵えて写しました。
本二さんのお父さんは馬方で、毎日磧の石を重そうに運送車に積んで町の方に行きましたが、帰りには鶏や卵を買って毛糸や本を買って来て、倉子も西洋の子供が表紙に書いてある手帳を二冊も貰った事がありました。晩には蚕が家中飼われて狭くなっているところで叔父さんは行司役になって本二さん達に角力をさせました。本二さんは直ぐに他の子供を打ち乱暴な子でした、その本二さんが今一番懐かしく思えます。本二さんのお父さんは鳥や鷲や馬などを切り抜く事が上手で、倉子もいつかそれを貰って来てお婆さんの囲炉裏端の障子に貼って置きましたら、障子は段々煤け、鳥も鷲も馬も真黒になり、それに夕日が差すと、燃え立った焼野を鳥と鷲が飛び馬が駆けているようでした。今頃あの囲炉裏端にはお婆さんがお独りで、糸を紡いでいらっしゃるでしょう。すると鳥や鷲や馬も夕日の中に燃え立っているかも知れない。
倉子のお母さんも田舎で野良仕事をしていられた時は涼しい声で歌を唄われました。都へ出てから倉子はお母さんの歌を耳にしないのも寂しゅう御座いました。つい先達お母さんが倉子を銭湯へ連れて行って下すった時、お母さんは湯槽の中で夢中で昔の歌を唄われました。その時居合わせた人達はみんなお母さんの方を見て驚いていましたが顔に笑みをたたえているのを見ると、倉子は急に恥しくなって顔を赤くしました。
色々と思い浮かべているうちに倉子は何時かうっとりして寝込みましたが、その時炬燵の上の毬がすっくと起き上がって背中をうねうねと伸ばし大きな欠伸をしました。そうして御本に前足をかけると毬は倉子に申しました。
『私は手品をご覧にいれましょう』
とその時表から留針工場からお帰りのお母さんの声がしました。お母さんは雪を払われ、コウトを脱がれて入っていらっしゃいました、『お母さん、お帰りなさいまし』
『お前眠っていたの? アラもう電気が点いているわ!』
今日は例より早く点ったのでした。倉子はびっくりしてぽっちりと目をむきました。いつ点いたのか知らなかったのです。それから間もなくお父さんもお帰りになったので、倉子はもう先刻から一人ぼんやりと考えていた事は忘れていました。
倉子はお父さんとお母さんと毬子とで夕食をおいしく頂きました。お父さんはお婆さんからのお手紙を黙って読まれていましたが、暗い顔中が一度に輝き出して仰いました。
『倉子! 田舎のお婆さんがとうとう東京にいらっしゃるよ』
倉子の心臓はどきッ! として倉子は夢中になって喜びました。お父さんはお母さんに『年寄も田舎は火事も地震もない、先祖様からの土地だからお前達が、帰って来なくても、わしは動かないと言っていられたが、倉子が可愛くて一人ではおられなくなったと書いてあるよ』
倉子は雪で真白の陸橋にお婆さんをお迎えする事になりました。