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3000字小説バトル

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3000字小説バトルstage3
第20回バトル 作品

参加作品一覧

(2017年 3月)
文字数
1
サヌキマオ
3000
2
アレシア・モード
3000
3
国木田独歩
2366

結果発表

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柘榴
サヌキマオ

 心臓を、命を失ったあたしは死ぬ。明日にでもすぐ死ぬ。

 「学校の勉強は役に立つのだ」と、学校にほとんど行かないあたしに言われても信用がないかもしれないが、二年前、中学生の時に実際にうすぼんやり聞いていた国語の授業の中にフレーズはあったのだ。昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、なんたらかんたら、今で云う隅田川のあたりに行っちゃう話。で、あたしは「いいことを聞いた」と学校に行かなくなった。顔は思い出せないけど国語の櫻井先生ありがとう。
 当時から己が身をえうなきものに思っていたのだった。要なきもの。いなくていいひと。学校にも、家庭にも、ついでにこの世にも(この辺りは突っ込んで考えちゃうと色々崩壊するので勘弁してほしい)。で、あたしことえうなきものが街を歩いていると「コロッセオ」というライブハウスがあって、赤黒い照明の観客席に要なきものがひしめいていた。要なきものに囲まれて見上げられて歌っていたのがヒロタ柘榴だった。この毛量の薄い、ところどころにメッシュを入れた歌う女と一緒にいたくて、あたしは足繁くコロッセオに通うようになった。観客は日を経るごとにどんどんと増えていって、この名前ばかり大きな小さな箱ではライブができなくなった。ヒロタ柘榴の掌に掬われる「要なきもの」は案外と多かったのだ。
 「高校に行くならば小遣いはやる」という親の言質を取り、コロッセオに向かうための軍資金目当てのつもりでなんとか高校に進学したころになると、彼女は深夜のテレビの画面に写っていた。TV局の中の人に世界観を勝手に想像されたテレビセットの中で、柘榴の2Hの鉛筆で掃いたような体の輪郭が、さらに小さく見えた。
 本当の価値なんてわかりもしない放送局が、勝手に柘榴をテレビの箱に押し込めちゃった。あたしはそう確信している。確信して、なんとかあのころの、コロッセオにいたころの柘榴を取り返せないかと思っていた。

「いやぁ、泣かせる。こういうの聞くと、アーティスト冥利に尽きるねぇ」
「ちょっと、黙って聞いていてくださいよ」
 取り返す前に柘榴は潰れてしまった。
 要なき私の代わりに要なき心臓を動かしてくれていたヒロタ柘榴は死んでしまった。自宅で死んでいるところを姉に発見されてしまった、という旨の文字列がスマホの画面に現れた。普段読まない新聞をほじくるように読んでもヒロタも柘榴も出てこない。コンビニに残っていたスポーツ新聞に、数行「若者に人気のミュージシャン死去」というような事が書いてあった。たった六行。こんなにあたしの「命」を小さく扱ってくれていいものか。
「そんな大したものじゃないのよ、私も云わば『要なきもの』だったのよ」
 おなじみ聖ペテン商会である。店の奥、レジの前、店長とあたしと、色の抜けかけたヒロタ柘榴。
「とにかく私のことを知ってくれている人がいるのなら話が早いや。ね、店長さん。早いところ、生き返らせてくれない?」
「だからさ」
 店長は心底面倒くさそうにもさもさと頭を掻いた。
「無理だっての」
「無理ってことはないっしょ。こうして霊は、死後の世界はあったんだもん。生き返る方法だってあるに決まってる」
「無ぇよ」
 店長は卓上のゴロワーズを一本取ると火をつける。私も、と柘榴が手を伸ばすが、指は紙巻をすり抜ける。
「この通りだ。一度精神と肉体が途切れてしまったらくっつくことはない。少なくとも、俺は知らない」
 あたしだってあんなに驚いたのに。
 例によって少々遅刻しながら店の戸をあけると、難しい顔をした店長を身体に半透明に透かして、ヒロタ柘榴が立っていた。途端に心臓がバクバクして、歯の根が合わない。こういう肉体の反応って自分の意識とは別のところで起こる現象なんだな。起こってみてはじめて判る。
「ああ、コロッセオに見に来てくれてたんだぁ、ありがとねん」
 そう云ってにこりとしたヒロタ柘榴と、
「ぶええええへえぇぇええぇぇぇ」
 こうして、顔中崩壊させて泣きじゃくるヒロタ柘榴と。
「じゃあ、どうしますかね、その、店長、柘榴ちゃんを」
「あんたも急にちゃん付け扱いかよッ!」
「いや、だってその」
「ああそうだよ! 正直テレビとか疲れたし、ちょっと自殺のフリでもしてみたら周りは心配してくれるかなーとか、アーティストとしてのキャラクター作りになるかなーとか思ったし! でもね、まさか死ぬとは思わないじゃん!」
 あーあ。
 この人、アホだなーと思った。思ってしまった。
「そうさなぁ」
 店長は柘榴ちゃんに向かって煙を吹きかけると、ぎりぎりとタバコを灰皿に押し付ける。
「おい小娘」
 柘榴ちゃんが返事をしないのを睨みつけると、店長は続ける。
「死んだものは生き返らねえし、だいたい誰にここの店のことを聞いてきたか知らねえけどよ、この業界はナマモノは扱わねえって決め式になってんの」
 それでも柘榴ちゃんの反応がないので、「あの、ナマモノっていうのは人間も含めた動物の魂のことね」と補足する。
「ナマモノを扱うのは宗教の領分だよ。きっと今頃、葬式かなんかやってんだろ?」
 葬式、という言葉にがばと跳ね起きた柘榴ちゃんは店長の首っ玉にしがみついた。
「そう! 明日葬式でね、火葬場で燃やされるの! 私がね。そうすると、もう戻れなくなる」
「いまだってもう戻れやしないさ」
「そんなこと……やってみなくちゃわかんないじゃない」
「自分でやってみたんだろ?」
「それで駄目だからここまで来たんじゃない!」
「他を当たっとくれ」
 次の瞬間のことはきっと一生忘れないだろう。人間、こんな悲鳴が出せるものなのだろうか。店の窓ガラスがびりびりと揺れて、微塵に弾け飛んだ。日陰の湿った風が渦を巻いて店の中になだれこんでくる。
 この悲鳴は私と店長以外に聞こえているものなのだろうか。少なくとも私の鼓膜に一生残るかもしれない傷跡を残して、ヒロタ柘榴の霊は掻き消えてしまった。

「ということもあったわねぇ」
「あったわねぇ、じゃないわよ。窓ガラスはきっちり弁償して貰うからね」
 井祝町西五丁目、子日公園の片隅にいつの間にか小さな祠が出来ている。あんな祠あったっけ、と訝しむ人もいたが、なにぶん祠自体に時代がついているので「昔からあった」と言われても否定しきれない空気がある。そりゃそうだ、わざわざ店長が岐阜の山中から神様のいなくなった祠を担いできて、夜中に据え付けたんだもの。
 一応お供え、と置いた缶コーヒーを「私ブラック派なんだけどな」と啜っているのは祀神のヒロタ柘榴、改め廣田柘榴姫命である。
 死んだ人はみんなカミサマ、という神道のルールに則ってこっそり神社も建ててしまう。普段であればこれだけのことをする人ではないのだが、あれだけ多くの人の心を救ったし、窓ガラスを割る(隣の家の窓ガラスも割れてた)ほどの力を持っているのだから、どこか世人を救う神として根付くかもしれない、というのが店長の考えだ。
「なぁ神さんよ、ここから先はお前さんの頑張り次第だ。神徳あらたかに、信仰を増やすことができれば神社も永らえるかもしれないが、要するに公園の不法占拠だ。怠けたら即座に役所が撤去しに来ると思え」
「私はえうなきものの神になる」と柘榴姫命は静かに云った。「えうなきものたちが辛さや悲しみを負うたびに、その基たる人類に災厄を齎そうぞ」
 とある町にあらたに生まれた神様の物語である。
柘榴 サヌキマオ

カオティーク
アレシア・モード

 春月の満たないうちに死んだから十三日は月の命日♪

 我ながらひどい歌です。自転車を押しながら、思わず含み笑いを漏らすアレシアさん。これでは夫も浮かばれません。死んで十何年経っていますが。
 前カゴのエコバッグの中には、蝋燭と線香、ライター、数珠を入れた墓参りセット、お花はいつものようにみのりや(近所のスーパー)で買い求めました。ついでに買った厚揚げと、菜ばな。これは夕食にいただきます。
 風は暖かく頬を撫でていきます。墓苑は裏の山のほう、田んぼと畑の続く道を少し登った先にあります。
 午後の陽射しを浴びる山並み――山と言うには少し低いのですが――不思議な色合いで私の前にあります。山は季節ごと、時間ごと、お天気ごと、その趣を変えます。殊にこの山は――杉や松の針葉樹、竹笹、団栗やら梅やら桜やらの広葉樹、そしてそれらの季節の花、その複雑な色の組み合わせは糢糊としたパッチワークの壁掛けを思わせます。歩くほど、山は次第に目の前に近づき、近づくほどにまた美しいのです。まるで息も荒げるほど、美しすぎて苦しいほど。
 なぜこんなに息苦しく、足さえ重いのでしょう。と気付いて道を振り返れば、いつの間にか家々を見降ろす高みまで登ってきていて、ふうっと転げ落ちそうになる。一体いつから山だったのか。こうした感じは海とは勝手が違います。海に入れば誰でもそれと分かりますが、山はどこから山だったか分からないまま、いつしか私は道を登っているのです。
 ああ怖い怖い。このアレシアさん、放っておけば山頂までも登ってしまいます。馬鹿なアレシアさん。でもなるほど山というのは上手く出来ているもので、眺めるばかりでなく登ればそこにも御利益はあるのです。例えば山の上には少し知られた厄除けの大きなお寺がありまして。いつも私は山門の前で疲れた足を休め、まずは額の汗をひと拭い、山門をくぐった横には湧き水があって、それを掬って喉を潤す、これがとても美味しいのです。石段を上がって進むと、護摩の香ただよう本堂からは鉦や太鼓の響きに合せ、僧たちの揃って詠唱する有難い真言の和声が聞こえてきます。ああこれが女人禁制の昔なら、私のような者が立ち入れば追い出されるような処なのかも知れません。率直に申せば、僧たちの中には、なかなかお美しい方もいらっしゃいます。名も存じ上げぬまま、その姿ばかりを覚えている幾名かの僧たちは、閉じられたお堂の中で今も声を上げておられるのでしょうか。
 ああ怖い怖い。このアレシアさん、また山に登ってしまうところでした。今日はお寺まで行くわけではありません。いま押して歩いている、この次第に重くなる自転車を思い出しましょう。その前カゴのバッグには、みのりや(近所のスーパー)で買い求めた仏花が、墓参りセットが入っているではありませんか。そう、私は墓参りに行くのです。そして厚揚げや菜ばなも入ったままなのですから、上まで登っていてはなりません。
 山の途中から、小さな集落を抜け、墓苑へと向かいます。道は山裾の上をくねくねと上ったり下ったり。上りにかかれば自転車を押して歩き、下りに入ればまた自転車に乗ってチェーンを鳴らしながら下るのです。楽ですが、でもいくら勢いよく下っても、そのまま次の坂までも登りきる事はできません。重力とはそういうものらしいです。
 マルポーも来たらいいのに、と思います。ただ自転車に乗るだけで、色々感じられる事もあるのにね。
 マルポーは息子の呼び名です。私は息子を幼い時分からそう呼んでおりますが、当人はそれが嫌いなようです。私は呼び方を改める気はありません。その事も嫌いなようです。
 ああまったく、息が切れます。墓苑はすぐそこです。最後の坂を押し登って、自転車を停めます。バッグを肩に家のお墓に向かいます。と、その前にバケツに水を汲みましょう。墓苑の名前がマジックで書かれた青いバケツを水場の足元に置き、水栓を開くと水はちろちろ流れ落ちます。
 厚揚げと菜ばなの煮浸しは――私の好物で普段は小松菜で拵えますが、これが菜ばなになれば春なのです。一人で食べるのも惜しい気がしてマルポーにも作ってやったりするわけですが――そもそも彼は私と一緒に食事をしません。いつも居る二階の自分の部屋で食べます。私は食事をお盆に乗せて部屋に運ぶだけです。それも食べてくれるとは限りません。彼は好きなものばかり食べて、他は残してしまうのです。
 実のところマルポーは、こんな年寄りじみた惣菜なんて口にしないのです。箸もつけずに下げられた煮浸しは、翌日のお昼にでも私が有難く頂戴するのでしょうが、まあ、まるで二階に仏様がもう一人居るかのようです。
 バケツの水が入りました。私は備え付けの柄杓をバケツに入れ、お墓へ向かいます。お墓の脇にバケツとバッグを下ろし、供台から湯呑みを下げ、左右の花立てから古い花を下ろします。ステンレスの花筒から花を抜いて傍らに置き、両手に湯呑みと花筒を持って水場に戻り、これを洗って新しい水を満たし、またこぼさないようお墓に戻る。一人だとこうなります。最初の頃は何度も行ったり来たりしたものですが。さて墓石を洗いましょう。
 バケツから水を掬い、まだ艶やかに光る白御影の墓石に水を少しづつ掛けながら、手で撫でこすります。アルミの柄杓は石に触れるたび軽い音を響かせます。流した水を掌で広げるように撫で洗っていくと、滑らかな石の肌からは春の陽の温かみが感じられます。左の奥を洗う時は指輪の当たるのが気になります、石が傷まないと良いですが。
 一通り洗ったのでお花を供えます。花筒を花立ての丸い穴にすぽんすぽんと収め、買ってきた花のセロハンを外して左右に飾ります。白と黄色の小菊、紫のストック、カーネーションはピンクの斑入り。地元の農家で作ったのでしょう。水鉢にきれいな水を注ぎ入れ、墓参りセットから蝋燭を、蝋燭立ての中に収めて火を点します。線香の束をそっと炎の先にかざして火を移します。手元で円を描くように振って線香の炎を消すと、香りが辺りに漂います。よしよし。これを線香立てに供えますが、灰を落とさぬようにと思うと妙に緊張します。ああ、蝋燭立てに風防をかけないと。
 墓碑には代々の名前が刻まれておりますが、存じ上げているのは夫とそのお母様ぐらい、あとは話に聞いただけの、正直よく知らない皆様です。それでも私はこの墓に入りたいとは思っています。山の眺めも好きですし。でもね。
 私が死んだら、マルポーはここへ参ってくれるでしょうか。そしてマルポー自身は。夫も、そのお父様にも兄弟はありません。いまこの墓にまつわる人は、私とマルポーしかいないのです。

 帰りは概ね下りになるので、自転車で楽に戻れます。本当に楽、圧倒的な力に引かれ、自転車は私を乗せてぐうんと加速するのです。ブレーキを絞り続けてスピードを抑えますが、きゅるきゅる、きゅると鳴るその音のまあ無様なことよ。まさにゴムも擦り切れんばかりです。あるいはワイヤーでもばつんと切れれば、私は自身を止められないまま田んぼ道を飛び出して、刹那の青空を瞼に焼きつつ、涸れた水路に頭から落ちるのでしょうか。私は冷たいコンクリートの水路の底で意識を散らし、その傍らには今晩食べるはずだった、厚揚げと菜ばなが外に飛び出し、土に汚れて転がっているのでしょうか。
 ああ怖い怖い。
カオティーク アレシア・モード

初恋
今月のゲスト:国木田独歩

 僕の十四の時であった。僕の村に大沢先生という老人が住んでいたと仮定したまえ。イヤサ事実だが試みにそう仮定せよということサ。
 この老人の頑固さ加減は立派な漢学者でありながらたれ一人相手にする者がないのでわかる。地下(じげ)の百姓を見てもすぐと理屈でやり込めるところから敬して遠ざけられ、狭い田の畔(くろ)でこの先生に出あう者はまず一丁前(さき)から避(よ)けてそのお通りを待っているという次第、先生ますます得意になり眼中人なく大手を振って村内を横行していた。
 その家は僕の家(うち)から三丁とは離れない山の麓にあって、四間(よま)ばかしの小さな建築(つくり)ながらよほど風流にできていて庭には樹木多く、草花なども種々植えていたようであった。そのころ四十ばかりになる下男と十二歳になる孫娘と、たった三人、よそ目にはサもさびしそうにまた陰気らしゅう住んでいたが、実際はそうでなかったかもしれない。
 しかるにある日のこと、僕は独りで散歩しながら計らずこの老先生の宅のすぐ上に当たる岡へと出た。何心なく向こうを見ると大沢の頑固老人、僕の近づくのも知らないで、松の根に腰打ちかけてしきりと書見をしていた。そのそばに孫娘がつくねんとして遠く海の方をながめているようである。僕の足音を聞いて娘はふとこの方へ向いたが、僕を見てにっこり笑った。続いて先生も僕を見たがいつもの通りこわい顔をして見せて持っていた書(ほん)を懐へ入れてしまった。
 そのころ僕は学校の餓鬼大将だけにすこぶる生意気で、少年のくせに大沢先生のいばるのが癪にさわってならない。いつか一度はあの頑固爺をへこましてくりょうと猪古才なことを考えていた。そこで、
『先生今読んでおられたのは何の本でございます』とこう訊ねた。
『何でもよいわ、お前またそれを聞いて何にする』と、力を込めた低い声で圧しつけるように問い返した。
『僕は孟子が好きですからそれでお訊ねしたのでございます』と、急所を突いた。この老先生がかねて孟子を攻撃して四書の中でもこれだけは決してわが家に入れないと高言していることを僕は知っていたゆえ、意地わるくここへ論難の口火をつけたのである。
『フーンお前は孟子が好きか』『ハイ僕は非常に好きでございます』『だれに習った、だれがお前に孟子を教えた』『父が教えてくれました』『そうかお前はばかな親を持ったのう』『なぜです、失敬じゃアありませんか他人の親をむやみにばかなんて!』と僕はやっきになった。
『黙れ! 生意気な』と老人は底光りのする目を怒らして一喝した。そうすると黙ってそばに見ていた孫娘が急に老人の袖を引いて『お祖父さん帰りましょうお宅(うち)へ、ね帰りましょう』と優しく言った。僕はそれにも頓着なく『失敬だ、非常に失敬だ!』
と叫んでわが満身の勇気を示した。老人は忙しく懐から孟子を引き出した、孟子を!
『ソラここを読んで見ろ』と僕の眼前(めさき)に突き出したのが例の君、臣を視ること犬馬(けんば)のごとくんばすなわち臣の君を見ること国人(こくじん)のごとし云々の句である。僕はかねてかくあるべしと期(ご)していたから、すらすらと読んで『これが何です』と叫んだ。
『お前は日本人か』『ハイ日本人でなければ何です』『夷狄だ畜生だ、日本人ならよくきけ、君、君たらずといえども臣もって臣たらざるべからずというのが先王の教えだ、君、臣を使うに礼をもってし臣、君に事(つか)うるに忠をもってす、これが孔子の言葉だ、これこそ日の本(もと)の国体に適う教えだ、サアこれでも貴様は孟子が好きか』
 僕はこう問い詰められてちょっと文句に困ったがすぐと『そんならなぜ先生は孟子を読みます』と揚げ足を取って見た。先生もこれには少し行き詰まったので僕は畳みかけて『つまり孟子の言った事はみな悪いというのではないでしょう、読んで益になることが沢山あるでしょう、僕はその益になるところだけが好きというのです、先生だって同じことでしょう、』と小賢しくも弁じつけた。
 この時孫娘は再び老人の袖を引いて帰宅(かえり)を促した。老先生は静かに起ちあがりさま『お前そんな生意気なことを言うものでない、益になるところとならぬところが少年(こども)の頭でわかると思うか、今夜宅へおいで、いろいろ話して聞かすから』と言い捨てて孫娘と共に山を下りてしまった。
 僕が高慢な老人をへこましたのか、老人から自分の高慢をへこまされたのかわからなくなったが、ともかく、少しはへこましてやったつもりで宅に帰り、この事を父に語った。すると父から非常にしかられて、早速今夜あやまりに行けと命ぜられ長者を辱めたというので懇々説諭された。
 その晩、僕は大沢先生の宅を初めて訪ねたが、別にあやまるほどの事もなく、老先生はいかにも親切にいろいろな話をして聞かして、僕は何だか急にこの老人が好きになり、自分のお祖父(じい)さんのような気がするようになった。
 その後僕は毎日のように老先生の家を訪ねた。学校から帰るとすぐに先生の宅へ駆けつける、老人と孫娘の愛子はいつも気嫌よく僕を迎えてくれる。そして外から見るとは大違い、先生の家は陰気どころかはなはだ快活で、下男の太助はよく滑稽(おどけ)を言うおもしろい男、愛子は小学校にも行かぬせいかして少しも人ずれのしない、何とも言えぬ奥ゆかしさのあるかあいい少女(おとめ)、老先生ときたらまるで人のよいお祖父さんたるに過ぎない。僕は一か月も大沢の家へ通ううち、今までの生意気な小賢しいふうが次第に失せてしまった。
 前に話した松の根で老人が書(ほん)を見ている間に、僕と愛子は丘の頂の岩に腰をかけて夕日を見送った事も幾度だろう。
 これが僕の初恋、そして最後の恋さ。僕の大沢と名のる理由(わけ)も従ってわかったろう。