第2回3000字小説バトル
Entry2
他にもいろいろあったが、結局家から一番近いところに落ち着い た。僕のバイト先の話だ。時給もそこそこだし、何より面接してく れた店長の印象がよかった。たぶん親父より歳は上のはずだが、白 いつなぎを着て咥え煙草で黙々と車の整備をしている姿は、粋なほ ど決まっている。 スタンドは、片側二車線の国道沿いにある。しばらく行くとシャ トルポートハイウェイの入り口があるので比較的交通量は多いが、 近所にはセルフサービスの安いスタンドがわんさかあるので、そん なに忙しいわけでもない。仕事としては、車の点検や整備のほうが 多いかもしれない。 「おい、これどうやるかわかるか?」 店長は、優しくはないがそんなに厳しくもない。教え方は手取り 足取りですごく丁寧だ。それもそのはず、店長以外には僕しかいな いことが働き始めてわかった。バイト先の新たな出会い、みたいな のを期待していた僕にとっては、ちょっとショックだった。一週間 ほど研修をして、僕は制服と帽子を渡された。 中学で軽乗用三種の免許を取ったので、僕自身機械にも少しは明 るい。今はまだ言われた仕事をこなすだけで精一杯だが、そのうち 役に立つことがあるだろう。 最初のお客さんがやってきた。いきなり外車だ。確かフォードE Uのピットとかいうモデルだと思う。 「い、いらっしゃいませ」 丸い車はするすると国道から入ってきて、ラバーコーティングさ れた地面をするすると矢印に沿って停まった。 「マンタンね」 このセリフだけは今も昔も変わらない。 「はい、わかりました」 小気味よく返事をしてから、車の後ろに回ってコンセントモジュ ールの位置を確認した。僕の尻の上辺りから延びているアースケー ブルが、しっぽみたいで邪魔でちょっと恥ずかしいが、仕事だから しょうがない。 分厚い防電手袋をパンと叩き合わせて、天井からぶら下がってい るケーブルプラグを手繰り、切り欠きを合わせて車のコンセントに 差し込む。少し力を入れて押し込むと、後ろでブザーが鳴って地下 のジェネレーターが動きだした。防電靴越しに、その鈍い振動が伝 わってくる。セルフとは違って、スタンドのジェネレーターは大容 量だ。バッテリーセルへ一気に叩き込む。 僕は深呼吸をして、ケーブルプラグのトリガーを引いた。 「充電完了っ」 何の衝撃も振動もなく、呆気ないくらいに充電は終わった。スタ ンドメーターを確認してプラグを外し、お客さんにその旨を告げて、 僕はT字型の読み取り機を手にした。お客さんが窓越しにカードを 示すと、ピッと鳴って支払が終わった。 「ありがとうございました」 初めての外車は、するすると国道へ戻っていった。 「ふうーっ」 溜息をついて振り返ると、つなぎ姿の店長が口をへの字に曲げて 腕組みして立っていた。 「もっと、声を大きく出さないと」 怒るときもどこか諦めたような静かな口調なので、あまり怒られ てるという気がしない。 「そんなんじゃお客さんに聞こえねえよ」 研修の時からそうだったが、大きな声で接客しろという店長の言 葉に、僕はどうも合点がいかなかった。細かいことだが、未だにガ ソリンスタンドと言うのも合点がいかない。電気スタンドではさす がにマズイだろうけど、もっと他の言い方があってもいいようなも のだ。 「ま、いいや……」 店長はぼそっと呟いて、咥え煙草で頭を掻きながら整備車庫へ戻 っていった。 僕は少しだけ腹が立った。自分では充分大きな声を出しているつ もりだった。確かに、国道には車がひっきりなしに通っているが、 聞こえるのはタイヤの擦れる音と風切り音くらいで、声を大きく出 す必要性が全く感じられない。むしろスタンドのBGMのほうが大 きいくらいだ。それも古臭いユーロビートだから始末に負えない。 「なんだよ、ったく……」 不満そうな顔を帽子で隠しながら、先刻の支払の確認をしている と、妙な地響きがしてきた。それはだんだん大きくなって、こちら へ近づいてくるようだった。僕は思わず道路のほうへ出ようとした。 「うわっ」 一台の車が、スタンドに入ってきた。物凄い音が車から聞こえて いる。故障かもしれないので店長を呼びにいこうとすると、その車 の運転手に呼び止められた。 「ねえ、ここ、ガソリンある?」 車の音でよく聞こえなかったが、その若い男の人は確かにそう言 った。それにしてもうるさい車だ。腹の底から震えるような轟音が 響いている。 「少々、お待ちください、店長呼んできます」 「え?」 「店長呼んできます!」 そう言って振り向くと、ポリタンクを持った店長がやってきた。 「助かったあ」 男の人はそう言うと、何やら車の操作をした。静かになった。 「この辺ぜんぜんなくってさあ、あっても電気ばっかりで、助かり ましたよ」 「R32だね、こいつぁ」 「じいちゃんの車なんですよ」 店長は、男の人と二言三言話してから車の後ろに回った。慌てて 煙草を消して、嬉しそうにポリタンクを抱え上げる店長の顔を、僕 は呆然と見ているだけだった。 辺りに、鼻をつく臭いが広がった。 「ガソリン……?」 店長が車に入れているのは、電気ではなくガソリンだった。とす るとこの車は、モーターでなくエンジンで動く車で、あの轟音はそ のエンジンの音だったのだ。 「あのう、ついでに車診てもらえませんか?」 その男の人は、呆然と突っ立っている僕に話し掛けてきた。 「あ……、は、はい」 反射的に返事してから、僕は逃げるように店長のところへ行った。 「て、店長、あのう……」 「工具箱取ってきてくれ」 そう言った店長の横顔は、子供のように嬉しそうだった。店長は 工具箱を抱えて、エンジンや足回りを徹底的にチェックした。僕は お客さんと一緒にただ眺めるしかなかった。 「よっしゃ」 車の下から、白いつなぎをオイルだらけにした店長が出てきた。 「丁寧に乗ってるね。まだまだいけるよ」 「そうですか、よかった」 「電装系もへたってるとこないし、触媒の取り回しもうまくやって あるから問題ないよ。ターボの焼き付きだけ気をつけてね」 聞き慣れない言葉が店長の口から次々と出た。僕はもう何の役に も立たない。 「久しぶりにいい音聞かせてもらったよ。よかったらまた来て」 男の人は、満面の笑みを浮かべて頭を下げた。払いを済ますと、 嬉しそうに車を一通り眺めて、もう一度頭を下げて車に乗り込んだ。 「ど、どうもあり……」 車のエンジンがかかって、轟音に僕の言葉は掻き消された。 「ありがとうございましたーっ!」 後ろから、店長の聞いたこともない大声が響いた。僕は思わず店 長を見た。 「……ほら、あいさつしねえか」 僕は、帽子を脱いで、車のほうに向き直った。 「あ、ありがとうございましたあっ!」 僕は、ありったけの力を振り絞って声を出した。ガソリンで動く 騒々しい車に乗った男の人は、手を振って国道に戻っていった。 車のエンジン音が遠く薄れていって、国道は静かになった。店長 は、工具箱をがちゃがちゃと片付けて整備車庫へ戻って行った。 また、古臭いユーロビートが耳につくようになった。