Entry1
ひとの哭きかた
サヌキマオ
引酉優子は演劇部らしからぬ演劇部である、というとみんなどういう想像をするのだろう。正解は、背が低くで眉毛の太い、骨太なしっかりした女子である。しっかりといえば父親譲りの眉毛も特徴で、たっぷりと長く伸ばした濡れ羽色の黒髪をそこそこ大事にしている。そういえば昔、中学に入る際には髪の毛を切らなくてはならないかもしれないと小学校の担任に言われて、それだけで登校拒否になりかけたこともあった。結局は担任のつまらない(そして救いがたい)冗談で、髪の毛は切らずに済んだのだが、自分の美しいところはきっと髪の毛しかないだろうという意識が当時からあったのだろう。高校生になった今ならわかる。
「え、私ですか?」
優子はどぎまぎとして、無意識にあたりの友達に助けを求めていた。同じ学年の蘭ちゃんは「なんとかせい」という顔でこっちを見ているし、恵里ちゃんはかばんを背負おうとしていてこちらにまったく気づいていない。高校から演劇部に入ってきた……呂畑さん、だっけ? とはまだ話したこともない。そのうしろの眼鏡の人は名前さえわからない……と、それどころじゃなかった。墨家青子先輩。高校三年生。みんなの憧れ。その墨家センパイから声をかけられたのだ。
「そうだけど、迷惑?」
「いや……あの、なんでしょう?」
「あなた、恋愛映画とか、観る?」
映画。
「いや、映画じゃないの。『恋愛』映画。だって、見そうな顔してるもの」
「それ、どういう理屈ですか?」
「じゃあ、はずれ?」
優子の視界の端で蘭が吹き出しそうになっている。えーと、映画。映画。
「観ます。案外、好きです」
「でしょう。だから引酉さんになんかすごい、女優が泣く映画を、いくつか教えてほしいの」
墨家先輩はそれだけいうと、一週間くらいかけていいから、いいのを見繕っておいてね、と云ってそのままホールを出ていってしまった。いいとこ見繕って、ってお寿司屋さんじゃないんだから。
ああ、すっかり忘れていた。ここは萬歳学園のホール。いままで演劇部の部活動をしていたところだ。「一度見た月は忘れない」という、恋愛モノ。つまり、ラブロマンスの稽古をしている。そしてこのラブロマンスは、今度の地区の発表会に出す予定の舞台だ。
「じゃあそれだよ。墨家センパイ、泣いたことなさそうだもの」
蘭ちゃんがしたり顔で云う。麻実蘭。去年まで中学演劇部の部長だった女だ。たしかに墨家センパイの役は、三角関係の末に恋が破れてしまう方のヒロインの役だ。
「役作り、なのかな。だったらネットでもなんでも、評判の良さそうなものから観るんじゃないの?」
「そうか、そうかもしれない」
「あ、でも」優子が納得仕掛けたところで恵里が口を開く。乙恵里。彼女と蘭と優子の三人で、中学の時からずっと演劇部のメンバーだ。
「おそらくね、墨家先輩のことだから、そういうの、いっさいがっさい全部見て、まだわからないから人に聞いて回ってるんじゃないかしら」
「えっ」
恵里にはこうやって、一言で場の空気を変える力がある。優子はずっとそう思っている。
今回の場合は、随分目利きのハードルが上がってしまった。
「じゃあ駄目じゃん、中途半端にメジャーな作品を持っていったら『もう観た』って云われちゃうわけ?」
「そうかもしれない」
「え、だって、だとしたら私なんてそんなに、そんなにマニアと云うほど知らないよ。映画なんて」
「大丈夫だよ大丈夫」蘭は随分あっけらかんと云ってくれる。「こういうときはセンパイを信じたらいいんだよ。あの人がなんの考えもなくヒクトリにこんな話を振ってこないって」
「でも、でもさ」優子は息巻いた。「なんで、先輩は私が映画好きなの、知ってるんだろう?」
「そりゃあ、私が云ったからね」
「お前か!」
優子は蘭の頭を掴むと思い切り振り回した。はひゃひゃひゃひゃ、と当人は笑いながら逃れてホールの壁に激突する。
「いやでもきっと、墨家センパイ、きっと悩んでるんだよ」
もうとっくにいなくなっているはずの「センパイ」の姿を目で探りながら蘭は云った。
「顧問にあれだけ駄目を出されたことも、本人はないんじゃないかな?」
私は泣いたことがない、というと歌謡曲的に大げさなのだが、墨家青子には泣いた記憶がない。
きっとどこかで泣いているのだろうが、最後に泣いたのはいつですか、と問われると、答えようがない。
高三になって、もう部員としての引退も近くなって、さんざん「役が憑依するタイプ」と云われてきた。普段からそう云われていると本人もそんな気になってくる部分もあるのかもしれないが、少なくとも青子にとっては「憑依している」のではないと声を大にして云うことができる。
「憑依している」のではなくて「識っている」のだ。
こういうパターンやこういう文脈においては、人はこういう行動や表情をする。そのパターンを、覚えているだけなのだ。
覚えていれば、頑張って再現することができる。うまく再現できれば楽しいし、それでお客さんに伝われば「うまくコピーできた」と思う。
それで、中学一年生から五年間、ずっとやってきたのだ。
なんで今さら駄目を出されなきゃいけないんだろう。
一週間経って優子が青子先輩に教えた映画は、優子が幼稚園だったころに公開された恋愛作品だ。優子もインターネットで勧められていてレンタルしたのだったか、中学生の頃からの親友の二人が、落研の先輩を巡って三角関係を繰り広げている。
起用されている女優さんも、今では平気でヌード出演するような女優さんだ。計算すれば、この映画に出ていたときにはちょうど今の部員たちくらいの年代のはずだ。
テレビの画面に大写しになる号泣。たしかに「なんかすごい、女優が泣く映画」だ。青子先輩が出した条件は満たしている。
青子は目を閉じて、深呼吸して、自分の顔をイメージする。ぐっ、と力を込めて顔を変化させる。顎の筋肉が横に広げつつ、眉根がぎゅっとする。で、涙を――このあたりが苦手なんだよな。涙は自由に出せるほうだけど、こらえきれないほど出るわけじゃない。ここで一旦己をフリーズさせて、手探りでスマホを操る。撮れた写真を見ると、まぁだいたい、一時停止したテレビの画面の顔に似せられている。……もうちょっと目力があったほうがいいかな。口も想像以上に歪めても、いいかもしれない。それで、
「 」
渾身の力を込めて哭く。
かなしいシーンだ。どんなに手を尽くしても願いの叶わなかった女が、哭くところだ。
優子もわりと誇らしくはあったのだ。自分の勧めたものが役に立ってよかったなぁ、くらいには。
発表会の会場は、爆笑の渦に巻き込まれた。
役者たちに動揺が走る。普段の練習では笑いの起きようもない場面。しかも青子センパイの渾身の泣きが――
客に恵まれなかった、というか。
人は真剣であればあるほど傍から見る人の笑いを引き起こす。そういうコメディやコントだっていっぱいあるじゃない。だとしたら、会心の演技だったんだよ、きっと。
「ねえ、あの映画の花の泣くシーンさ、引酉さん、笑えなかった?」
「えっ?」
優子は何を問われたのかもわからずにきょとんとする。青子先輩は
「ううん、なんでもない。映画、ありがとね」
と言い残すと、また風のように去っていってしまった。
そんなに笑えるところだったかな。家に帰ったらストリーミング配信を探してみようと、優子は思う。