高野の火
今月のゲスト:高浜虚子
神谷の宿の花屋の裏座敷に大きな欠伸をして仰向にふんぞり返ったのは三輪才兵衛である。
「弱ったな。いつになったら晴れるのだろう」と暗い軒から空を見上げた。秘密の山と言われる高野山の茂はすぐこの軒端から際限も無く続いて、縁鼻の柱から二尺と離れていない処に突立っている一本の大きな杉の幹には枝から伝うた雨水の流れが小さい蛇のように黒くうねって居た。
「仕方が無い、今夜は此処に泊るとせねばなるまい」と観念してまた一しきり降り募って来た雨の梢を見詰めて其儘うつらうつらとなった。
この時不動坂の泥濘った路を馬を追い追い降りて来たのは馬方の平作爺であった。蓑の下におし包むように隠していたのは燈明堂の貧の一燈の灯を移した一束の線香であった。これは花屋の女中衆に頼まれて、この大雨にも濡さぬようにと、坂路に辷る馬を叱りながら心はこの線香の火に取られていた。
花屋のお留は昨日から頭が重いって言って欝いでいた。
お留の朋輩は平作の呉れた高野の火でお留の背中に細い煙を立てた。高野の火は白い皮膚を黒く焦した。
才兵衛がある物音に眼を覚した時、お留は枕許の障子を明けて晩飯を運んで来た。お留の顔は生れ代ったように晴々としていた。
「今の音は何かね」
「トロッコですよ」
「トロッコ?」
「ええ、このお山の木を伐り出す為に毎日何十台となく卜ロッコが通ります。すぐその縁の先の処にレールが通って居ります」
「いつの間にか天気になったね」と才兵衛は縁端に立った。トロッコはまた続け様にすぐ目の前のレールの上を過ぎ去った。四五間の大きな材木が何十本となくその上に積まれてあった。
「昨日からの雨で休んでいた為に、お天気になってから続け様に通りますこと」と晴々とした峰を見上げた。
「姉さんは東京らしいね」
「ええ」
「どこをどう流れてこの高野の山の、昔は近松の浄瑠璃に浮名の立ったこの神谷の宿に流れついたのか、その身の上話を聞かせて呉れないか」
「オホホ、大変ですね、調子に乗った文句かなんかで。此家へお泊りになる方はよくこんな事仰しゃいますの。やれ高野の坊様が毎晩下駄穿きでお通いになるの何のと。それは昔のお話でしょう。今は御覧の通り大概中食のお客様ゆかりで、たまにお泊りになるのは土木のお役人様か、旦那のような物好なお方くらいのもの」と才兵衛が差した盃にお留はなみなみと受けてお山の底の夕焼が森を通して障子に映ったのを振り返った。
翌日才兵衛が花折坂にかかった時、
「御免遊ばせ」と嬌かしい声をかけて後ろから追いついた一挺の山駕には昨日にも増して仇めかしくお留が躰を斜にして乗っていた。
「おやお前も登るのかい」
「はい一寸」と会釈して「またお山でお目にかかりましょう」と美しい白い歯を見せたと思う間も無く駕はもう才兵衛を駆け抜けて前を走った。
常住院の源蔵阿闍梨は今日も衣の袖をたくし上げて意馬心猿に鞭をうちつつ峰から峰へと駆けっていた。今このお山に阿闍梨と名のつく難行苦行の修行者は、十二年籠山の飛雲阿闍梨が蓮華谷の高野豆腐つくる家の娘に恋をして麓の里に追われてから、七十三の寂然阿闍梨と、今年三十一になる血気盛りの源蔵阿闍梨の二人ばかりとなった。
高野山大塔の周囲に八つの峰があってそれが八葉の蓮華に似ている、といって昔から高野の坊さんは誇っていた。その八朶の峰を一千遍雨の日も風の日も欠かす事なく廻るのを回峰行と称えて阿闍梨の苦行の一つになっていた。源蔵阿闍梨は去年の春の、松に藤波の掛った頃から一年足らずの難行に肉落ち骨立ちて恐ろしい相形を十日に一度位高野の町に見せる事もあったが、この頃はそれもふっと絶えて、万年草、珠数売る家の町人等にはその安否さえ判らなかった。
けれども阿闍梨は生きていた。そうして晴れた時は白雲、曇った時は雨雲と共に峰から峰へと駆けっていた。
ある時お留が嶽弁天にお詣りをして、あの峰から彼のトロッコは下して来るという茂りに茂り聳えに聳えた高野の森から、吉野、大峯の峯々に眼を放って、疲れた眼を足許に休めると、お留の穿いている草履の前には熊笹交りに小さい躑躅が咲いていた。そうして一つの色の薄い蝶々がその躑躅に止まっていた。お留の草履がその躑躅の傍にある石を一寸蹴ったら、蝶は躑躅を放れて空に飛び、石はころころと足下に落ちた。その石の落ちた当りを高野の町と心当てにお留は眺めた。其処へ現れたのが峯の霞にしめった衣の袖をたくし上げて頬髯の伸びた恐ろしい面をした源蔵阿闍梨であった。阿闍梨の心の狂い始めたのはこの時からであった。お留の心もまたこの時から不思議に動いた。
その時以来源蔵阿闍梨の姿は高野の町には見えなくなった。馬方の平作爺が馬を追い追い花折坂を登る時、女人堂の後ろから兎の渡る細道伝いに駆けずり降りる阿闍梨の姿を見る事もあった。
才兵衛が仏法僧の声を聞きに燈籠堂の裏側の縁に腰を掛けた時、一人の人影が闇の中から出て同じく縁に腰を掛けた。この人は高山植物を研究に、殊に高野苔と名のつく苔を研究の為にもう暫く山上に逗留しているのだと言った。この植物学者も今宵は仏法僧の声を聞きに来たのだと云った。やがて二人は朽木を引き裂くような殺気を帯びた䴎鼠の声も聞いた。御廟の遥か後ろの森の中に黄金の鉦を鼓らすような仏法僧の声も聞いた。それから二人は十八町の奥の院道の物凄い石塔の間を通って帰った。その途中の話の中にこんな一節があった。
「謡曲の高野物狂や、近松の万年草などの中に真暗な一頁を入れたなら今夜の挿絵になりますね」
「燈明堂だけ白く抜きますか」
「仏法僧の鳴声は変わっていますね」
「高山には何処にもいます」
「貴方にとっては高野苔の方が珍しいでしょう」
「左様」
お留は松の根方に腰を掛けて、
「源蔵さん、情死しましょうか」
「情死とは?」
「じれったいのね」
「雲間から悪魔が己をつかみに来る」
「つかみに来たっていいじゃありませんか」
「二十年の修行が徒になる」
「源蔵さん。駆落と極めましょうか」
「駆落とは?」
「本当にじれったい人ね」
「あれは己を責に来る法鼓の音か」
「どれ? あの音。あれはトロッコの音よ。そうだ、源蔵さんトロッコに乗りましょう」
「トロッコとは?」
「何でもいいのよ。トロッコが厭ならその法鼓とかでもいいわ。さあ二人であの峯まで行って乗りましょう」
才兵衛と植物学者は高野を降りた時、トロッコが転覆して男女二人の死骸が山腹に横たわっていると聞いて見に行った。それは源蔵阿闍梨と花屋の留との死骸であった。二人は人の居ぬ間を見すましてトロッコに乗って高野を斜めに風の如く飛んだ。そうして瞬く間に死骸となって横たわった。
平作の馬に二人の死骸は載せられた。馬の絆を取った平作は、南無大師遍照金剛と高声に称えた。
同じく南無大師遍照金剛と称えて所謂高野のはり道を上り下る善男善女は多かった。一団の下向人は手に手に線香の束を持って高野のお火を家土産にした。この中には九州、北海道から来た人もあった。中には一度大阪まで帰って折角の火が消えた為にまた遥々と再び登山した人もあった。
(明治四十三年十月)