第1回3000字小説バトル
Entry14
「はぁー」 和雄は地面に映る自分の影をぼんやり見つめたまま、1つ大きな ため息を吐いた。和雄はゆっくりと、そして少しぐらいはという期 待と共に顔を上げたが列の先頭はまだまだ見えず、もう一度大きな ため息を吐いた。 いま、和雄は長い行列の一部となっている。時計は、持ってはい なかったが、ほんの1m進むのに10分はかかっているように思えた。 いや、それ以上かかっていたのかもしれない。 和雄はこの行列の一部となってから、どのくらいの時間がた つのか、ふと思い浮かべてみた。が、いつから、なぜここにいるの か思い出せない。考えながらふと右の方へ顔をやり、はじめて周り の風景がおかしいことに気づき、それと同時に自分がどうしてここ にいてこの行列に加わっているかを理解した。 まわりは、深い霧のようなものに覆われていて、その霧は永遠の 彼方まで続いているように思える。その殺風景な中にただ一本の道 がひかれてあり、その道だけがスポットライトにでも照らされてい るかのように明るかった。その道には一本の行列が先頭も後尾も見 えないくらい続いていた。 和雄は、こんな景色を見て驚くことはなかった。そう、自分が命 を落としたことを思い出したのだ。ここは、あの世なのだ。 和雄は少し酔っ払っていたのだろう。だが、意識はしっかりして いたはずだ。だからこそ、交差点の角から飛び出してきたバイクの ことも絵に描けるくらい良く覚えている。そして、あまり痛さがな かったことも。 和雄は自分の一生を思い浮かべていた。38歳という若さでこの世 を(いや、いまの時点ではこの世ではないが…)去ってしまった。 あまり後悔はしてないのだが、親のことだけは気になる。親は一人 息子である自分の死を悲しんでいるだろう。母は2年前にパートで 出ていた工場で誤って塩化ビニールの液体を頭からかぶり、視力の 半分を失った。だがそれだけでは、済まされず母の視力は今なお低 下し続けている。あと1,2年で母の目は何の役目も果たさなくな る。まぁ、親父がまだ健在なので少しは安心なのだが… そんなことを考えていると一人の男がこっちに近づいて来ること に気づいた。その男はずーっと前列の方から、ゆっくりと近づいて くる。よく観ると、その男は一人ずつ丁寧に一枚の紙を渡している。 3分に一度くらい一歩進むこと以外にすることのなかった和雄は、 その男に釘付けになっていた。 しばらくして和雄が3mも進まないうちに男が和雄の横に立ち、 何も言わず、表情もかえずに紙を手渡した。が、和雄は、紙の内容 に興味のすべてを奪われていたので、その男の無表情の顔にさえ気 づかなかった。 「あなたのなりたいもの」 その紙にはそう書かれていた。確かに日本語ではないのだが、和 雄はそれを読むことが出来、理解が出来た。だが、そんなことにも 和雄は気づかなかった。 「なりたいもの?」目を通していくと、それは、次に生まれ変わ る希望を書けというものであることが分かった。何かつまらない冗 談でも聞いているようだった。こんな薄っぺらの紙切れで次の生ま れ変わる自分が決定されるのか?和雄は拍子抜けしていた。それで も、自分で次の自分を決めれるんなら、それは、それでいいじゃな いかと、生きている時から楽観的だった和雄は、鳥になって、世界 中を渡り歩こうかとか、それともイルカになって気ままに海を泳い で暮らそうか、いや、やっぱり人間が一番だ。そんなことを思い浮 かべて、早くもわくわくしていた。が、それもつかの間、紙の下の 方にある1行の文を見つけて、それまでの笑みは消え、顔が少し引 き攣るのが分かった。 「昆虫に限る」 なんてこった! 昆虫だって?! 確かに生きていて、とくに誰かの為になったり、こんないいこと をしましたって言えることはないけれど、人殺しはもちろん、人を だましたり、うそをつくことも人よりは少ないと自信を持って言え る。それがなぜ昆虫、寄りによって昆虫なんだ。虫を触ることはも ちろん、見るだけでも体中に鳥肌が立ってしまう和雄は、さすがに こたえ、しばらく前に進むのもやめて立ち尽くした。和雄と前の人 の間には、1mほどの間が開いた。 どれくらいの時間が経ったのだろう。行列はずいぶん進み、もう 先頭が見えていた。先頭には、いわゆる閻魔大王というやつだろう か、男が一人椅子に腰掛けていた。和雄はそちらをちらっと見たが、 そんなものには、興味がなかった。和雄はまだその紙に書かれてあ ることで頭がいっぱいで、こんなのは、誰かの悪いいたずらだと、 こんなところで誰がいたずらをするんだと分かっていながらも、思 うようにしていた。 それから時間が経ち、和雄の順番までもう少しというところで、 先頭の方から声が聞こえてくるのに気づいた。最初はあまりに小さ くて聞き取れなかったが、少しずつ前に進むにつれて、それは、先 頭の人が何に生まれ落ちるかを宣言しているのだと分かった。 「私は、かまきりになります」 そこで、はじめて自分以外の人も昆虫にならなければならないと 知り、何も状況は変わってないけれど、少しほっとした。 「私は、歌うことが好きなので鈴虫になります」 なんだそりゃ。そんな理由で自分の後世をきめるのか?しかも鈴 虫は歌っているんじゃないぞ。 「私は、子供の頃、ボクサーになりたかったので蚊になります」 おいおい、蚊になって、蚊除けスプレーや人の手をかいくぐりな がら、針を刺すヒットアンドアウェイに生きがいを感じようっての かい。 みんなたわいもない理由で選んでいく。 「私は……空を自由に飛びたいから、とんぼに…」 と、言うのを聞いて、和雄はあることが頭に浮かんだ。もしかして みんな本当は、昆虫になんてなりたくないのではないだろうか? それでも、ならなければならないので適当な理由をつくり、自分を 納得させようとしているのではないだろうか? 自分もたいした理由なんて作れるはずないのに前の人の理由を馬 鹿にしたことを後悔した。 そうしているうちに和雄の順番はもう次の次にまで迫っていた。 それでも、まだ和雄はなんの昆虫になるのか決めれずにいた。その 場で適当に決めるんだろうなと、もう人事のように考えていた。 強そうなのでカブトムシにします。とでも言うのかなぁと、やっぱ り人事のようだった。 そして和雄の番が来た。 和雄は、虫になったら多分、今までの記憶、友人のことや付き合 ってた彼女のこと、親父や母のことも忘れてしまうんだろうと考え ながら、意を決して言おうとしたとき、ふと、和雄の頭の中に去年 の夏に母が言った言葉がよぎった。 和雄は、頭を上げ、力強く宣言した。 その年の秋の初めの頃、東京のある家の軒先に一匹の季節外れの 蛍が迷い込んだ。 「おぉ、こんなところに蛍が一匹おるよ、かぁさん」 「まぁ、こんな時期、こんなどぶ川しかないようなところに…」 夫婦は、蛍のあたたかい光にみとれた。 「うちが、目が見えんようになる前に蛍を見ることが出来るなん て…」 妻の目には、涙が浮かんでいた。 蛍は、まるで夫婦を楽しませるために現れたかのように、いつま でも、2人を照らしつづけていた。