デモンドライバー
アレシア・モード
歌えよ、ミューズ! 我が怒りを!
我は知る……エアコンの、内に潜みし悲しみを。涼風に、交じりて聞こゆ慟哭を。その声は、生まれは悪魔の身と云えど、年端も行かぬ子供らの、救いを求む嘆きなり。
幼子を母の腕より引き剥がし、闇の底にて虐げる、科学の非道を明かさんと、まずは彼らに課せられし、辛き労苦の姿から、ことのはじめと吟じよう……
エアコンの中にある、時と空間を超越した作業場。そこでは数十人の小さな姿が、果てしれぬ流れ作業を懸命に続けていた。
見たところ、彼らはみな子供だ。ただ、その肌は赤黒く、頭には二本の角が覗く。垂れた尻尾は、床近くで力なく揺れていた。子供らはその技能と、彼らを管理する工場長の名前に因んで『マクスウェルの悪魔』とも呼ばれていた。
幼い彼らの目の前に、ごろごろと流れ続けるのは『熱の川』だ。その実体は空気の分子……窒素、酸素、二酸化炭素……勢いつけて転がる無数の分子の球の流れだ。子供らは、この熱くて重い球を、規則通りに選別していた。すなわち高い熱を帯びた分子があれば、素早く手で掴んでは回収レーンへ落とすのだ。この工程を大勢で回すことで、部屋の空気は熱い空気と冷たい空気に分別される。これがエアコンの原理だが、子供らはそんな仕組みは知らないし、知る必要すらなかった。彼らの頭の中は、ただ眼の前の作業だけで一杯だった。焼けた指先が痛んでも、時に勢いづいた球の間にその指を挟まれても、作業の手を休めることは許されない。ここでは、工場長マクスウェルと、その指示を伝える表示板だけが絶対の掟であった。
電鈴の音が短く三回、構内に響き渡った。子供らは頬を強張らせ、反射的に顔を上げ、正面上方の表示板へと目を遣った。そこには大きな文字で2と6の数字が点滅している。目標温度が26度に下げられたのだ。これはもちろん作業の増大を意味する。数字は五回点滅し、画面表示は作業達成率へと戻ったが、もうその時には子供らは、みな何事も無いかのように自分の作業を続けていた。追い立てられたその手の動きが早まる。だが表示板のグラフ……達成率の曲線は上下にふらつき、平行線を維持するだけで精一杯だった。やがてグラフは下降の兆候を見せ始めた。
『ああ、ああ。だめじゃ、だめじゃ!』
突然、マクスウェルの枯れた声がスピーカーから流れた。
『これじゃ、いつまでたっても目標は達成できぬわ』
工場長マクスウェルは、二階にある管理室の窓から、常に子供らの作業を見ているのだった。
「ふん、みんな、だれておる」
マクスウェルは嘆息しながら、なぜか楽しげにマイクを置いた。
「もう少し、やる気を見せて貰わねばな……」
マクスウェルの手が操作卓のダイヤルへと伸びた。これは彼が発明した、電磁波発生装置である。マクスウェルの唇が、深い白髭の奥で微かに歪んだ。
「ほい」
マクスウェルがダイヤルを右に廻すと、構内の子供らが一斉に、きゅうううという甲高い声を上げた。マクスウェルの発する電磁波は、悪魔たちの頭の中に作用して苦痛を与え、彼らを支配するのだ。彼はこの研究でノーベル経済学賞をも受賞していた。
「うふ、うふふ」
マクスウェルは愉悦の笑みを浮かべながら、ひとぉつ、ふたつとゆっくり数え、三つ数えた所でダイヤルを元に戻した。
構内から溜息のような声が幾つも漏れる。
「うむ、楽になったかな。よしよし、みんな良かったな。さあ、また仕事に精を出そう」
子供たちの心は、抗し難い苦痛からの開放を、一時的な『報酬』と感じるまでになっていた。これをモチベーションとして作業を継続させることにより、マクスウェルは実際に何ら報酬を与えることもなく、局所的に作業のポテンシャルを高めることに成功したのだった。
「これぞ、マクスウェルの方程式! 我ながら素晴らしい才能じゃ……」
『そうして悪魔たちを酷使し、私腹を肥やしていたのね。ドクター・マクスウェル……』
「なにっ、何者じゃ」
マクスウェルは窓に顔を寄せ、構内を覗った。謎の声は構内のスピーカーから流れている。
『エアコンの中では捕まった悪魔たちが、泣きながら空気を冷やす仕事をさせられている! 悪魔たちの給料は一日たった一本のキュウリの魂だけ! エアコンの発明者J・C・マクスウェルは悪魔たちが逃げたりサボったりしないよういつも観測している! 恐怖心を植え付けるため時々無意味に電磁波を与えたりする!』
子供たちもすっかり手を止め、辺りを見回している。
『悪魔のほとんどは子供で、お父さん、お母さんに会いたいようといつも泣いている! 睡眠時間もほとんど与えられず、逆らうとキュウリを減らされる! こうして人件費を大幅に抑えることで、エアコンは安くて涼しい風をみなさんに提供できるのです!』
「ば、馬鹿を言うな! 貴様は誰じゃ、姿を現せ!」
「ここよ、ドクター・マクスウェル、科学を悪に使う者め」
作業表示板に三方からスポットライトが当たる。その上には右目を眼帯で覆い、ハンチングを被った女が一人。
「むうっ、お前は確か、最近雇ったおかしな運転手の、えっと、誰じゃあ、お前は!」
「ふっふっふ……あーはっはっは! ある時は片目の運転手、ある時はアラブの運転手、またある時はニヒルな運転手……而してその実体は! とおっ」
ジャンプした女の体が光に包まれ、神秘のシルエットが肢体を伸ばす。輝くパーティクルとともにアイテムが飛び出し、くるくる回る色彩の中でドレスがポンッと花開くや、流れる髪が拡がったりカールしたりして、それからえっと、ハートのブレスレットが輝いて、そんでもって、銀の剣を構えた美少女戦士がすくーと立った。
「愛の運転手、アレシア・モードさ! はい、♪シャン♪ラン♪ラランラ、♪シャランラン、どどん、ウワーオ!」
「あのお、それ古すぎです……」
「愚か者め、わしは全ての悪魔を電磁波でコントロールできるのじゃ。いでよ、魔将軍ヒドー、妖元帥ザンコック、魔先鋒サイアーク、三人であの美少女戦士を八つ裂きにするのじゃ。一人およそ二裂きと七分目じゃ!」
「アラホラサッサー!」
「あのお……」
「何よ、さっきからうるさいわね」
「それ……いつまで続くんですかあ、アレシアさん」
助手席の馬鹿が何やら縋るような目で見つめてくる。右手に団扇、左手にアクエリアスのボトルを握るその姿は、何かを置き忘れたまま大人になったらしい彼には似つかわしく見えた。真夏の陽射しの中、車は渋滞に嵌っていた。
「文字数が埋まるまでよ。違うわ。違うのよ。私は君に伝えたかった。エアコンの非人道性を、私がなぜエアコンの使用を躊躇うのかを。これが君への愛よ。惚れ直したかな」
「この暑さで渋滞で車でエアコン使えない方が非人道的です……て言うか、躊躇ってるんじゃなくて壊れてるんでしょ、エアコン……」
「ああ、これだから(馬鹿は困るんだ)。壊れてはいない。私のアホのヴィータちゃんは毎年ガスが抜けてるだけさ。まあ今年は入れてもいないけど」
「入れてくださいよー。走ってる間はまだしも、止まったら僕死んじゃいますぅ」
馬鹿とは言え、死なれてもまた困る。団扇と足をじたばたさせて子供のように駄々をこねる馬鹿。エアコン駄目なの知ってるなら、最初から私と車に乗らなきゃいいのに。とか言うのは可哀想か。
「ああ、ああ、わかった。日が暮れるまでどっか良い処で休みますよ~」
「うわーい♡」