第3回3000字小説バトル
Entry14
「いや、別に死んだあとに金なんか貰っても仕方ないんだが」 四谷京作は、困り顔をした。 「そんなことはございませんのよ」 中年過ぎと思しき女の保険外交員は、いかにも営業風の笑顔を浮 かべ、玄関にカラフルな資料を広げる。 「四谷様は三十四歳でいらっしゃいますから、結婚ももうそろそろ でしょう?」 「結婚どころか恋人もいないがなぁ」 京作は自分の禿げた頭を撫でる。 「ならなおさらですわ。終身雇用が崩れた現在、持ち家があって多 額の生命保険の掛かっている男性は、それだけでも安定性があって 魅力的ですわよ」 「説得力があるようなないような話だな。ともかく、俺は生命保険 で女を釣る気は……」 「それだけじゃございませんことよ。この生命保険は、特約をお付 けになれば、ガン、肝臓病、心臓病などの病気や、交通事故、ゴル フ場での事故など、ありとあらゆる状況に対応できますのよ」 「ありとあらゆる?」 いささか興味を引かれたらしく、京作は僅かに身を乗り出した。 「地震、とか火事も?」 「もちろんですわ。以前に地震特約をお付けになった自営業のお客 様がいらしたのですけどね」 女は、アタッシュケースの中から、小さなファイルを取り出す。 中には、手紙が何枚も綴じられていた。 「ほら、ここに感謝のお手紙がございますでしょ? 契約してから、 ほんの数年であの震災がありましたのよ。それで、ご本人の入院費 どころか、入院中の収入、ご家族の葬儀代まで補償できましたの。 ほら、これがお礼状ですわ」 「へぇ」 喜びの声が書かれた手紙に目を通しながら、京作は頷く。 「地震だけじゃありませんわ。ガン、ペスト、エイズとこれから先 の人生が六十年あったといたしまして、一度も何の病気にもならな いということはございませんのよ」 「……言われてみれば。病気だけは付けた方がいいかな」 「いえいえ、もしも火事になったらそれこそ病気の比じゃありませ んことよ?」 いつ息継ぎをするのか、と思うほど流暢に女は喋る。 「はあ。火事ねぇ。確か火災保険には入ってたような?」 「それだけでよろしいんですの? 地震、雷、土砂崩れに火砕流と 世の中一夜にして財産を失ってしまうことはよくありますわ」 「ふーん。まあ、地震の保険はあればいいなぁとは思ってたから… …」 「あら、地震だけでよろしいんですの?」 「でも、日本の災害って言ったら、地震が主だし」 「米国では当たり前の竜巻特約も付けてはいかがですの?」 「竜巻? それは身近なものでもないし」 「あら、そうでもないですわ。日本っていうのは、面積の割には米 国並に竜巻も多い国ですのよ。それに、台風も対象になりますわ。 しかも、スーパー竜巻特約にすると、渦潮から旋風で発生するかま いたちまで、あらゆる渦災害に備えられますのよ」 「じゃあ、車輪も?」 「オホホホ、四谷様はご冗談がお上手ですわね。それは交通特約で すわ」 「まあそうだろうな。でも、俺は免許持ってないしなぁ」 「あら、それこそ素晴らしいですわ。無免許の方は、掛け金が半分 ですわ。しかも、事故を起こした際の損害は百パーセント当社が補 償しますわ」 「へえ、半分で全額補償か」 「それから、これは新しい商品になってますけど、天気保険ってい うのはいかがかしら?」 「天気?」 「あの時晴れていれば、なんて事ございますでしょ? 先物取引や 行楽地で自営業をなさってる方には大人気ですわ」 「俺は自営業者じゃないしなぁ。あ、でも雨で服が濡れたなんて時 は?」 「免責額にもよりますけど、もちろん対象になりますわ。これもス ーパー特約にしますと、雷や台風も対象になりますのよ」 「え? さっき竜巻特約ってのが……」 「ええ。ですから、パック特約にすると、通常の掛け金の三割引き で二つのスーパー特約が受けられますわ」 「なーるほど」 「他にも隕石特約はいかがかしら?」 「隕石?」 「隕石は、危険ですのよ?」 女は拳を作って見せる。 「こんな小さな石でも、屋根を貫くんですの。頭蓋骨なんか紙同然 ですわ。もしも四谷様に当たったらと思うとわたくしは心配で心配 で」 「ま、まさか、そんな」 「安心なさってる方に限って危険なんですのよ? 絶対に当たらな いとどうして断言できますの? 安全が証明できますの? 次の瞬 間、隕石が落ちてこないと言い切れますの? その時に一片の後悔 もしませんの?」 「そ、それは」 「ほんの僅かな掛け金で安心が買えると思えば安いものですわ」 「うーむ、言われてみれば……」 「それから、戦争特約はいかがでしょう?」 「戦争って」 「今後、戦争が発生した場合、戦地、銃後を問わず怪我や栄養失調、 化学兵器や放射能による身体障害などを全面サポートしますわ」 「でも、そんな時には国からの補助金も出るんじゃないか?」 「戦争中に国からの補助金が当てになるとお思いですの? そんな もの無理に決まっていますわ。それどころか、もしも日本がまた負 けでもしたら、逆に増税だってされかねませんもの。ひょっとした ら、お金が紙屑同然になるかも知れませんわ」 「そんな状況じゃ、保険会社だって駄目だろ?」 「いいえ。我が社は中華民国、ロシア、北朝鮮と、様々な国に本拠 地を持つ多国籍企業ですの。世界大戦の一つや二つ何の問題もござ いませんわ」 「ふーん……」 京作は『戦争特約』と書かれたパンフレットを開く。 「仮想敵国?」 「ええ。戦争状態になる可能性の高い国ほど、掛け金は高くなりま すわ。でも、今の時代どこが攻めてくるか分かりませんもの、この 全世界対応型の『世界大戦パック』がお勧めですわ。掛け金が四〇 パーセントもお得ですのよ」 「なるほど、なるほど」 「それから、オプション商品で、『内戦パック』っていうのもあり ますけど」 「なになに、過激派、終末論を掲げる宗教団体、自衛隊によるクー デター、テロ等々か。うん、これも頼もうか――」 「それから、宇宙人特約はいかがですの?」 「う、宇宙人?」 印鑑を取ろうと腰を上げかけていた京作は、まじまじと外交員を 見つめた。 「そうですわ。アブダクション期間の給与、攻撃を受けた際の損害、 宇宙船などの離着陸による農作物などの損害……」 「うーむ」 京作は、ざっと資料を確認した。 「そうだなぁ」 数日後。 「しっかし」 同僚がリンゴの皮をむきながら、病院のベッドに横になった京作 を見る。 「お前の家の真上にUFOが着陸するとはなぁ」 「ああ」 京作は、足と腕を片方づつ釣り下げられた格好でベッドに横にな っている。顔色は良いが、表情に元気はなかった。 「家は潰れる、骨折はする、無断欠勤扱いで減俸になる。散々だ」 「ふーん。テレビの取材でもそんなこと言ってたなぁ――ほれ」 むき終わった不格好なリンゴを、同僚は京作に手渡す。 「あー、これからどうすればいいんだ……」 がしゅがしゅ音を立てて京作はリンゴを食べる。 「知らねえなぁ」 素気なく答えながら、同僚は果物ナイフをちり紙で拭う。 「お前な!」 京作は同僚を睨む。 「少しぐらい同情してくれたっていーだろうが! ったく、どいつ もこいつも!」 「でもよぉ」 同僚は自分の分のリンゴをかじった。 「保険かけてなかったんだろ? 自業自得じゃねえか」 「むー、それはそうだが」 大きく京作は溜息をつく。 「来月からの保険の掛け金、どうやって払えばいいんだよ?」 「街金にでも借りれば?」 「あー、いっそ死んでりゃあ、しっかり保険も降りたってのに……」