Entry1
これから恋愛をします、と顧問は云った。
サヌキマオ
事情がわからない人にはさっぱりだと思うのでもうちょっとおひれはひれハラホロヒレハレをつけると、あたしの所属する演劇部の顧問が、次回はラブコメを舞台にかける、と宣言したのだった。演劇部の面々の一部は「おー」とか「わー」とか言っていたが、大半は「はあ」という顔をしていた。これは「はあ?」でも「はあ!」でもない。「やるんですか」という意味の「はあ」だ。
恋愛もの、というのは世間の女子の間で流行るものらしい。映画館の前を通れば、三本ロードショーしているうちの一本は「恋愛ものです」とラベルが貼られている。もちろん実際にラベルが貼られているわけではないが、恋愛ものだとわかるように、美男美女の俳優のアップがポスターに並び、恋愛は大事、みたいな煽り文句が付いている。役者本人の数倍はある大きな壁面で、幸せそうな様子で見つめ合う二人を眺めながらあたし――こと呂畑翠は頭を掻く。映画館の前だった。センパイと待ち合わせをしていた。同じ演劇部の俵村曲センパイだ。
どちらから云い出したのかははっきりしないのだけれど、恋愛ものって一応どんなものか予習しておきますか、ということになった。今日は二月の十日。平日だ。平日なのになぜこんなところに居るかといえば、通っている高校では今まさに高校受験が行われているからだ。せっかく平日に降ってきた休みである。芸道のために有効活用しようではないか。などと誰かならば云うかもしれない。誰だかわからないけど。
月曜の十一時なのでさすがに人が少ない。客席も半分うまるかどうかくらい。五十人くらいの人の入りに、大学生らしきカップルが二組くらい。
「映画は始まる前の予告編が面白い」
「それね」
曲センパイは持ってきたハンバーガーをさておいて先にもさもさとフライドポテトを食べ始めた。よほどお腹が空いていたのだろうか。
映画本編が終わってもスタッフロールの間はふたりとも立たなかった。そこは趣味を共有してくれてよかった。ホールの灯りがつくと、どちらから言い出すでもなく立ち上がって「飯でも食いますか」という話になった。
「まぁ本編もだけど」
「面白かったですか」
「面白いっちゃあ面白い……あー、そうかーってなった」
「そうかーってなりましたか」
「観てるとなんか見せ方に無理があるなって気はする……とにかく人気俳優の表情は画面に見せなきゃいけない、みたいなさ。ただ、その無理も自分が演じる側からすると『やむを得ない』ってわかる」
「いや、そういうことではなくて、恋愛的な意味の話で」
「うーん、なんだろう、ああやって他人が『好きだ』って云ってるのを見ると自分もキュンとなるというのがわかった」
「確かに」
「翠ちゃんも?」
「あれが感情移入なんでしょうね。好きだ、って云う側も、云われる側も」
「翠ちゃんはどっちサイド?」
どっちだろう。あたしはしばらく映画のシーンを回想していたが、
「あれですよ、そんなに臆面もなく『好き』って云えてしまうリアリティの無さですかね」
という結論に至った。この結論は変わるかもしれない。
「リアリティの無さ、に感情移入するの?」
センパイはよくわからないという顔をしているが、でも、リアルではそんなにまっすぐに自分の気持なんか伝えられないから、恋愛映画って需要があるんじゃないか。
「リアリティの無さ、というのは……なんて云ったらいいか。そんなに簡単に感情をむき出しにできていいなぁ、みたいなのがあるんですよ。見ている側の気持ちとして。センパイは?」
「私はアレだよ、きっと自分はイケメンに興味がないんだろうなぁ、というのが判った」
「そこですか? もしくはもっと年上がいいとか」
「年上かなぁ。そういうんじゃなくて、なんか、恋をするのにも才能が要るらしいよ?」
「だからこそ」あたしの中ではうまく回路がつながった気がする。
「だからこそ、人は恋愛できることに憧れるんじゃないですかね」
そんな「デート」から一ヶ月、学年末テストが終わると台本が配布された。「その先は崖っぷち―由美子の七日間戦争―」と題された手折りの冊子が三十二ページ。毎度のこと、視聴覚室に集まって読み合わせる。
由美子は高校を卒業したばかりの社会人だが、うっかり恋に落ちてしまったのが定年退職で由美子と同時に学校を去る美術の先生。由美子は果敢にも卒業式の日、先生に告白するが、先生は「まずは自分の夢を叶えてこい」と由美子に云う。その気になってしまった由美子は、バイトの傍ら、かつての夢であった漫画家を目指し始めるが……といった話。あたしの役はバイト先の弁当屋の店長だ。
「ねえ、これってさ」この声は同じ学年、今回は主役の由美子役を射止めた小星ちゃんだ。「タイトルからすると、『どうせ結婚しても崖っぷちだよ』ってことだよね?」
台本では由美子が結婚したところまでは描かれていない。紆余曲折を経て出版社の新人漫画賞の佳作に選ばれて、読み切り作品が掲載されるのが決まるところまでだ。
「漫画家も賞をもらってデビューしたはいいけど、人気が出なくて辞めていく人も多いって聞くし」
それでもなお、ということだろう。それでもなお、人は恋のためにはどこまでも突っ走っていくのか。のか?
「どうしよう」小星ちゃん本人もまさか主役に選ばれると思っていなかったらしく、しばらくは目を白黒させた後で呆けていた。
「どうしよう、って頑張るしかないじゃない」
「いや、私ね、よくわかんないんだ、恋愛とか。しかもおじいちゃんとか。私のお父さんより上の人だよ?……この『由美子』はお父さんがこの先生と同い年なわけだから、なんかそういう理由があるんだろうけど」
「なんだろうね。でも、だからこそ、先がないと判っていても突っ走るしかないみたいなのが恋だ、ってことじゃない?」
「そうかな?」
「今適当云った。ごめん」でも、おそらくはそういうことなのだ。舞台の上で赤裸々を叫ぶことが、もしかすると見に来てくれたお客さんの救いになるのかもしれない。
「あー」小星ちゃんは頭を抱えて机に突っ伏した。「どうしたらいいんだろう、私、わかんないよ」
「誰かと付き合ったりしたことって、ないの?」
「ないないない。そもそも、たぶん男の人とか異世界過ぎて。私一人っ子だしお父さんしか男がいないし」
「顧問は?」
「呼んだか? 早く帰れ」
周りの部員が三々五々帰る中、なかなか帰らないのにしびれをきらせた伊武先生だ。
「先生は……そもそも、男ではないし」
「喧嘩売っとんのか」
これは、女性の格好が趣味の顧問のことだ。こう見えて結婚していて、二人の子どもがいるのを知っている。
「先生、小星ちゃんは恋愛したことがないんですよ」
「ないのか。まぁ、そうだろうと思ったけど」
「ひどい!」
「だからこそよ。これを機に、何もかもなげうってでもなんとかしたい相手やモノを見つけなよ」
「えーと、それっていうのは……男女の恋愛も、ものに対する執着みたいなのも一緒ってことですか?」
「一緒の人もいるだろうね。あえて恋愛じゃなくても良かったんだけど、そういうまっしぐらなひたむきさってのが、今回の本のテーマかも知れない」
「はぁ」
小星ちゃんは腑に落ちない顔をしていたが、あたしにはよく解る。決して恋愛ではないけど、何を犠牲にしてでもやりたいことのある人には羨望と嫉妬の気持ちがある。
観客に羨望されなきゃいけないんだな、と思った。