Entry1
あじましでお先生追悼特別番組「箱の中からはるばると」
サヌキマオ
学校からの帰り道、アスファルトの真ん中にコンドームの箱が落ちていた。鯨出ミチルも世間一般の男子学生と同じように、コンビニで「0.01mm」なんて表記を見るたびに人知れず心拍数を上げたりしていたのだが、今だったらその未知の興奮を自分のものにできるかもしれない。穏やかな土曜日の昼下がりだ。あたりに誰もいないのを確かめて箱を拾うと学生カバンに押し込んだ。口が乾く。
家に帰る。家は一軒家で、両親と姉と住んでいる。父親も母親も別々に仕事だし、姉は演劇部とかで夜遅く帰ってくるし、今は誰もいない。ガスコンロの下の戸棚からカップ焼きそばを引っ張り出して早々に腹を満たしてしまうと、ミチルは部屋に戻って、念のため鍵をかけた。制服を脱いで雑に片付けると、カバンから例の箱を取り出してみる。
?
箱に少し違和感を感じないでもなかった。見たことのあるデザインには違いないが、たしか、コンビニに売ってるやつってなにかビニールで包まれていなかったっけ?
しかしそんなことはどうでもいいのであった。はじめて実際に触る、性の道具だ。▼のマークの付いた箱の縁からビッと開けると、一斉にピンク色の煙が吹き出した。
「じゃじゃじゃじゃーん」
間の抜けた声のあとで煙が段々とおさまってくると黒髪の、豊かな胸を蓄えた全裸の女の姿が現れる。
「なっ……!?」
女は「やっと出られたあ」と大きく伸びをすると、辺りをぐるぐると見回して、床にへたり込んでいる少年に「あ、君かぁ」と安心したような声をする。
「話せば長くなることなので話さないんだけと、ぶっちゃけると、願いを百個言って。ほれ、今すぐ言え」
ミチルを見下ろしてくる女の胸元で、柔らかく色づいた乳首がぷるん、と揺れる。
「ま、とりあえず十発やろう? ね?」
「だから早く願いを言えって言ってんだよこの野郎!」
ミチルは汗だくでへたり込んでいる。ティッシュでぞんざいにくるまれたコンドームがみっつ転がっている。
「さっきから云ってるじゃないですか! 百万円欲しいって!」
「莫ッ迦オマエ、アタシに銀行かどっかから百万ぶんどってこいっていうわけ? できるわけ無いでしょ!」
「じゃあ何ができるんですか!」
ミチルにデボゲラなんちゃら(通称クロシェ)と名乗った女は両手の指で乳首を抑えると、
「エ・ロ・い・こ・と」
とにっこり笑ってみせる。
「だからもう三回もやったじゃないですか!」
「だからよぉ、おめえそれでも学生かよー。三発くらいで音を上げやがって。あと九十七回だよ! あと九十七回あんたの願いを叶えたら、あたしは開放されるんだから」
クロシェはぬらっ、と寄ってきてミチルの腰に頬ずりしようとする。
「ほら、こんなにきれーなおねーさんを一日三発、あとえーと、二十日くらい好きにして」
「あーーーっ!」
「なによいきなり叫んで」
「姉貴が帰ってくる!」
「なによ、姉貴? あんた、お姉ちゃんいるの?」
「そうだよ――まずいじゃん、これ、このままおねえさんをうちに置いておくわけにいけないんじゃん!」
急に顔面蒼白になってうろたえるミチルにあっけにとられていたクロシェなんちゃらだったが、だんだんとニマニマし始めた。
「ま、こうなったら仕方ないよ。えっとあんた」
「ミチルです」
「じゃあミッチー」
「みっちー!?」
「こうなたらしょうがない。正直にお姉ちゃんに言うんだ。僕はこのお姉さんの封印を解いてしまったばかりにあと九十七回セックスをしなければなりません、って」
「なんでしれっとセックスに特化した話になってるんですか!」
「馬鹿野郎! あたしに他に出来ることがあると本当に思ってんのか!」
「だから何が出来るかって聞いてんでしょうが!」
「なるほど!」
話しているうちに脳の回線がつながったような顔をして、クロシェは言い放った。
「ところでミッチー、ここは、どこ? 日本?」
「練馬区です! 東京都練馬区!」
「最寄りの駅は!」
「武蔵関です!」
「なるほど! 案外ウチから近い! ちょっと電話貸して!」
クロシェはミチルのケータイを操作すると病院の電話番号を調べていた。元興寺クリニックという病院のサイトを探り当てると、おもむろに電話をかけ始めた。
「あ、いつもの看護婦か。院長出して。そう――あ、タッくん? アタシアタシ。ね、カルテからうちの番号教えてくれない? ちょっとワケアリでスマホがなくてさ、え、この電話? いいじゃん、そのへんの人のを借りてんだよ。あ、うんうん、03の――」
取って返して今聞いた電話番号。
「あ、もしもしお母さん? アタシアタシ。ごめんごめん無事です。え、今、いつ? 十一月の、へぇー、ごめん知らなかった、じゃなかった。ちょっと色々あってさ、修行してるから。今度から定期的に電話するから――だから悪かったって。警察? ああそう、適当に言っといて。まぁ、用が済んだら帰ります。じゃあ」
クロシェは通話を終えるとミチルにスマホを差し出した。
「もう十一月なのかぁ。そうかぁ、あたしゃ二ヶ月もあの箱の中にいたんだなぁ」
「あの、どういうことか、聞いてもいいですかね?」
「ああ、そりゃああれよ、すっっげぇ怒られたんだ。神様に」
「というと?」
「ピー―を無理矢理アッハーーンしたらピー――がブチ切れちゃって。そうしたらあの箱に無理やり」
「わからんわからん」
まぁまぁ、とクロシェはミチルの股間を優しく握ってくる。
「で、願いは見つかったかね」
「今すぐこの家から出ていってください!」
「わかったわかった、それも願い事だと思えば聞きもしようさ。で、」
クロシェはミチルのスマホを見る。二時半を回っていた。
「あと二時間くらい、夕方までに何発出来るかな?」
「ということがありまして」
「ありまして、ではない」
いつもの居酒屋「のづち」である。ここの煮込みをあてに飲むのも久しぶりだ。クロシェはもうすでに駆けつけ三杯の日本酒を片付けて出来上がりつつある。
「恥ずかしながら帰って参りました。さて、どうやったでしょう」
「面倒くせえな」
久しぶりに逢うミミミはどういう風の吹き回しか、脱色していた髪をうっすらピンクに染めている。
「面倒くせえってどういうことよ」
「聞きたいか俺の武勇伝、って顔に書いてある」
「え、そんなことないよ、苦労したんだから」
「その『苦労した』っていうのも武勇伝に入るのよ」
「まぁなんでもいいや。それからはアタシ、ドラえもん状態よ」
「押し入れで寝てたの!?」
あながち冗談でもなかったらしく、クロシェは否定しなかった。
「次の日から友だちを連れてきやがって」
「はあ」
「どうかこいつにヤラせてやってください、って次から次へと」
「それであんた?」
「そのうちなんかね、だんだんその子の羽振りがよくなってくるのよ。差し入れてくれる食事もはじめはコンビニのおにぎりとかだったんだけど、すぐ千円くらいのお弁当にクラスチェンジしたし」
「なんだかなぁ」
「で、すぐにバレちゃって」クロシェはだはーっ、と笑うとコップの酒を一気に飲み干した。「どうしてあの頃の子って黙ってられないんだろうね。自分がそういうオイシイ目に遭うと」
「で、どうしたの?」
「んふっ、彼がiPadだかなんだか買ったところで、流石に家族に問い詰められて。このタイミングであたしが刑期明けですよ」
この後、ミチルが元興寺クリニックへの送信記録を手がかりにクロシェを探しに来るのだが、それはまた別の話。