Entry1
もう恋なんてしないかもしれないしわかんない
サヌキマオ
がまがえるは変なもの(たとえば、なんだろう?)を飲み込んでしまったときに胃袋を吐き出して洗って元に戻すのだが、実際の映像で見ると相当キモい。
この「がまは胃を洗う」という知識を手に入れたのは杉浦茂の「猿飛佐助」からで、この話をするとそんな古いマンガを、と驚かれるが、世の中には文庫化というシステム(?)があって、古い作品でも簡単に購読することが可能なのだ。可愛いじゃない杉浦茂。
なんでこんな話をしたかというと、今目の前にいるクラスメイトにして同じ演劇部の仲間である安部小星ことコボちゃんが、そんな胃袋を吐き出しそうな顔をしてスマホを覗き込んでいるからだ。二人で教室で昼飯を食っている。せっかく自分で作ったのであろう可愛らしいお弁当を可愛らしいランチボックスに収納して、そんなに消化に悪そうなものを見なくてもいいだろうに、と、
「恋ですか?」
「ほぎゃっ」
わかりやすくボケたつもりだったのだが、コボちゃんは出し抜けにボディーブローを食らったような顔をして呻いている。
「マジか」
「あうあうあう」
「それは聞いていい話なのかしらん?」
「あうあうあ」
「云いたくない?」
「あぅー」
「ちゃんと対応しないとクラスの女子総出で安部小星恋愛対策委員会開催とす」
「や、しゃべるしゃべる。ちょっとまって」
コボちゃんは一度開けたランチボックスの蓋を閉めると、頭を抱えて机に突っ伏した。こうして頭の中を整理しているのだ。週に一度は見かける光景である。
「この前の」
「うん」
「この前のワークショップで」
説明しよう! この前のワークショップとは、この前にあったワークショップである[要出典]。などと独り脳内でボケていても始まらないが、先週の演劇部員向けのワークショップのことだろう。行くはずだった中学部部長の麻実ちゃんがインフルエンザになったので、代打でたまたま連絡のついたコボちゃんが休日出勤することになったのだ。
「あうあうあう」
「あーじゃないでしょ。ちゃんと最後まで喋りなさい」
査問官に促されて、被告は突っ伏したまま(器用だ)抱え込んでいたスマホを差し出してきた。画面の上ではLIME特有の緑と白の吹き出しがいくつか並んでいる。
「このケータイを売ってくればいいの?」
「ばかやろう」
仕方ない、読むことにする。
[再来週の日曜日(21日)ですが『もう恋』一緒にどうすか]
なんと。
「止しなさい被告人、この映画は微塵も面白くなかった」
「被告人? なに?――え、観に行ったの?」
「曲センパイと行ったんだよ、ほら、演技の研究とかなんとか云って」
恋愛もの、というのは世間の女子の間で流行るものらしい。映画館の前を通れば、三本ロードショーしているうちの一本は「恋愛ものです」とラベルが貼られている。もちろん実際にラベルが貼られているわけではないが、恋愛ものだとわかるように、美男美女の俳優のアップがポスターに並び、恋愛は大事、みたいな煽り文句が付いている。「もう恋なんてしないかもしれないしわかんない」絶賛ロードショー!
「しかし、初めてのデートで恋愛映画、選ぶかね?」
「いや、え、別にデートじゃないよ?」
「デートになるかもしれないから悩んでるんじゃないの?」
「ぐぁっ」
コボちゃんはふたたび机に突っ伏した。図星だった。
相手の男は臨海総合だかなんだか、海っぺりの方の高校からやってきた男子だ。なんとなく会話しているうちに「恋愛映画が好き」という話はしたらしい。
「じゃあアレだ、向こうの男はあんたの趣味に合わせてきたつもりなわけだ」
「そ、そうなのかなぁ? わたし、そんなに映画なんか観ないんだけど」
「だから、あんたが『映画観る』って云っちゃったんでしょ?」
「まぁ、そうなんだけど」
「で、連絡先まで交換したら、そらあ『脈アリ』って思うよ。思っちゃうんだよ。冷静に考えれば」
冷静に考えなくても。
「そのおっぱいを好きにできると思っちゃうよ」
「できるわけないだろ! いいかげんにしろ!」
反射的に前かがみになっても隠れないでっぱりが肉増しい、もとい憎ましい。
「できると思っちゃうと思うけど」
「いいから! 無理に話を面白くしなくていいから!――えーと、じゃあ、どうすれば」
「えーと」間を置く。こんなもの、どうもこうもあるかい。
「選択肢はふたつあります。いち、粛々と映画を見に行き、青春を謳歌してくる」
「いや、あの、ちょっとまって」
「にー。何らかの理由をつけてキャンセルする。家に自警団が乗り込んできたでもミトコンドリアが憂鬱でもなんでもいいや。とにかく『やっぱりNO』ならみんなおなじだ。NOと云える人間になる」
「まってまって、その、これ」
青春なの? これ?
コボちゃんは「青春」と自分で口にしてビクビクしている。先人の、神様の言葉を借りるならば、
「だめだこりゃ」であり、
「次ィ行ってみよう」だ、こりゃ。
話の行きがかり上(話というには随分ととっちらかっているが)映画に行くのは断ることにした。通信端末を前にして、司令官が私、操舵手が安部一等兵。
「あわああわあがが」
「どうした小星君」
「せっかくチケット買ったのに、って」
「向こうも向こうで退路を断ったというわけだな! でも仕方ない、ここはすっぱり新たな彼女と出かけてもらおう」
「いやでも待って、ほんとちょっとまって」
(うるせえなこの小心デブちん)
おっと、内心が口から飛び出てしまうところだった、でも「なに?」と嫌気だけは口をついてしまう。
「あの……『楽しみにしてたのに』って云ってるよ?」
「でも、いやなんでしょ? コボちゃん的には?」
「でも、チケットを買ってくれたんだよ? 私とデートに行けなくて残念なんだよ?」
私は天を仰いだ。
ただの一等兵かと思ったら、すこぶる無能な元帥だった。
結論から云えば、私とコボちゃんは映画鑑賞とピザ食べ放題の宴を終えて駅で別れることになった。もちろん私たち女子二人が付き合っていて関係を終わらせようという話ではない。「デートと思しき映画鑑賞」が「従者付きの姫君を映画とピザで歓待する催し」に変わっただけだ。
もちろん相手の男は面食らっていたし(申し訳ない)コボちゃんはお姫様らしくニコニコ笑ってほとんど喋らなかった。覚えている発言は相手とあった当時の「この前はどうも」と、食べ放題三人分を注文したときの「じゃあ、それで」だけだ。
憤懣やるかたない。一日中喋っていた気がする。当然デートどころではない、あんまり面識のない者同士が、映画を見て、もくもくとピザを腹に詰め込んで、解散!
なんだかしらないが目がしばしばする。自分では花粉症ではないと思っていたが花粉症だろうか。帰りの電車、座席に座って目を堅くつむっているとLIMEに通信がある。
「今日はありがとう■デートって大変なんだね■」
■部分には絵文字が挿入されると思ってよい。逆上してスマートフォンを床に叩きつけたくなるが、向かいの座席に座っていた親子の乳母車の中の赤子と目があって思いとどまる。命拾いしたな――私のスマホが!
相手の男からはそれでも連絡が来るらしい。あのポンコツにそれでも言い募るということは――やはりおっぱいだろうか。おっぱいはすべてを凌駕するのだろうか。
「断らないの?」
「なんかほら、スマホが楽しくお話してくれると思えば」
安部小星はこういう女なのであった。それはそれで嫌いではないけれど。